第五章 温度 ②
次の週末は、呼売人からジンジャー・ビスケットを買った。
ふたりで公園に行き、ベンチに座って食べた。
ジンジャー・ビスケットは焦げ茶色の丸いクッキーで固かった。
歯を立てて食べると、ざくざくとした食感に最初に砂糖の甘さが来る。
でも、だんだんと生姜の味が広がってきて、辛くてびっくりした。
手が震えて、悶絶してしまうほどの辛みと甘み。
息がジンジャーになってしまったみたいだ。
舌がひりひりするのを感じながら、フィンさんを見ると、ものすごく真剣な目で味わっていた。
黙々と食べている姿に、笑ってしまう。
「フィンさんは、お菓子を真剣に味わうのですね」
ほほ笑みながら言うと、彼は目を細めて私を見た。
その視線は、どこかで見たことがあるものだった。
祖母やマーサと同じ、痛みを知っている人の眼差しだ。
「……母が、よく作ってくれていたんです」
彼は柔らかい声で、両親が病気で亡くなっていることを話してくれた。
弁護士の研修時代の出来事で、いっときは荒れて大変だったそう。
「勉強もせずに、路地裏のボクシングファイトに明け暮れていました」
今の彼からは想像ができないほどだ。でも同時に腑に落ちた。
彼は亡くした痛みを知っていたから、私に同情の眼差しを向けなかったんだ。
「お辛かったんですね……」
彼は辛そうに眉を寄せる。
でもそれはすぐにほどけて、穏やかな笑みに変わっていく。
「荒れていたときに、たまたまヘレンさんと路地でぶつかって」
「えっ……おばあさまと?」
フィンさんは笑いながら、肩を震わせた。
「ひどい顔をしていたんで、手当てをされたんです。ジョージさんもいて、逃げられませんでした」
それからフィンさんは祖母にこんこんと説教をされたそう。
「殴っている暇があったら、勉強しなさい。弁護士になったら雇ってあげるからって」
「……おばあさまらしいですね」
「ジョージさんからは、殴るなら一発で仕留めろとなぜか教えられました」
ぎょっとして、フィンさんをまじまじと見てしまう。
真剣に喧嘩の仕方を教えるジョージを想像してみる。
うん。しそうだった。
「……ジョージ、軍人だったそうで」
「そうなんですか?」
「たぶん、ほっとけなかったんでしょうね」
「真顔で熱心に教えてくださいました。へんな人だと思ってしまったんです」
フィンさんは思い出を語ってくれる。その表情に、さきほどまでの憂いはない。
それから彼は勉強をまた始めたそうで、資格を取ったあと、祖母を探したそうだ。
祖母はすぐに見つかったそうだけど、なんと祖母とジョージは彼のことをきれいさっぱり忘れていたそう。
「ええっ……忘れてって」
「助けた青少年少女が多すぎて、忘れたそうです」
「……ああ」
何も言えなかった。
祖母は私と同じ年齢ぐらいの少年や少女を家に連れて帰ってきて、食事とお風呂に入れることがあった。まだ子どもだった私は、知らない子にぎょっとしたものだ。
怖いと思った子もいたし、また会いたいなと思う子もいた。
フィンさんは家に来ていないそうだが、祖母が助けたひとりだったのだろう。
「……祖母がすみません……」
「謝らないでください。忘れていても、こうして顧問弁護士として雇ってくださいましたし。……駆け出しにヘレンさんに会ってよかったです。ずいぶん、鍛えられました」
弁護士になってからは、彼はお母さまが作っていたお菓子の味探しを始めたそう。
「ふと、食べたくなってしまって」
「そうでしたのね……今日のジンジャー・ビスケットは違いましたか?」
少しでも合うものならいい。
そう思って彼を見ると、フィンさんは目をとろけるように細めた。
「……微妙に違います。だけど、美味しかったです」
その笑顔にほっとする。悲しい思い出にならなかったらしい。
「また、食べにいきましょう。次は見つかるかもしれません」
素直にそう言うと、彼は無邪気に笑ってくれた。
「ええ、ぜひ」
***
曇天の日には、目にも鮮やかなリコリスキャンディーを食べた。
甘さと苦みが一気に鼻にぬけて、びっくりしてしまった。
食べ終わるとすーっと味が消えていって、ふしぎだった。
彼は「衝撃的な味」と笑っていたけれど、まさにその通りだ。
その日も彼は楽しそうだった。
お母さまの味でしたか? と聞きそうになって、口を閉じた。
何度も何度も聞いたら、フィンさんの傷口を広げるかもしれない。
相手が自分の痛みで悲しい顔をするのを、今は見たくはない。
忘れているのに、記憶にゆりうごかされて、動けなくなってしまうから。
だからフィンさんが楽しそうならいいのだ。彼の笑顔で私も安らぐ。
***
今日もまた、フィンさんとお菓子を食べた。
空気は冬に向けて急激に冷えてきていて、木々の葉が落ちていた。
落ち葉の広がった公園を私たちはのんびりと歩きながら、さっき食べたお菓子の話をしていた。
「コーヒーショップで食べたブラウニー、美味しかったですね」
「小ぶりなのに、どっしりとした味わいでしたね」
「食べごたえがありましたね」
くすくす笑い合いながら、私たちは歩く。
「一緒に飲んだ、コーヒーも美味しかったですね」
「……ちょっと、熱かったですけど」
思い出しているのか彼は口元を触る。
私も熱さを感じたが、彼にはもっと熱かったらしくて、しっぽを踏まれた猫みたいな顔をしていた。
「フィンさんは、猫舌なのですか?」
「……熱いものは、少し苦手です」
「まあ」
私は思わず口元に手を当てて笑ってしまった。
クールなフィンさんが猫舌。可愛い。
彼はひょいと両肩をすくめていた。そのしぐさに、ある光景が過る。
「おばあさまもコーヒーをよく飲んでいました」
彼の顔を映写機のように見ながら、思い出を黒い瞳に写す。
「ブラックが好きで、胃を壊すんじゃないかって思うぐらい飲んでいました」
彼はほほ笑みながら、思い出の続きを語った。
「僕の事務所にいらしたときは、ブラック・コーヒーをお出していましたね」
「フィンさんのところでも? でも、ときどきウィスキーを入れて、ホイップクリームをたっぷりのせたブラック・コーヒーを飲んでいたんです」
「くくくっ。それは初耳です」
笑う彼を見て、私もほほ笑む。
ふしぎだった。
彼と一緒だと祖母の思い出が軽やかに話せる。
悲嘆することなく、痛みに囚われることもなく、私は日常の延長線上で話せる。
私はこうして、祖母の話を誰かとしたかったのだろう。
それと同時に、気持ちにブレーキをかける。ホテルへの復帰は、何も進展していないから。座りが悪い。
できるなら、私はまたホテルに戻りたい。
そう、私はホテルで働きたい。
家にいて、マーサと一緒にお料理したり刺繍をしたりするのもいい。
フィンさんとこうして甘いものを食べるのもいい。
だけど、ずっと胸の奥がざらりとしている。
楽しいのに、楽しめていない。
このわだかまりが消えたら、もっとフィンさんとの時間が楽しくなりそうだ。私は、そうしたい。
「フィンさん……私、これからホテルを見て帰ります」
「……立ち寄るんですか?」
彼は驚いたのか、低い声を出している。
「ええ……お休みをもらっていますが、気になってしまって。外観だけでも眺めていたいんです」
「外観だけとは言わずに、一緒にロビーに入りませんか?」
「え……」
「お休みしているとはいえ、ホテルの方はあなたを邪険にしないでしょう。僕は何度かホテルに行きましたが、とても気持ちの良い人たちですから」
彼の言葉に勇気が沸いた。
「ぜひ」
公園を出て私たちはホテルに向かった。




