【幕裏】 フィン視点 ③
僕は夫人に名刺を渡し、胸に手を置いて名乗った。
「エバンス家のファミリー顧問弁護士、フィン・マッケンローです。セリア嬢の件は、僕を通してお話ください」
にこりと愛想よくほほ笑むと、夫人は扇子を広げて口元を隠し、訝しげに僕を見た。
「たかが弁護士が口をはさむ権利はございませんわ」
「いいえ。僕は故・ヘレン・エバンス様の遺言により、セリア嬢の婚姻に関する調査依頼を承っておりました。ベラ・クロージット夫人。ずいぶんと資金繰りに困っていらっしゃるようですね」
涼やかに言いながら、素行調査を夫人に見せた。
そこまで調べ上げていると思っていなかったのだろう。
夫人は扇子を投げ捨て、食い入るように紙を両手で持ち、肩を震わせていた。
「このままでいくと、あなたは修繕費未払いで契約違反、管理会社から訴えられてるでしょう。その場合、あなたは裁判で大衆の目に晒される屈辱を受けることになりますが、弁護士に知り合いはいますか?」
いないことが分かっていながらの質問だ。
僕の予想通り、夫人は口を引き結んだ。
「僕があなたの代理人として、債務処理をいたしましょうか」
それから夫人にこんこんと説明した。
ウィリアム氏の負債は、債務者監獄に入れられるほどだ。
都市の真ん中には、刑務所がそびえ立っている。
絶え間なく流れ来る人々をせき止めるように、四方を壁で囲まれた監獄だ。
債務者は警察によって取り調べを受け、あの手この手で借金を返済させるための尋問や、手続きを行われる。
監獄に入れられたら、お金を払い終えるまで出てこれない。
「僕にお任せいただければ、あなたの名誉を守りましょう」
筋書きは、夫人はひとり息子を刑務所に入れないために、自分の財産をなげうって助けようとした、というものだ。
これは家系を重んじる社交界にとって、夫人の名声を上げるものだ。表面上は。
夫人は首都から去ることになるが、夫人の名誉欲は満たせるだろう。
夫人の名誉などもはや首都の社交界では存在しないが、それはさしたる問題ではない。
要は、夫人が僕の案に乗って、ありもしない名誉に酔いしれながら首都を去ってくれればいい。
夫人への憎しみは、その目的が果たされれば、今は捨てておく。
「いかがでしょう?」
滑らかな声を出していうと、夫人は僕を訝しそうに見て目を細めた。落とした扇子を拾いあげ、さっと広げる。
「どうしてわたくしにそこまでおっしゃるの……? セリアさんの差し金?」
「まさか。あなたがたとエバンス家が円満に離縁するためです。僕のことを疑うのなら、弁護士費用はすべてが終わった後でよろしいです」
「結果に不満なら、……お支払いはしなくてよ」
「結構です」
淡々と言うと、夫人は警戒心を解いたらしい。
「ひとまずお願いしようかしら」
「ありがとうございます。では、場所を変えましょう」
セリアさんの家にいつまでもいるわけにいかない。
僕は心配そうにしているマーサさんに軽く笑みをこぼし、礼をすると夫人と共に家を出た。
夫人の邸宅にお邪魔した。
腐っても中流階級というべきか、夫人の邸宅は三階建てのタウンハウスだった。
そこではお抱えの従者、メイドたちがいて、僕が弁護士と名乗ると低姿勢で出迎えてくれた。
「カールがうちの一切を管理しておりますから、彼に聞いてくださいまし」
夫人はそういうと、部屋に引きこもってしまう。
カールと呼ばれたのは初老の男性だった。
腰が低くすぎるぐらい低く、後頭部が禿げていて、どことなく哀愁が漂う雰囲気だった。
「債務整理をするために来ました。必要な手続きはすべて僕が致します」
最初はおどおどしていた従者も、膨らむ債務に頭を悩ましていたのだろう。
おずおずと帳簿を出して、低姿勢で僕にお願いしてきた。
「ウィリアム坊ちゃんの負債をカバーしきれません。タウンハウスの賃料も滞っております。奥様には、引き払うように言っておりますが……」
「夫人のプライドがそれを赦さないのでしょうね」
「……ええ」
従者は諦めたようにつぶやいた。
帳簿を見る限り、従者の指摘通りタウンハウスは引き払わないとダメだろう。
「なんとか家を建て直す方法はありませんでしょうか……このままでは亡き旦那様に申し訳が立たたないです……」
「最善を尽くします。ですから、包み隠さず、あらゆる資産を見せてください」
「かしこまりました」
問題は、ウィリアム氏本人が僕に債務処理を頼むかだ。
僕は従者にお願いし、手続きのため彼のアパルメントを訪れた。
予備の鍵を預かっていた従者とともに、彼の部屋に入った。
ひどい有様だった。
ものは散乱し、アルコールの匂いで満ちている。
ウィリアム氏は酒瓶を抱えて酔っぱらっていて、従者が思わず声をかけていた。
「ウィリアム坊ちゃま! そんなにお酒を飲んではお体に触ります!」
「ああ、なんだ。カールかぁ。ほっといてくれよお」
セリアさんを泣かせ、傷つけた男の末路がこれか。
生き恥を晒すウィリアム氏に、嫉妬していた感情は急に冷えていった。
この男は不要だ。
「ウィリアム氏、僕は弁護士のフィン・マッケンローです」
穏やかな声で話しかけると、ウィリアム氏はぎょっとした顔で僕を指さした。
「おまえっ……その顔、知っているぞ。セリアの浮気相手!」
憎悪に濡れた瞳で見られ、一瞬だけ動揺した。
まるで僕の思いを見透かされたような気がしたからだ。
「僕のことをご存じで?」
「セリアと一緒に、出歩いていただろう! ぼ、僕は見たんだ!」
見られていた。
といっても、セリアさんとの関係は僕の片思いにすぎない。
彼が指摘する関係には、一切なっていない。
「それは誤解です。僕はエバンス家のファミリー弁護士ですから」
「じゃあ、どうしてふたりでいたんだ! 浮気だろう!」
「娼館通いをされていたあなたに比べたら、健全なものです」
「くっ……うるさい!」
ウィリアム氏は立ち上がり、僕に殴りかかってこようとした。
口で言い任せられないから、感情的に暴力に走る。
彼は典型的な小物だ。
振り上げられる拳を見ながら、ふと、ボクシングファイトをしていた時代の退廃的な感情が沸き上がった。
この男を黙らせたい。叩きのめしたい。
どす黒い感情に飲まれながら、僕は拳を避ける。
彼の腕を取ったとき、不意にジョージさんから教えてもらったことが蘇る。
――急所を狙いなさい。仕留めるなら一発で。乱打は体力を消耗して、無駄です。
鋭利な声に、ふと口の端が持ち上がった。
僕は躊躇なくボディに一発、拳をねじこませた。
彼はうめき声をあげ、腹を抱えて床にうずくまる。
僕は襟元を正しながら、それを冷ややかに笑った。
「ああ、失礼。痛かったですか?」
肩ひじを床につけ、うめくウィリアム氏に僕はささやきかけた。
「あなたはこのままでは重度の債務者として、刑務所に連れていかれる可能性があります。僕が、あなたの債務処理を引き受けます。そうなれば、あなたは刑に服すこともないでしょう」
僕は彼に選択肢を突きつけた。
「浮気相手と罵った相手に助けてもらうか、それとも拘留されるか、今、決めてください」
ウィリアム氏はぐっと顔を引き結んで、無言を貫いた。
ならば、手を貸す義理もない。
後日、警察官に捕まり、拘置所で裁判を待つことになった。
彼は自分で、尤も自身の名誉を傷つける道を選んだ。自業自得だろう。
クロージット夫人は息子の拘留に、自身の身が危ないと感じただろう。
最後は、僕に全部、任せてくれた。
不動産物件を手放し、都市から去っていった。
あとは彼女の債務処理をして、裁判所で手続きをすればいい。
しかし、それには時間がかかる。
乱雑なままだった帳簿、そして資産の全容を提示しないと裁判所は納得しない。
それに時間をとられ、僕はセリアさんに会なくなってしまった。
次回からセリアとフィンの恋愛ターンになります。引き続き、お楽しみくださると嬉しいです。




