【幕裏】 フィン視点 ①
『お嬢様に危機。来てください。』
マーサさんから電報を受け取った瞬間、心臓が止まるかと思った。
事務所にいた僕は、すぐにコートを着て辻馬車を拾い、セリアさんの家に急いだ。
家の前にはマーサさんがエプロン姿で立っていて、不安そうに通りを見ている。
僕の姿を見ると、転がるように走ってきた。
「まあ、フィンさん! 来てくださったのですね。ありがとうございます」
「セリアさんは大丈夫ですか?」
礼を言うのも忘れ、僕はマーサさんに尋ねる。
概要を聞いて驚いた。
ウィリアム氏の母親が突然、来たというのだから。
ジョージさんが後をついていったそうだが、彼女が傷つかないわけない。
あんなに泣いていたのだから。
また彼女がひとりで静かに泣いていないか気が気でない。
せっかく元気になってくれたというのに。
彼女を乱そうとするウィリアム氏たちが腹立たしかった。
「お嬢さまの気持ちを尊重したいのですが、あの母親、話が通じる相手とは思えません。まだ何かありそうな気がして……」
「賢明な判断です。呼んでくださってありがとうございます」
マーサさんに声をかけても、彼女の憂いは晴れない。
気持ちは痛いほど分かる。
「……待ちましょう。セリアさんは、前よりずっと頼もしくなっていますから」
そう自分に言い聞かせるように、マーサさんに言う。
何もできない、ただ待つしかできない時間をじれったく思っていると、黒いコートを着た女性がこちらに向かって歩いてきた。
「お嬢様!」
マーサさんが駆け出し、僕も歩き出す。
セリアさんは涙を流しながら、歩いていた。
でもかつて見た今にも消え入りそうな姿ではない。
足取りは力強く、きゅっと上がった眉には強い意志が見える。
戦ってきた。そして勝って帰ってきた。
ウィリアム氏と決別できたという清々しい報告を、その表情は物語っていた。
近づいて声をかけると、彼女は泣きながらも、僕に力強く笑いかけてくれた。
その青空に似た晴れやかさに、僕まで彼女を抱きしめたくなる。
彼女から放たれる美しさを、自分の腕で感じたくなった。
ぐっと握りこぶしを作り、思いを留める。
僕が抱きしめたりしたら、驚いてしまうだろうから。
だからせめて、気持ちが伝わるように声をかけた。
「よく頑張りましたね」
そう言うと、彼女は唇を震わせながら、それでも僕に笑いかけようとする。
泣くまいと切なく震える口角を見て、愛しさが募る。
目を伏せ、僕は心の中でヘレンさんに謝った。
――ヘレンさん
僕はセリアさんを好きになってしまいました。
でも、彼女が嫌がることはしないと誓います。
だから、思うだけなら許してください――。
瞳を開き、僕が来て恐縮しているセリアさんに声をかける。
「いえ。呼んでくださって嬉しいです。中で詳しいことを聞いてもいいですか? 僕もセリアさんの力になりたいです」
それから全員で一度、部屋の中に入った。
暖炉であたたまった客間に通され、マーサさんがお茶を淹れてくれた。
「カモミールティーをご用意しました」
白い陶器のティーカップの中に、琥珀色のお茶が注がれていた。
「落ち着きますわよ」
マーサさんは鈴が鳴るように笑い、一礼して部屋から去っていった。
セリアさんはティーカップに手を添えて、小さな口でお茶を飲む。
翡翠色の瞳が、とろんと溶け出し口元には笑みが浮かんでいる。
リラックスした表情を、僕は見守っていた。
ふと、彼女と目が合う。
僕がお茶には手をつけないことが、ふしぎだったのか、彼女は小首をかしげて尋ねてくる。
「お茶……冷ましているのですか?」
意外な質問だった。僕まで目を丸くする。
セリアさんはふふっと軽やかに笑いながら、ティーカップをソーサーに置いた。
「以前、コーヒーが熱いとおっしゃっていたので」
「ああ……」
猫舌と告白したことか。
お茶どころではなかったのだけれど、難しい顔をしていたから、そう見えたらしい。
少し、照れくさい。
「そうですね。冷ましています」
「まあ、ふふっ」
楽しそうに笑うセリアさんを見て、僕の緊張もほどけていく。
彼女が笑うと空気までもが柔らかくなる。
僕はティーカップに指を絡ませ、お茶の香りを楽しむ。
りんごに似た甘い匂いを感じながら、ひとくち飲んだ。
優しい味が口に広がる。
そして片目を閉じて、僕はセリアさんに向かって笑った。
「ちょうどよくなりました」
笑いのツボに入ったらしく、セリアさんは口元を手で隠しながらも、鈴を転がすように笑った。
彼女がリラックスしたところで、マーサさんとジョージさんが同席の元、詳しい話を聞かせてもらった。
とはいっても彼女の中では終わったことなのか、ウィリアム氏と、その母親とのやりとりを詳細に知ることはできない。
でも、ウィリアム氏が隠れて女性を連れ込んでいたという話は、呆れてものが言えなかった。正直、不快だ。
マーサさんは発狂していた。
「まああああ! なんて男ですかっ!」
ジョージさんは無言だが、殺気立っていた。
「乗り込めばよかったです……」
そう低い声で呟いていた。僕も同じ気持ちだ。
セリアさんは割り切った顔をしているから、彼らを赦しているにすぎない。
僕らの感情の乱れに、セリアさんは驚いたのだろう。
「もう、終わったことです」
そう穏やかに、ほほ笑んでいる。
その笑顔に、僕の方が癒されてしまう。
ウィリアム氏に感じていた怒りが、静まっていくようだ。
彼女はこんなにもきれいに笑う人だっただろうか。
それとも、ウィリアム氏との関係を清算できたから、蕾が花開くように笑うのだろうか。
彼女を傷つけ、変化させるウィリアム氏に、苛立ちと嫉妬を覚えてしまう。
それを悟られないよう、僕は笑みを顔に貼り付けた。




