第七章 破局 ②
石畳の細い道を歩いていく。
通りには誰もいなくて、夫人の大きな声が響いていた。
やがて、白い外壁のアパルメントが軒をつらねている。
一〇五号室と書かれた家の前で、私たちは立ち止まった。
夫人がスカートの裾を指でつまみながら半地下になっている階段を先に降りていく。
ドアベルを鳴らすと、ジリジリと低音が響いた。
しばらく待ってみると、ゆっくりとドアが開いた。
「は?」
夫人が声を上げて、現れた人物を見る。私も驚いた。
だって、ウィリアムではなく女性だったから。
波打つブロンドに、目鼻立ちがはっきりしていて、唇は厚ぼったい。
でも、ガウンを肩にかけて腰ひもを結んだだけの格好だった。
はだけたガウンからコルセットが見え、目を覆いたくなる。
豊満な胸元があらわになっているという奔放さ。人を出迎える格好ではなかった。
「な、な、なっ! なんて、下品な!」
夫人は口元を覆い、顔をしかめる。
女性も顔をしかめ、夫人と私を交互に見た。
足のつま先から、顔までぶしつけに眺めて、けだるげにドアの縁にもたれかかる。
「おばさん、誰?」
「あなたこそ、誰なの⁉」
毛並みを逆立てた野生の猫みたいに肩をいからせて、夫人が絶叫する。
女性はけだるそうに髪をいじりながら、夫人を見ずに言った。
「ウィリアムに用なの? 彼、中にいるわよ?」
「誰なのか言いなさい! わたくしは、ウィリアムの母親よ!」
夫人が髪を振り乱しながら叫ぶと、女性は舌打ちをしそうな顔をした。
「……母親が来るなんて、聞いてない」
「いったい、誰なの⁉ 答えなさい!」
地団駄まで踏み出した夫人に、女性はめんどくさそうに扉を閉めた。
「あ、ちょっと!」
夫人は扉を開いて部屋の中に入っていく。
一体、これはなにかしら――。
意気込んできたのに、茶番劇を見ているようで気持ちが冷めていく。
私は小さく嘆息し、部屋の中に入った。
「ウィリアム! どういうことなの⁉」
夫人の姿が見えないけれど、声だけは聞こえる。
細い廊下の先、居間に彼らがいるようだ。
私が歩いていくと慌ててズボンを履いているウィリアムの姿があった。
その滑稽な姿を見て、冷え切った心が厚い氷みたいに固くなる。
彼が何をしていたのか一目瞭然だ。
けれども、それでイライラすることはあっても、悲しくはない。
私にとって彼は『どうでもいい人』になってしまったのだろう。
「なんて格好をしているの! この方は誰⁉ どういうお付き合いなの⁉」
「いきなり来るなんて聞いていないよ! 僕だって、予定があるんだから!」
「なにが予定ですか! あなた、セリアさんと婚約しているのよ! 分かっているの⁉」
夫人は息子の醜態に発狂して、女性はコートを羽織っていた。
着替えた女性はウィリアムを見て、けだるげに言う。
「母親が来るなんて、聞いていない。面倒はごめんよ。帰るわね」
「あ、ヴィヴィアン。待ってっ」
「ウィリアム! 説明しなさい!」
「かあさんは黙ってくれ!」
女性は、私の横を通り過ぎた。ちらっと見られたが、何も言う気にもなれない。
そのまま、彼女は部屋を出て行ってしまった。
彼女を見送ると、中途半端にズボンを履いたウィリアムと目が合う。
碧眼は泳いでいて、震えあがっていた。
「セリア、どうして……」
ウィリアムはハッと我に返り、夫人を罵った。
「かあさんが連れてきたのか! 余計なことをしないでくれ!」
「何を言っているの⁉ あなたがしゃんとしないから、わたくしが気を効かせているんじゃない!」
これでは埒が明かない。
私は目を据わらせながら、ウィリアムに近づいた。
改めてみると、どうしてこの男が好きだったのか、分からなかった。
「ウィリアム、ごきげんよう。私と話をせずに逃げて、女性と会っていたのね」
ウィリアムが両肩を跳ねらせたあと、急に眉を吊り上げた。
「君だって同じことをしていたじゃないか!」
中途半端にズボンを履いたまま腕組みをした。
「ヴィヴィアンは友達だ。友達に話を聞いてもらったんだ!」
「ズボンも履かずに、何を話していたの?」
淡々と尋ねると、ウィリアムは目を泳がせた。
夫人が私の横に立って、まくし立てる。
「セリアさん、ごめんなさい。この子、あなたのことが本当に好きで嵌めを外しているだけなの。若いうちは、ほらね。こういうこともあるものだからね。あなただって、男性と会っていたのでしょう?」
ウィリアムが大きくうなずく。
それで自分のことを正当化しているつもりなのだろう。
小さな男。そう思って、エレナさんの言葉を思い出した。
――分かってもらうって感情は捨てたの。
私ももう、彼らに分かってもらわなくていい。
謝解されたままでいい。
自分の身は潔白だと叫んだところで、彼らは都合よく解釈する。
そういう人たちだ。
「よくよくわたくしから叱っておきますからねっ ウィリアム! あなたも謝りなさい!」
夫人が叫んだが、ウィリアムは口を引き結んで黙ったままだった。
情けなくうなだれている。
その姿を目に焼付けるように、私はウィリアムから視線を外さなかった。
両目を開いて、しっかり見ておこう。
こうなったのは私の責任。
「別れましょう、ウィリアム」
不甲斐ない過去を見ながら、私は笑った。
「恋人が浮気をしたら、別れる。――よくある話でしょう?」
小首をかしげて、意地悪く。
趣旨返しで「よくある話」と言った。
本日、9話、更新しております。引き続き「よくある話」をお楽しみいただけると幸いです。




