エピローグ ②
私は紙を手に取り、ドアマンに声をかける。
「お客様が荷物をお忘れです。届けに行ってまいります」
ドアマンは大きくうなずき、私は紙をポケットにしまい外に飛び出した。
ホテルは大通りに面している。
馬車がひっきりなしに行き交い、ちょうど辻馬車が目の前を通った。
いななく声は、まだ苦手だ。
だけど、今はお客様が第一。
「おばあさま⋯⋯私に、勇気を⋯⋯」
息を震わせながら呟き、私は大きく手を上げて、辻馬車を止めた。
綱を引いた馭者に声をかけながら、馬車に乗り込む。
「ウエスト通りの六番街へ」
いななく声を響かせ、馬が走る。
無意識に体が強張り、私はぎゅっと胸の辺りを握りしめた。
――どうか、間に合って。
早まる動悸を感じながら、私は祈っていた。
やがて東地区のストリートに入った。
馭者が陽気な声を出す。
「お客さん、あなたはラッキーだ。この辺りは霧が濃いいんだが、今日は晴れているよ!」
その声に導かれ、辺りを見ると、視界が開かれていた。
雲間から光が差し込んでいて、馬車の行く先を照らしている。
真新しい五回建ての建物の前にたどり着くと、教授の声が聞こえた。
「すぐにホテルに電報を打ってくれ! きっとあそこに忘れたんだ!」
私は馭者にお金を払い、迷いなく走り出す。
「アーチボルド教授!」
私が声を出すと、教授がこちらを向く。
転がるように駆け寄ってきた。
私は大きく肩で息をしながら、生唾を飲み干し、ポケットから紙を取り出す。
「……これを」
「ああ……なんてことだ」
教授は手を震わせながら、紙を受け取る。
祈るように目をつぶって、私に頭を下げる。
「ありがとう、セリア嬢。なんてお礼を言っていいか」
「間に合って……よかったです」
ほっと胸をなでおろしていると、教授の瞳が潤みだす。
「見てくれ、あなた方の支援でできたアパートだよ」
そのアパートはスラム街となってしまった地区から、隔離されるように四方を生け垣が囲んでいた。
ここら辺は動物の糞尿が道路にそのままにされ、匂うと聞いていたが、そんなことはない。
五階建てのアパートは燦々と陽光を浴びて輝いていた。
アーチボルト教授は眩しい光に目を細め、力強く言う。
「今まで家がなく、道端に寝ていた人々を迎えいれる。明日に夢も希望もないという人々のホームだ! 居場所があれば、きっと、きっと、人は変われる」
アーチボルト教授は鼻をすすりながら、私に向き直りほほ笑んだ。
「セリア嬢、御礼カードはあるかね?」
「ございます⋯⋯」
私は万年筆と共に、カードをそろえて教授に渡す。
教授は穏やかに笑みながら、さらさらと流麗な文字を書いた。
「君に。今日という日を忘れないよ」
教授のカードには、こう書かれていった。
――御礼カード
セリア・エバンス殿
今日、あなたに出会えてよかった。
記憶に残る、おもてなしをありがとう。
――ベン・アーチボルト
金のひとつ星が輝くカードをもらえ、私は目を大きく広げる。
またひとつ、ホテリエの勲章をもらえた。嬉しい……。
喜びを声にのせた。
「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
私は深々と頭をたれ、ホテルに戻った。
ホテルの入り口をくぐると、ドアマンが心配そうに私に近づいてくる。
私はにっこりとほほ笑んだ。
「間に合ったわ」
「よかったです」
ドアマンが笑顔で小さくガッツポーズをする。
受付に戻り、お客様がいないところで他の従業員たちにも報告する。
みな、一様にぱっと花が咲いたように笑って「よかった」と言ってくれる。
最高のおもてしができた。
それを従業員と喜び分かち合う。
お客様からの笑顔も嬉しいが、スタッフの笑顔もご褒美だ。
ホテルで仕事をしていてよかったと思える瞬間だ。
私はこれからも、彼らと一緒にホテルを守っていきたい。
お客様に【最高のおもてなし】をしていきたい。
***
仕事が終わって家に戻った私は、大急ぎで支度をしていた。
今日は、フィンさんを晩餐に招待している。
そのため、ドレスアップ中だった。
マーサにコルセットを引き絞ってもらい、マーマレード色のドレスをまとう。
胸が大きく開いていて、襟元はフリルのレースが飾られていた。
編み上げた髪がほどけていないか気になってしまい、私は何度も鏡の前でチェックする。
「マーサ、私、へんじゃないかしら……?」
心配になって言うと、マーサはドレスを縫い合わせながら、ころころと笑う。
「とってもお似合いですよ。フィン様もきっとめろめろでございましょう」
そう言われても、彼の前でドレスを着るのは初めてだ。
やっぱり不安で、鏡から目を離せずにいる。
「お支度ができましたよ。テーブルに花を飾ってまいりますわね」
そう言ってマーサは立ち上がる。
「私も手伝うわ」
ダイニングに行き、白いテーブルクロスに銀食器が並んだテーブルを眺める。
アジサイの花を生け、準備が整ったところで、チャイムが鳴った。
マーサと一緒に彼を出迎える。
フィンさんは腕の中に向日葵の花束を持ってきてくれた。
「お招きいただきまして、ありがとうございます」
そう言って彼は中折れ帽子を取る。
彼の姿は一緒に選んだスーツ姿だ。
想像していたよりも、ずっとかっこいい。
ぽーっと見とれてしまう。
「セリアさん、こちらを」
彼に向日葵の花束を渡された。
元気な黄色い花に目を細める。
「ありがとうございます」
「それと、こちらも」
彼がかばんから取り出したのは、黄色い包装紙にラッピングされたプレゼントだった。
「スズランが刺繍された白い手袋にしました。今度、出かけるときに付けてきてください」
その言葉に、胸が膨らんだ。
嬉しくて、顔がとろけてしまう。
「ありがとうございます。ぜひ」
彼も嬉しそうにほほ笑むと、マーサが彼のかばんと帽子を丁寧に預かって先にダイニングへ行ってしまう。
「どうぞ、上がってください」
彼を招き入れると、ふいに距離が近づいた。
「今日のセリアさん、とてもお美しいです」
私だけに聞こえるようにささやかれる。
その声の艶っぽさに、心臓が高鳴り、首裏まで熱くなってきた。
「フィンさんも……よくお似合いです」
私は彼を見上げて、はにかむ。
「かっこいいです」
すると彼は無邪気な子どものような笑顔を見せてくれた。
ダイニングに行くと、祖母の肖像画があった。
太陽のように艶然とほほ笑む祖母に彼は一礼して、テーブルに着く。
「さあ、いっぱい食べてくださいまし! 今夜はごちそうです!」
マーサが張り切って言い、ジョージが私たちに給仕してくれる。
最初に出てきたのは、スティルトンが乗ったビスケットだ。
ピリッと刺すような刺激的なブルチーズのスティルトンは、甘いビスケットと合わせると、なんともまろやかで優雅な味わいになる。
甘いポルト酒にたしなみながら、私は彼とずっと話し込んでいた。
「次はどんな、お菓子を食べにいきましょうか?」
私が尋ねると、彼が目を細めて、提案をしてくれた。
「今度、エルダーフラワーのゼリーを一緒に作りませんか? 母のレシピなのですが、夏らしくて爽やかなんです。セリアさんにも食べてほしいです」
愛しい思い出を共有してくれる彼に、胸の奥が高揚した。
「ぜひ。一緒に作らせてください」
まだ知らないお菓子に心を躍らせながら、彼と約束を交わす。
暑い夏の日、私はホテルで生きて、恋をしていた。
主人公視点のエンドです。約一ヶ月間、追いかけてくださって、ありがとうございます。爆速でスタンプが付くのが励みでした!
あと1話、フィン視点のエピローグで完結です。最後までお楽しみいただけますように。




