巻の二十一、わたしの彼はサイキョウよ?
「ま、さか……、生きて……」
ガマの油もビックリなほど、汗をタラ~リタラリと流す慈恩。その干からびた声。「ウンウン、わかるよ。よぉくわかる」と頷きたい。
(わたしだって驚いたもん)
――余は必ず帰って来る。何があっても必ずな。
そう言い残して、洸州に出かけた皇帝。宣言されたからって、その通りになるって確証はない。だって、お出かけ先は反乱起こしてるんだし。〝皇帝〟なんていう、最高の賞金首(?)。肩にツンツントゲトゲ鎧つけてそうなのとか、裸体に鎖巻き付けてそうなのとか。そういうのに、「ゲヘヘ」とか「ヒッハー!」とか笑われながら、殺されるのがオチじゃん? 「待て、余には子が!」とか言ってもさ、「あぁん? 聞こえねえな! ぅオラぁ!」でモザイクかけたいような惨殺シーンが来るだけじゃない?
それなのに。
「余が生きていると、なにか都合が悪いのかな? 皎錦国宰相どの?」
慈恩の胸倉掴んで、剣を突きつける皇帝。
そのニヤッと笑った顔。どっちが悪者なんだかわかんないって。
「亡き皇帝の無念を晴らし、朱煌国の安寧を願い――だったか。だが、余は生きておる。この場合、どう取り繕うのかな?」
口をわななかせ、目を泳がせる慈恩。今、ヤツの頭は高速回転。必死に言い訳を作り出そうとしてるんだろうな。
「朱煌国の安寧。それにしては訃報からわずかな期間で、よくぞここまで軍を整えたな。その手腕、驚嘆に値するぞ」
皇帝の(ニセ)訃報は、二ヶ月前。
前世みたいに、テレビもスマホもない世界。情報は一気に広まったりしない。朱煌国国内でも、すべての地域に情報は伝達されてないかもしれない。それなのに、慈恩は時間がかかるはずの軍の編成すら安々とこなし、こうして攻めてきている。
忍びを使ったとしても、半端ないスピード。
あらかじめ、皇帝が死ぬことがわかっていたか。もしくは――
「おぬしの内通者は、すでに捕らえておる。残念だったな」
そう。朱煌国には、慈恩の内通者がいた。
洸州で皇帝が亡くなることを予定に組み込み、予め慈恩に軍を用意させ、情報を流し続けていた人物。
尚佳だけじゃない。慈恩はその人物を使って、朱煌国の内情を手に入れていた。そして、わたしに毒桃が渡るように手配したのも、その人物。普通、慈恩が贈り物として桃を用意したとしても、後宮奥深くにいるわたしに、桃が届くように手配するのは、協力者なしには難しい。
「クッ……」
「それと。おぬしの主君、皎錦国の皇帝は、なかなか話のわかる御仁だな。とても慎重で義に厚い。賢帝、名君たる素質をお持ちだ」
「なにを……した」
かすれた慈恩の声。
「なに、たいしたことはない。おぬしが、朱煌国の皇帝になりたいと思うておるかもな、と伝えておいた。あくまで〝かもな〟――だぞ?」
ニヤニヤニヤニヤ。
うわ。ド悪そうな皇帝の笑みだな。
「皎錦国の皇帝は、賢明だ。己の兵を使って他国を乗っ取ろうと企む不忠な家臣を、引っ捕らえてくれと言ってきた。そのための兵まで貸してくれる。まことに、良い方よ」
その言葉に呼応したように、ずっと黙って立っていた皎錦国の兵士が動く。――慈恩を捕らえるために。
――張慈恩は、敵の国家転覆を狙っている。
これだけなら、皎錦国の皇帝は動かない。長年のライバルである朱煌国を倒して、その地を手に入れるのは皎錦国の皇帝の野望の一つでもあるから。「兵を動かしたい? どうぞどうぞ、使ってちょうだいな」だっただろう。
でも。
――慈恩が朱煌国の帝位まで狙ってるとしたら?
事情は変わってくる。
美女を使って敵国を混乱させ、その隙を突いて敵を滅ぼす。
その作戦を立てたのは慈恩。わたしを贈って、作戦を実行したのも慈恩。
皎錦国の皇帝は、作戦を支持しただけ。
もしこれで、作戦が成功したら? 宰相である慈恩の株はバク上がりする。
それだけですめばいい。
朱煌国に贈られたのは、慈恩の手がついたかもしれない(ついてない!)女。この女を利用して、滅ぼした朱煌国の帝位に、慈恩が就いたとしたら? 自分の兵を使って、自分の臣下だった男が、隣国の皇帝に即位したら? 即位するだけじゃない。朱煌国の兵を使って、今度は皎錦国に攻め込んできたら?
宰相である張慈恩。皎錦国の内情、どう攻めたら倒せるか、すべてを把握されている。
――その張慈恩が朱煌国を手に入れたら?
もともと、皎錦国の皇帝は、堂々と戦をしかけるのではなく、女を使って敵をどうにかしようなんていう弱腰な作戦を支持するような人物だ。会ったことないけど、きっと肝っ玉の小さいヤツだろう。
そんなヤツに、〝猜疑〟の種を与えたら? 「もしかしたら?」は夏の入道雲のように、モクモクムクムク急激に大きくなっていくだろう。
「――皇帝陛下」
ザッと天幕がはね上げられ、追加の登場人物が現れる。厳将軍に似た鎧甲冑を身に着けた、たくましい風貌の壮年男性。おそらく皎錦国軍の真の引率者。
「この度は、逆臣張慈恩の捕縛への協力、誠にありがたく存じます」
拱手をもって、女官姿の皇帝に頭を垂れる。
「我が皎錦国に、貴国と戦う意志などございませぬ。そこなる菫青妃さまをもって得られた友誼を永遠に育んでいけたらと、我が主も仰せであります」
「そうか。それは善いことだ」
チンと小気味のいい音をたてて、皇帝も剣を収める。剣とその女官服の似合いすぎる幼顔と、皇帝らしい偉っそうな態度は、どれもチグハグだけど。
「我が国としても、貴国とは永遠の安寧を願いたい。共に手を携え、民の安寧と国家の繁栄を目指そうぞ」
「ハッ」
将軍と、兵たちが、感じ入ったように深く、深く頭を下げる。けど。
いい加減、卓から降りろ。そこでふんぞり返るな。行儀悪いぞ。
「――グッ。おのれぇ……」
地を這うような、地の底から湧いてきたような、低い慈恩のうめき。
「おのれ、おのれ、おのれぇっ!」
血走った目。噛み締めすぎた口の間から、血の混じったよだれも溢れる。
「おのれえええっ!」
自分を抑えつける兵士を、渾身の馬鹿力でふりほどいた慈恩。そのまま帯に挿してあった懐剣を引き抜き、突進してくる。
「――陛下っ!」
突然のことに、誰もが陛下を守ろうと動く。けど。
「里珠っ!」
一番乗りに身を挺したのは、わたし。
ズブと鈍い音がお腹に突き立つ。
「ハハっ、ハハハっ、フハハハハハっ!」
懐剣から手を離し、慈恩がヨロヨロと後退する。
「俺を、俺を嵌めるからだぞ。フハハハハハハハッ!」
わたしのお腹に深々と突き立った懐剣、それを指差し、愉快そうに笑い出した。




