巻の九、たぶんこうだったんじゃないか劇場パターン
「――里珠さま」
いっぱい泣いて、泣き止んで。
しばらくして、暗くなってきた室の寝台で、尚佳が静かにわたしの名を呼んだ。
「お話ししたいことがあります」
「お話し?」
別に、改めて言わなくても、普通に喋ってくれればいいのに。
そう思うけど、尚佳の目はとても真剣で。これは普通の雑談じゃないなと予感させる。
「あの桃のことですが――」
ゴクリと喉が鳴った。
「あの桃は故国、皎錦国から贈られたものです」
「――え?」
皎錦国から?
「それって……」
問いかける声が干からびる。
「皎錦国は、桃の産地として有名です。こちらの国の状況を調べがてら、桃が贈られてもおかしくはありません。ですが……」
尚佳も、喉が乾いたのか、グッと息を飲んだ。
「申し訳ありません。毒を御前にお出ししてしまいました」
「いいの! いいのよ! 尚佳はどこも悪くない!」
「里珠さま……」
深く頭を下げた尚佳。その謝罪をあわてて遮る。
「だって。だって、尚佳は毒見、してくれてたんだよね? わたしのとこに持ってくる前に」
だから、わたしより先に倒れた。毒が遅効性だったから、桃は尚佳の警戒をくぐり抜けて、わたしのもとに来ちゃったけど。
でもだからって、尚佳は少しも悪くない。むしろ、感謝しなくちゃいけない案件。わたしのために、体を張ってくれてありがとうって。頭を下げるのはわたしの方!
「里珠さま。里珠さまが、桃を好物にしておられると、そのことを存じてるのはどなたですか?」
わたしが桃を好きだと知ってる人? それって……。
「確証はございません。ですが、今の里珠さまは、そういうものを贈られてもおかしくないお立場にあります」
すべてを語らない尚佳。
でも、語られなくても、わたしには伝わる。痛いほど伝わってきている。
故国、皎錦国から、特産品の桃が贈られた。
それだけなら、まあ「友好の証に?」みたいな贈答品としてとらえることができる。
けど、そこに毒が混ぜられていたとしたら――。
考えられる犯人パターンは四つ。
①朱煌皇帝。
わたしを寵愛する気ゼロのアイツ。
自分のお気に入りを後宮に入れたくても、わたしがその後宮の入口を塞いでる。だから、ちょいと桃に毒を仕込ませ、殺そうとした。
→でも、そんなことしなくても、「この女いらない」で、わたしを後宮の奥にねじ込めばご寵姫問題はクリアできる。それに、「気に入らない」で首を刎ねることだってできちゃうのが皇帝ってやつなんだから、毒を仕込むなんて面倒なことをする理由がない。なにより、私達を救うために医師を手配してくれたみたいだし。
②この国の臣下。
敵国からの贈り物女を嫌ってっていうパターン。
→でも、それって、「贈り物のせいで、皇帝がメロメロのダメダメ」になった場合に起こるパターンでしょ? 皇帝が骨抜きになる前に女を殺せっていう。わたし、今のところ皇帝をメロメロにもしてないし、そもそもお成りいただいたのもたった一回だし。嫌うより、「あの女、全然相手にされてないでやんの~(笑)」なんじゃない? ムカつくけど。
③皇帝のご寵姫。
あの女がいるせいで、わたくしが後宮に入れないじゃないの、ムキーっ! パターン。後宮に入れないと、子を産んでも皇子皇女として認められないってルールがあるから。それで、邪魔なわたしを排除しにかかった。
→けどこれも、たぶんない。わたしを殺さなくても「ねえ、わたくしを後宮に入れてくださいませ♡」って睦言混じりに皇帝に伝えればすむわけで。他国からの贈り物を殺すことで国際問題になるのは、皇帝ご寵姫共々避けたい案件だと思う。
④皎錦国。
一番。一番考えたくなくパターンだけど。
ハニトラとして送り出されたけど、一年過ぎても結果を出してないわたし。寵愛されてるわけでもない。ただの失敗作。
良く考えるなら、「かわいそうに。好物でも贈って慰めてやろう。毒は間違って混入しちゃった。テヘ♡」だけど。悪く考えるなら、「役立たずには死んでもらおう」。
役に立たないまま、敵国の後宮に居座られては、次のハニトラを送り込みにくい。それに、万が一わたしがハニトラだってことを知られたら。それぐらいなら、いっそ死んでくれたほうが――マシ?
あわよくば、わたしといっしょに、皇帝も桃を食べてくれたらラッキー。そうじゃなくても、わたしがコロッと死んでくれたら、「せっかくの友好の証が、朱煌国で毒を盛られて死んだ。なんてことしてくれたんだ」ってイチャモンつけて攻め込めるるし。
(――――――っ!)
そこまで考えて、総毛たった肌を抱きしめる。
わたしが桃を好きだってことを知ってるのは誰? わたしをここに送り込んだ人物は誰? わたしが死んでくれたほうが助かるのは誰?
嫌だ。
そんなの嫌だ。
考えれば考えるほど、答えは一つに収束していく。①や②だったらいいのに。
一番当てはめたくない顔が、声が、答えに当てはまっていく。
わたし、要らないの? 失敗したから要らないの?
もう戻ってこなくていいの? 戻れなくてもいいの?
作戦が成功したら、結婚してほしいってのはウソなの? 妻にってのはウソだったの?
(慈恩さま……)
毒が彼の知らないところで仕込まれていて欲しい。彼は知らなかったんだ。わたしが不首尾であったこと。それに焦った故国の誰かが仕組んだことなんだ。
そう思いたい。そう願いたいのに。
桃が好きだってことを知ってるのは誰?
たまたま毒を仕込むのに、桃を選んだだけかもしれない。桃は、あの国の特産品だから。でも、わたしの好物が桃だって知って、絶対食べるだろうって予想して仕込んだのだとしたら。
「里珠さま……」
さすっても落ち着かない鳥肌。カタカタと、歯の根が合わず音を鳴らす。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
信じたくない。信じたくなんかない。
信じたら、わたしの中のなにかが崩れてしまう。
「あともう一つ、よろしいですか?」
よろしくないよ、やめてよ尚佳。
そう思うのに。尚佳は話す覚悟を決めている。その真剣すぎる顔から、目を逸らせない。
「あの宰相、張慈恩はあたしの父です」
「――え?」
慈恩さまが? 尚佳の父? お父さん?
「やはり、聴かされていらっしゃらなかったのですね」
「う、うん。尚佳のことは、優秀な女儒としか……」
故国の桃園に居た頃に、慈恩さまから紹介された女儒。それが尚佳だった。口の硬い優秀な女儒だから、朱煌国でも役に立つ。そう言われてたんだけど。
「女儒ねえ。あたしには、『桃園の美女に仕えて、行儀作法を仕込んでもらえ』だったんですよ。張家の娘として恥ずかしくないようにって」
「行儀作法?」
「仕込んでもらってませんけど。だって、あのクソは、あたしをこうして里珠さまといっしょに送り込む手駒にしか思ってませんから」
く、クソ?
慈恩さまが「クソ」?
尚佳の口の悪さと、その扱いに目をパチクリさせる。
「あのクソは、当時下女だったあたしの母さんを、無理やり手籠めにして捨てたんですよ。で、母さんが亡くなったから、仕方なく引き取った。ちょうど、里珠さまといっしょに送り込む手駒が欲しかったから。そうじゃなければ、捨てた女の娘を引き取るはずがありません」
慈恩さまがそんなことを?
お父さんが死んで、お母さんに売られたわたしの身請けをしてくれた 慈恩さま。わたしの素質を見込んで、桃園で一流の女になるように育ててくれた、その彼が? わたしだけじゃなくて、娘まで手駒として扱ったの?
「そして、当然ですけど。あのクソには妻がおりますよ。あたしの知ってるだけで六人。子ども、あたしの異母兄弟は、数え切れないほどいますよ」
「そんな……」
言葉が喉につかえる。
「やはり、ご存じなかったんですね」
尚佳が、哀れむような目でわたしを見る。
そう。わたしはなにも知らされてなかった。
慈恩さまに妻がいることも。尚佳が彼の娘だったことも。
わたしは桃園で。彼について、何も教えてもらってなかった。
「これは、想像ですけど。里珠さま、作戦を成功させて国に帰ったとしても。――おそらくですが殺されます」
どうして?
尋ねたかったけど、言葉が口から出てくることはなかった。
訊かなくても、わたしにもその理由はわかる。
〝敵国の皇帝に抱かれた女。もしその身に敵の子を孕んでいたら?〟
妊娠の兆候があろうとなかろうと。
敵に寵愛された女を生かしてあげる義理はない。
それに。
〝我が国は、正々堂々と敵を討ち果たした〟
女で敵を籠絡するなど、卑怯なことを行うはずがない。だから、敵の寵姫となった女の口を封じる。
国家のメンツにかけて。わたしは確実に殺される。
――こんな危険なこと、君に頼むのは私も心苦しい。だけど、これは君にしか頼めないんだ。
そう仰ってくださった慈恩さま。
――この企みが成功したら。朱煌国を攻め滅したら。そうしたら、里珠。私の妻になってくれないか。
――私は、君を見つけたときからずっと君に惹かれていた。恋い焦がれていた。だから。二人で祖国を守ろう。私の計画、扶けてくれるね?
そう仰ってくださったから。だから、わたしは命をかけて、この国にやってきた。
この国を滅ぼせば、彼の妻になれると信じて。それだけをよすがに、頑張ってきた。
でも。
(――慈恩さま)
わたしの体の奥で、なにかがガラスのように、ガシャーンと粉々に砕けた音がした。




