紀元3000年代の人々
紀元2000年代には 遺伝子操作だの人工授精だの いろいろな試みがなされた。
が、しかし、種としての多様性を維持しつつ 遺伝子レベルでの事故率を下げるなどということは なかなか思うようにいかず
(それこそ あちらを立てれば こちらが立たず の繰り返しで)
けっきょく 不具合が生じたときの責任をだれがいかにどのようにとるかということに関する明瞭な基準も作り出せなかった。
それゆえ、最終的には、人類の発生 つまり受精から妊娠・出産までの営みは、
昔ながらの 男女の愛情と信頼をもとに、人としての責任ある行為に任せることになった。
というのも、人工受精~人工培養システムは高コスト・ハイリスクの資源浪費型システムだったので
社会全体として考えれば、各自が責任を持って節度ある自然な営みを行うことが 最も経済的で長期安定性のある合理的な種の存続方法であると言う結論に達したのである。
すなわち、紀元3000年ごろには、一夫一婦制を基本に、人は婚姻により一家を構え、それから子を産み育てる社会に落ち着いたのだ。
そして 子供が成人したら離婚は可能。
子育て期間中は、夫婦仲がうまくいかずとも、夫婦として家庭を維持し 子供が育つ基盤を守ることが義務付けられた。
尚、出生直後に行われるDNA検査、これは 足の親指の先にパッチをあててポチっと1滴採取した血液を使って行なう各種検査の一つなのだが、このDNAデータはネットワークに登録され管理される。
それゆえ、婚外子が誕生した場合、遺伝的父親は即座に確定される。
その結果、不逞・不倫男は 断種の上で、強制労働につかされ、その賃金から まず子供の養育費が天引きされることとなる。
女性が 養育拒否した場合は、断種はされないが、以後 自分の収入から養育費分は天引きされ、
充分な稼ぎがない場合は 強制労働送りである。
一方、受精後~出産~子育て期間は、女性の医療費は全額無料、育児への参加度によって 女性への手当(お金)が支給される。
たまに 男性側から子育てをするから育児手当をという要求がでることもあるが・・
まず第一に母乳の出せない男が育児主担者となることはない。
第二に母乳で育った子にとって、母親こそが第一養育者であり親そのものなので、
父親が養育の主担者として認められることはまずない。
つまり育児手当は 育児主担者に支給されるのである。
もちろん 母乳の出の悪い母親もいるが、その場合は 補助的にミルクを使用する。
100%母乳で子育てする女性には、授乳手当が加算され、母乳の代わりにミルクを必要とする子には
ミルクが支給される代わりに 授乳手当は半額となる。
(なぜ ミルクで子育てしても授乳手当が半額支給されるかと言えば、哺乳瓶の消毒やらミルクの温めやら 人工乳での授乳は母乳育児よりも手間がかかるから、その労力分を授乳手当として支給するのである)
しかし、育児手当が出ないからと言って、結婚している男性が子育て労働を免除されるわけではない。
むしろ 家族の一員として 子育てに協力する責務がある。
(それは 直接的な育児労働をするのではなく、家事の主担者となったり、家政婦を雇う費用を夫が全額負担するなどである)
だからこそ、婚外子を設けた男は、家族の一員としての責任感なく子を作ったことへの刑罰として断種され、その一方で できた子供への養育責任をすべて金銭に置き換えて、確実に支払うわせるために、「強制労働による賃金からの天引き」という生き方を強制されるのである。
というわけで、人々は 禁欲的に生きるか さもなければ、早婚の傾向にあった。
子供達が 性教育に関して最初に学ぶことは、「男女の営みにおいて、100%確実な避妊は断種のみ」
「子育ての覚悟なく 肉体の交わりを持つことなかれ」であった。
ちなみに 男性への断種は、刑罰なので パイプカットではなく「ちょん切り」であった。
それゆえ 男児への性教育は、「母性への敬意・女性へのマナー教育」から始まり、思春期になれば、「性欲のコントロールと自制心の鍛錬」により締めくくられた。
もちろん、男子も女子も 性教育とは別個に、赤ん坊からの大人への成長の過程・対象児の年齢に合わせた大人としての接し方等々の「成長と子育て」学習も カリキュラムに組み込まれており、その学習を通して、子供たちは自分の存在と自分の変化を客観的に考えたり、その年齢に応じた各種の悩みに向き合い 家族や仲間と話し合いながら成長することを学んだ。
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前節で述べたように、紀元3000年代においては、人々は 生活のしやすい 温帯の平野部を中心に 家庭生活を営んでいた。
基本は、父母と子供が2~3人で1家庭であったが、
実際には そこに祖父母が同居することも珍しくなかった。
同居の祖父母というのは、父方の祖父母であったり母方の祖父母であったり臨機応変である。
場合によったら 父母それぞれの祖父母が同居、つまりじいちゃん二人とばあちゃん二人がいる家庭もあった。
第一次産業に従事している家庭では、 それぞれに割り当てられた 農地・牧場・森林・漁場のいずれかを管理していた。
そして 生産活動にあわせて 複数の家庭が協力しあって村という生産単位を形成することも珍しくなかった。
大家族で暮らす利点は、子育て中の家庭で 父または母が亡くなったときに、祖父母がその役割を代行しやすいことである。
欠点は 配偶者の一方と義父・義母との仲がよろしくないときには、家庭内の空気が悪くなることである。
それゆえ あくまでも 家族の基本は「両親と子」という2世代同居を基本としつつ
3世代同居に至るか否かは、若者たちが結婚前に 互いに深く話し合い、どのようが家庭を築くのか
よくよく話し合わなければならない重要項目の一つであった。
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妊婦さんの補助や子守りの応援は もっぱら祖父母の役目である。
祖父母の手を借りられないときは、若夫婦で手伝いの人を雇わなければならない。
そのことも踏まえて、配偶者選びと 婚約中の若者たちの結婚後の生活に関する話し合いは重要であった。
それゆえ、離婚はむつかしいが 婚約解消は珍しくない社会でもあった。
言ってみれば 婚約とは、結婚後の生活についてまじめに話し合いましょうという意思表示であり
婚約中の男女に ほかの異性が、私的な男女交際を求めることはNGであった。
ちなみに 婚約者に肉体関係を迫れば、断種である。
女性から男に迫ったケースはどうなるの?という点に関しては
男だったら そこはきっぱりと拒絶して、そのあとで 婚約解消すればよろしいということになっている。つまり女性に誘われたからという言い訳は成り立たない。
そもそも 現実問題として、男女ともに自活を基本としている社会であるので、女の方から結婚前に男と肉体関係を持つメリットはない。むしろ 感染と妊娠リスクの方が高い。配偶者無しの出産と育児は、女性側にとって経済的にも肉体的にも大きなダメージとなる。
婚前交渉に応じるような自制心の無い男は、結婚後も浮気する可能性大である。
というわけで、まともな女性ならば 結婚前に男を誘ったりはしない。
そして まともな男なら 断種という危険を冒してまで 婚姻外の肉体関係を持ったりしない。
言い換えるならば、婚約者も含めた異性と人目のないところで二人きりにならないのは、この社会においては、ごく当たり前の初歩的なマナーであった。
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歳をとって介助が必要になったときには 老々介護が基本であった。
つまり 生産労働の主体は若い世代の体力であり、年寄りは、知恵を働かせて 村や世界の調和に貢献することが期待されていた。
複合家族においては、子育てが終わった息子や娘に 介護してもらうこともよくあった。
早婚社会のメリットは、若者の子育て期間中は、年寄りが若夫婦を応援し
祖父母世代が介護を必要とするころには 孫が巣立って、子育てを終了した息子や娘の世話になることが 比較的容易であるという点である。
早婚社会といっても 婚姻年齢は男女ともに18歳以上、母体保護の観点からは20代での結婚・妊娠が推奨されていたが。
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子は、生まれて3年間は 家庭内で養育された。
次の3年間は 村の中を自由に行き来して、様々なことを学んだ。
6歳になると、学習機器が与えられネットワーク学習が始まる。
学習時間は 基本は 1日3時間からはじまり、本人の意欲と成績により徐々に その学習内容や学習時間は変化していった。
このカリュキュラムについては、センターに決定権があり、センターの決定に基づいて両親や村の者たちは 子供の教育に尽力することが義務付けられていた。
子どもの適正や家庭や村の状況によって、子供の中には10~12歳の間に、村を出て 街の教育センターに席を移す者もいた。
移籍した子供達は その後の学習の進展により、専門職として各地へ配属された。
配属先は 別の村での生産活動であったり、乾燥地帯での工業生産や 寒冷地帯でのネットワーク事業など さまざまであった。
中には 温帯地域の生産現場を巡回指導に当たる者もいた。
一方、村に残った子供達は、15歳~18歳になると、婚活かたがた見聞を広げるために、1~2年 別の村へ研修に出かけることが推奨された。
といっても たいていは 近隣の村へ出向くことが多かったのだが、中には本人の希望で遠方へ行く者もいた。
これは 近親婚を避けるための方便でもあり、出生の偏りを是正する措置でもあった。
また 運悪く 子供時代の家庭環境に恵まれなかった子供が、成長して新たな人生・自分にとってより望ましい人間関係を築くチャンスを手に入れるための貴重なチャンス=「巣立ち制度」でもあった。
村同士の付き合いのある近隣での研修は 当事者間の話し合いで成立したが
遠方に出向く場合は 中央コンピューター(と呼ばれる部署に勤務している人)がセッティングに協力した。
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子供達の学習や研修を差配する「センター」「中央コンピューター」というのは、
実は そこに勤務している専門職の人間達が ネットワークを利用して、教育活動や、各種斡旋を行っているのであった。
「センター」や「中央コンピューター」は 村の人々の生活全般を差配する行政職の代名詞でもあった。




