96.夜明け
俺は歳をとっていた。
皺皺の指はもう元気もなく、対照的に艶やかなジェシカ様の手は相変わらず柔らかく温かい。
あの日から何十年とジェシカ様の目覚めを待ち続けて、俺は歳をとったが彼女はあの頃のまま。
『俺が死んだ後に、あなたは目覚めるのでしょうか……それを考えると死んでも死にきれません。どうか、どうか、俺が力尽きる前に起きてください……』
手を握り自分の額へと彼女の手を引き寄せる。
どうしても、この手を離すことができなかった。
周りがなんと言おうと、俺は結婚はせず後継を育てた後に1人隠居した。思う存分魔法に浸かって研究に没頭し、何とか……何とかしてジェシカ様が起きないか手を尽くした。
その結果が、これだ。
俺が死んだら、ジェシカ様をどうしたらいい?
俺は孤独だ。
皆、理解できないと1人、1人と離れていった。諦めて普通の人生を送れと言った。親しかった者達も家庭を築いていき疎遠になり、今頃、孫達に囲まれて幸せに過ごしているのだろう。
あれは、誰だったか……
あぁ、そうだ。ジェシカ様の兄のオーラント、俺の親友も随分前に亡くなったんだ。
この頃、物忘れも酷い。
独り言だけでは痴呆も進むのか。
そういえば、ろくな物も食べてない。
眠い。
あぁ、俺のせいでジェシカ様に寂しい思いをさせてしまうかもしれない。
すみません、ジェシカ様……。
「すみません……」
「陛下?」
目を開ければ、見慣れた天井に侍従。
「また、夢……」
この頃同じような夢を見てしまう。疲れが酷い時ほどそれはよく見るのだ。
「大丈夫ですか?」
侍従の心配そうな声に「大丈夫」と返して、用意されたタオルを手に取って顔を拭いた。多分、見られてはいただろう涙も一緒に。
「陛下。お言葉ですが、少し休まれた方がいいのでは……」
「……いや、十分休んだ」
「ですが、毎晩こうもうなされていては……」
鏡に写った自分の顔を見れば、確かに頬は落ち血色はなく目の下には隈まであった。
でも、休むわけにはいかない。
「関税のことで協議すべきことがある。ここで揺らぎを見せれば今後に響く」
「ですが、1日休んだだけで大きくは変わらないでしょう?」
「……」
侍従の言う通り、1日休んだくらいでは国が滅ぶほどの事ではない。ただ、忙しくしていないとジェシカ様との未来を想像して、夢のようになるのではないかと不安が押し寄せるのだ。
「……いつものように軽い物を用意してくれ。後は自分でする」
「陛下……わかりました」
侍従は納得のいっていない顔で下がっていった。そんなに、酷いのか俺は。
用意された朝食を胃に流し込んで執務室へ向かった。まだ朝も早く王宮は動き出していない。そんな静かな朝が好きだった。これから動き出していくのが、明るい未来のように思えるからだ。反対に1日が終わってからの夜は嫌いだ。夜が深くなるにつれ、また終わらない夢が始まるのかと恐怖に苛まれる。
ペラペラと紙をめくる音だけが部屋に響く。
ちらほらと護衛騎士が交代の挨拶に来て、何人か書類の提出に顔を出した。
王宮が動き出す。なんだか、今日の朝は少し騒々しいような気がした。鳥の囀りが妙に耳に残る。
文官同士で昼からの会議に使う書類の整理をし、話し合う内容を確認している。時折、ちらちらと俺を見ては話を進めている。俺はそれを、ぼーっとした頭で聞いていた。
たまに何か確認のため、俺の方を向いて質問してくるが、全く頭に入っていなかった。
「それでは、陛下。よろしいですよね?」
「え?あ、あぁ、それでいいと思う」
何が良いのか分かっていなかったが、半分寝ていたなどと言えば失望されるに違いないと咄嗟に頷く。
文官2人は目を見合わせてから扉に向かった。扉を開ければ、仁王立ちで立っているオーラント。
「……なんだ、オーラント。また邪魔しに来たのか?」
「カルティアン侯爵様、言質は取りました」
「あぁ、ご苦労様。帰っていいぞ」
「?」
そさくさと文官が立ち去っていく。
うん?仕事は……?
「オーラント、おい、どう言う事だ、なぜ帰った?」
「馬鹿か。自分で今さっき承諾したんだろうが」
「は?」
「午後の会議は延期、お前はまず休むんだ」
「何の事……」
オーラントの後ろに心配そうに、でもどこかほっとしたような顔を覗かせる侍従に事の流れを理解した。
「やられた」
「半分寝てたのが悪い。それほど寝れてないんだろう?いいから、休め……それほど悪い事ではないはずだ」
「まぁ、休む事は悪くないだろうよ」
「そうだな、休む以外にも薬はあるはずだ」
「は?なんだよそれ」
ほれほれ、と部屋から追い出される。
やってきたのはジェシカ様の部屋。
バタン、と背後で扉を閉められて俺は背後を睨んだ。
最近は、あの夢を見るようになってからジェシカ様へ会いに来るのが怖くなって、足が遠のいていた。現実になるのではと、会いたくて仕方ないのに。
こんな情けない俺をジェシカ様はどう思うのかと溜息を吐いて、振り返ればベットに寝ているはずのジェシカ様がいなかった。
「……ジェシカ、さま?」
俺はベッドに駆けつけて、彼女の温もりを探した。
あぁ、現実になってしまったのか。
シーツをぎゅっと握って目頭を抑えれば。
ふわっと温かな温もりが俺を包み込んだのだ。
「リオン」
ずっと聞きたかった声がすぐ横で聞こえた。
俺の首に巻かれた腕は温かく柔らかくて、必死に腕を掴んでその手に口付ければ、くすくすと笑いながら揺れる腕。
「ほんもの……?」
夢じゃない?
後ろを振り返るのが、現実ではないと知るのが怖くて動けないでいたら、その手が俺の頬を包んだ。
「リオン……心配かけてごめんなさい……」
「っ、ジェシカ、さま」
喉から掠れた声しか出ない。
「起きてすぐにあなたを呼びたかったのだけど、もう、ずっとお風呂も入っていなかったし……その、綺麗な姿であなたに会いたく、っきゃあ!!」
ジェシカ様が悲鳴をあげた。
「おい、ジェシカっ、リオン!!何があっ……あ?」
「お、お兄様……」
見られているのも構わず、俺はジェシカ様を押し倒して開いた胸元に顔を埋めて、その鼓動と温もりと響く声を確認した。胸いっぱいに彼女の匂いを吸い込む。
「「「……」」」
「ごゆっくり」
「あ、ちょっと待って」
パタン、と扉が閉まって見上げれば顔を真っ赤にしたジェシカ様。頬に触れれば、ふいっと顔を背ける。
「……ジェシカ様、もっと顔を見せて下さい、もっと、俺を呼んで……」
「リオン……」
「もっと、俺を抱きしめて……俺に触れて下さい……これは夢じゃないと俺に、分からせて下さい……」
格好悪い。そう思っていても止まらない不安は言葉となって出ていった。
彼女から起き上がり座り込む。混乱した顔を見られたくなくて手で顔を覆っていたのに、そっと手を外された。
目の前には真剣な目のジェシカ様がいて。顔が近づいてきて、彼女の綺麗な目が近くにあった。
唇が触れる。
軽く重なって離れた温もりが恋しくて。もう一度触れた時には彼女の腕を掴んで離れないようにした。
唇が濡れている。
しょっぱいそれは、自分の涙だった。
俺は何度も何度も何度も。
彼女の唇に腕に肩に背中に、その存在を確認するように触れて抱きしめた。
やっと唇が離れた時には、お互い肩で息をするほどで。
くたっと、ジェシカ様の身体が崩れ落ちて、俺は慌てて抱き止め正気に戻る。
「あ、ジェシカ様、申し訳ありませんっ」
「……リオン、その、横になっても?」
慌ててベッドへ運びゆっくり下ろす。
病み上がりであろうジェシカ様に無理をさせてしまった。自分の不安を掻き消したいがために。
でも……。
「ジェシカ様……もう一度、俺を呼んでください」
今度は横になった彼女に言った。ずっと待っていたここで、この場面で確認しないと。
これは夢じゃない現実だと確信したいから。
「うん、リオン」
「はい」
「待たせてごめんね、待っててくれて、ありがとう……愛しているわ」
それはこの何ヶ月かの不安が安心に変わって溢れ出したかのように、涙として出ていった。
とめどなく流れる涙は、己の衣服に染みを作る。
ずっ、と鼻を啜ればジェシカ様が泣き笑いの顔で俺の涙をシーツで拭いた。
「リオンの涙は貴重ね。目に焼き付けないと」
そう言って額に口付ける。
もうそんな事どうでもいい。
今は、貴方さえ側にいてくれれば、生きてさえいてくれれば、俺はどうな事でもできる気がする。
その日は、多分、人生で1番泣いた。
泣いて泣いて泣き疲れて、そのままジェシカ様の腕で子供のように寝てしまったのだった。
良かった。リオン辛い思いさせてごめんよ!!
ジェシカ、帰ってくれてありがとう!!
今年までに本編完結したい……
(頑張れ自分、できるできるぞ!!)




