【1】いつもそれ言うよね
惑星《ミラ=Nira》が視界に現れたとき、ユン・ミレは一瞬、言葉を失った。
青でも緑でもない──淡く揺らめく灰銀の球体。
その表面は滑らかで、雲ひとつ見えず、どこか人工的ですらある静寂な美しさを湛えていた。
「……ほんとに、海だけなんだ」
彼女はそう呟くと、座席の背にもたれ直し、船体前方のスクリーンに目を据えた。
《リカオン》は既に減速に入り、目標軌道への進入準備を始めている。
【降下予定ラインに異常なし。進行角、重力傾斜、すべて規定値内です】
サポートAI《コマ(K-0ma)》の冷静な声が、コックピットに満ちた。
ミレの担当艇として、彼女の航行を一貫して補助してくれる存在だ。
「気が重いの、察してくれてもいいんだけどな」
【察しています。しかし情緒的応答は、私の機能範囲外です】
「いつもそれ言うよね」
思わず笑みが漏れる。
ほんの一瞬、緊張がほぐれた。
視界の外縁に、別の船影が浮かんだ。
細身のシルエットが、遠巻きに同じ軌道へと侵入している。
【オラム導師搭乗艇、《マーニャ》より接続申請。開きますか?】
「うん、お願い」
通信が開かれると、数秒のラグのあと、しっとりとした男性の声が響いた。
『こちら導師オラム。《リカオン》、予定通りの到着を確認。軌道接近後、合同での降下準備に入ります』
「了解です。……無事に会えて、ちょっとホッとしてます」
『はは、それは私もです。音のない星への孤独な降下は、心に悪いですから』
そう言って微笑むような声色を残し、通信は終了した。
ユンは深く息を吸った。
それでも、どこか胸の奥のざわつきが消えない。
──音が、伝わらない。
それは事前報告書の中でも、繰り返し注意された《ミラ=Nira》の特異性だった。
水惑星でありながら、表層の液体層は音を吸収する性質を持つ。
音波はすぐに分解され、反響すら返さない。
この星に降りた者は、文字通り「音を失う」。
「……オラム導師、祈れるのかな」
ユンはそう呟き、再び椅子にもたれた。
導師の“祈り”は、音を通じて星の残滓と共鳴することで葬儀の導入となる──
だが、この惑星ではその導入儀式すら、成立しないかもしれない。
【補足:葬儀導師の技術的機能の大半は、音響共鳴によって成立しています】
【この環境では、従来の方式による祈りの再現率は、2.4%未満と推測されます】
「わかってる。でも、やってみなきゃ分からないこともあるよ」
【不確定性に基づく前向きな判断。ユン・ミレらしいと記録しておきます】
「やめて、そういうの」
半ば呆れながらも、彼女はふっと笑った。
それは、無音の惑星への小さな抵抗のようにも思えた。
やがて《リカオン》は徐々に高度を下げ、
その機体は、音の消えた海へと、音もなく沈み込んでいった──。