【1】なら、こうなるのも納得
巡航艇は、星域内での最終アプローチシークエンスに移行していた。
制御アルゴリズムによる自動減速処理が進み、船体の慣性軸がゆっくりと修正されていく。
ユン・ミレは艦橋区画のサブオペレータ席に腰を下ろし、前方ディスプレイに映る惑星の姿を見据えていた。
雲の層はまっすぐに水平で、都市の街並みは無傷のまま整っていた。
灯りがともる建物もあれば、横断歩道を渡る人影さえ見える。
ユンはその異様な美しさに違和感を覚え、AIへ問いかけた。
「この映像、予測と一致してる? 葬儀する星なのよね?」
問いかけると、即座に返答が返る。
【はい。一致率99.7%。黙示庁が保有する過去スキャンデータとほぼ同一です】
【ただし、赤外線観測では建物の内部熱源が確認されていません。生命活動も検出ゼロ】
人工知能の声音は変わらず無機的だったが、その内容は明らかに異常を含んでいた。
ユンはディスプレイ上にオーバーレイ表示された観測レイヤーに目を凝らす。
「……灯りが見えてるのに? それって、何かがおかしいってことよね」
可視光スペクトルでは都市の稼働を示す光がはっきりと映っている。
だが赤外線領域では、その光のほとんどが“存在していない”ことになっていた。
活動があるのに、そこには何もない──記録に残るべき現象が、まるで虚像のように空間に浮かんでいる。
「やっぱり、“見えてるもの”の方がおかしいのね……」
ユンは短く息をつき、座標確認用のパネルに指を伸ばす。
これは、通常の任務とは異なる。
記録不能指定星──《エクリノム》。
その名が黙示庁の航行記録に刻まれたのは、ほんの十数年前のことだった。
以来、複数回にわたり小規模な観測が試みられたが、いずれも“記録の定着に失敗した”という報告のみが残っていた。
「リプレイ・ベルト、最深域か……。なら、こうなるのも納得」
ユンは無意識に、スーツの胸元に手をやった。
《リカオン》は減速スラスターの点火を終え、惑星の静止軌道上に到達した。自動航法が終了すると同時に、船内にはわずかな慣性の収束波が響き、数秒間だけ重力補正フィールドが微かにゆらいだ。
ユンは胸元の手を引き下ろすと、姿勢を正してメインオペレーション画面を切り替えた。
《リカオン》は減速を終え、《エクリノム》の静止軌道上に入った。軌道計算はすでに自動航法が完了させており、機体は軽微な姿勢制御だけを繰り返している。
ユンはオペレーションシートの横に設けられた記録端末に向き直り、前回の観測ログを呼び出した。
「コマ、最新の再生ログ、特異点付近だけ切り出して」
【はい。探査機による第4層観測時、都市域南東ブロックで記録された断片です】
再生された映像は、上空から撮影された都市域の俯瞰だった。
整然と並ぶ高層ビル、舗装された道路、動きのない車列──あらゆる構造物が、まるで時間を止めたかのように保たれている。
都市には破損も汚れもなく、植物すら人工物のように配置されていた。
ユンはその光景に違和感を覚える。
「こんなに“整いすぎてる”街、どこにも存在しないわよ……」
画面上では、時折、光源のようなものが瞬いていた。交差点に点灯する信号、駅前の広告ホログラム、歩道を照らす街灯。
だが、それらは“誰もいない街”で、繰り返し同じ動作をしていた。
──同じ点滅。
──同じ映像。
──同じ光の揺らぎ。
全てが寸分違わず、ループしている。
「映像出力。これ、現実の映像じゃないわね」
【はい。空間固定型の全方位ホログラムと推定されます】
【映像ソースは不明。現時点で検出されている熱源・生命兆候はゼロです】
ユンは再び椅子に深く座り直す。肩越しに映る都市の光景は、きれいすぎるほど整っていて、だからこそ“作り物”の印象が強かった。
「前回の探査機が“記録できなかった”のも……、これなら分かる気がする」
ホログラムとして再生されている都市の映像は、おそらく誰かの手によって維持されていた。
しかしその映像には、発信源も管理者も存在しない。建造物の構造、配置、演出の選定すら曖昧だ。
唯一確かなのは、それが「誰かにとっての“理想的な都市”の記憶」であるということ。
「記録に残らないのは、対象が“実在していない”からじゃなくて……“記録すべき実体”が最初から存在しないからなのかもしれない」
記録士としての感覚が、そう告げていた。
ユンは表示を閉じると、意識を集中させるように目を閉じた。
《エクリノム》は、死んだ星だ。にもかかわらず──そこには、生きていた頃の姿が再現され、漂い続けている。
その意図も、目的も、発信元も、いまだ不明のまま。