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巻の十、賽はブン投げられた

 ――こんな危険なこと、君に頼むのは私も心苦しい。だけど、これは君にしか頼めないんだ。


 そう仰っていただいたのに。


 ――この企みが成功したら。朱煌国(シュコウコク)を攻め滅したら。そうしたら、里珠(リジュ)。私の妻になってくれないか。

 ――私は、君を見つけたときからずっと君に惹かれていた。恋い焦がれていた。だから。二人で祖国を守ろう。私の計画、扶けてくれるね?


 だから、ここで頑張ろうと思っていたのに。

 

 (ううん。わたし、わかってたんだ。あれがウソだって、わかってた)


 愛する人のために、命をかける。愛する人のために、敵を籠絡する。敵を滅ぼしたら、愛する人とのハッピーエンドが待っている。そのロマンチックな展開に酔いしれていた。


 (わかってたんだ。本当は)


 彼は皎錦国(コウキンコク)の宰相。わたしは貧しさに売られただけの女。

 身分が違いすぎる、相手にされないってわかってたんだ。けど、愛されてるって夢を見たかった。

 本当に、彼がわたしを慕ってくれていたのなら、あんな桃園に送り込まなくても、そのまま家に連れ帰って、妻として養育すればよかったのに。それをしなかったってことは、彼は、わたしを「使える手駒」としてしか見てなかったんだ。

 よりすぐりの美女を集めた桃園で。わたしを最高の体に仕立て、最高の教養と性技を身に着けさせた。それはこうしてハニトラに使うためであって、わたしを愛するためじゃない。

 計画が成功した後のことだってそう。

 計画が成功して、朱煌国を滅ぼしたとしても、わたしが故国に帰れるわけがない。

 皇帝を籠絡した女。それほど耽溺させていたのなら、孕んでいてもおかしくない。

 我が国は正々堂々と戦い、悪しき敵を討ち滅ぼしただのだと公言するためには、わたしは邪魔。

 朱煌国(シュコウコク)を滅ぼすドサクサに紛れて、わたしも殺す。わたしを殺した犯人は、……そうね。傾国の原因となったわたしに、朱煌国の民の怒りが向かったせいだとでもしておきましょうか。皇帝を溺れさせた悪女を、民が殺したとでも。


 (わかってたのに……)


 真実からずっと目を背けて、夢ばっかり見てた。

 愛する人のためにって、自分に発破をかけてた。

 けど。


 (これから、どうしよう……)


 ハニトラ失敗したわたしは、彼に毒を盛られるほど嫌われている。死んでくれと望まれている。失敗した作戦であっても、朱煌国(シュコウコク)にバレると不都合だから。

 作戦が成功したとして。この国が滅んだところで、彼はわたしを受け入れてくれるだろうか。――否。おそらく、「敵国の皇帝に抱かれた女」として処刑されるだろう。万が一、敵の子を身ごもっていたら面倒だから。


 (馬鹿だ。わたし)


 よく考えればわかったことなのに。大事にされてる愛されてるって幻に囚われて、こんな後宮まで来てしまった。こんなところまで来て、尚佳(ショウカ)を巻き込んでしまった。

 

 (尚佳(ショウカ)……)


 同じ寝台の上。月明かりに照らされた尚佳(ショウカ)の寝顔を眺める。

 わたしより六つ年下の尚佳(ショウカ)

 働き者で、よく気が利く子で。そばに居てとっても楽しい友だちみたいに思ってた。


 (今までわたしのこと、どう思ってたんだろう)


 「クソ」扱いしてたけど、自分の父親に懸想する女をどう思ってたんだろう。懸想して、利用されて、駒にされてた女を。

 呆れてた? 憐れんでた? それとも笑ってた? ううん。尚佳(ショウカ)はそんな子じゃない。ずっとそばに居たから。こんな敵地でもそばに居てくれたからわかる。尚佳(ショウカ)はそんな子じゃない。


 わたしの前に桃を食べたのだって、わたしを毒から守るためだった。もしかして万が一と、用心してくれていた。遅効性の毒だったから、尚佳(ショウカ)が食べた時点で変化がなく、そのままわたしのもとに毒桃を持ってきてしまっただけ。

 わたしが慈恩(ジオン)に惚れてるのを知ってたから、その想いを壊さないように、自分の出自を黙っていてくれた。けど、毒桃のことがあって、我慢できなくて、わたしにすべてを話してくれた。


 ――今まですみませんでした。


 眠る前、尚佳(ショウカ)は謝ってくれた。黙っていたことを。父親が騙してたことを。尚佳(ショウカ)が悪いわけじゃないのに。それでもキチンと謝ってくれた。そして。


 ――里珠(リジュ)さまがご無事で、本当によかった。


 最後は泣いてくれた。わたしが無事だったことに、心の底から喜んでくれた。

 だとしたら。


 (わたしが尚佳(ショウカ)にしてあげられることはなに?)


 父親にいいように扱われて、それでも必死にわたしを守ろうとしてくれた彼女に、わたしはなにがしてあげられる?


 窓の外、丸く白い月が夜空を藍色に染める。

 星さえも見えないその明るい夜空を見つめ、わたしは一つ、決意を固める。


*     *     *     *


 「尚佳(ショウカ)。悪いけど、髪を結い上げるの、手伝ってくれないかしら」


 翌朝。

 わたしは、尚佳(ショウカ)に手伝ってもらいながら、身支度をした。

 別に、最高のわたしになろうとかそういうのじゃない。普通に、普通の身支度をしただけ。簪も髪をまとめるだけの質素なものだし、衣だって刺繍の入ってない簡素なもの。最低限の化粧として口紅だけ塗った。

 団扇(うちわ)も持たないし、領巾(ひれ)も肩にかけない。本当に簡素な装い。寝起きそのままでもよかったんだけど、まあ、最後の意地として? 身だしなみだけはきちんとしておきたい。


 「じゃあ、ちょっと出かけてくるわね」


 「里珠(リジュ)さま……」


 「大丈夫よ。ちょっと皇帝陛下にご挨拶してくるだけだから」


 心配そうにこっちを見てくる尚佳(ショウカ)に、明るく笑ってみせる。

 出かける先は思清宮(シセイキュウ)。皇帝陛下の宮殿。

 わたしはそこに、医師を手配してもらったことへの謝辞を述べに行くだけ。それだけ。


 「じゃあね」


 菫青宮(キンセイキュウ)尚佳(ショウカ)を残して、一人歩き出す。


 (頬紅、さしておけばよかったかなあ)


 そしたら、緊張してるのもごまかせたのに。尚佳(ショウカ)を不安にさせてしまったことを後悔する。

 回廊を渡り、門をくぐる。

 この間はあわてて迷った末だったけど、今日はちゃんと正規のルートでたどり着く。後宮から人が訪れるなんて想定してないのか。思清宮(シセイキュウ)の衛兵は、ものすごくビックリした顔をしていた。


 「――菫青妃(キンセイヒ)(ヨウ)里珠(リジュ)。陛下に申し上げたき儀がございまして、罷り越しました。お目通り、お許しくださいませ」


 緊張して震えるのを必死にこらえ、朗々と声を張る。

 噤鳥美人(キンチョウビジン)の名にかけて。ここでブルっちゃ女が廃る!

 もう、後戻りはできない。何があっても前に進む!

 ここからが、わたしの一世一代の大仕事なんだから!

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