84.その時は
「イリス王妃殿下……ご無沙汰しております」
アマンダとケイトが警戒心顕にしながらも頭を下げて私の後ろに回る。ラニア様は顔を引き攣らせて下を向いた。手が僅かに震えている。
私は跪き王族に対する敬意を示す。
「顔をあげなさい……城から逃げたあなたがなぜここへと聞いとこうかしら?ジェシカ?」
ゆっくり私は顔をあげれば、すぐ近くで私を見下ろすイリス王妃。その鋭い視線に射抜かれそうになるが気持ちを踏みとどませる。
「……間違いを正すために、と言ったらいいでしょうか」
「間違い?ふふ、面白いことを言うのね。何か間違ったことがあったかしら」
ラニア様を見ながら言うイリス王妃。
「亡くなったはずのミーシャ様のお母様がここにいるのはなぜでしょうか」
「不治の病に侵されて、ここで内密に養生していたのよ。私の大事な侍女だもの」
「であれば、ミーシャ様に隠すのはなぜです?家族でしょう?」
「母親の衰弱した姿を見ながら看病に明け暮れるより、自由に生きられる事を願ってのことなのよ。ねぇ、ラニア?」
「……その……」
嘘だと言う事は分かっている。ウォルス伯爵と繋がって何か企んでいる事を私が知っているなんて微塵も思ってないのだろう。適当な理由でやり過ごすのか……いや、私の口を閉ざすつもりか。
ただ、ここで死ぬつもりは私もない。
それに、これ以上、イリス王妃の企みに巻き込まれて皆が不幸になってはいけない。
イリス王妃の目的は一体?
ラニア様の話を聞く限り、恋敵による復讐なのだろう。
「ラニア様に対する復讐ですよね?」
私はイリス王妃の気を引く。先ほど置いた植木鉢からはまだ合図はない。
「復讐?なぜ私が?」
コロコロとイリス様らしくない笑い方をする彼女のラニア様を見る目は顔は嫌悪で満ちていた。
「そう……復讐ね。そんな事をするほど、私は愛に溺れてはないわ」
私は黙ったままイリス様を見上げていた。彼女の持つ扇子が私の顎に触れる。
「そうでしょうか」
ぐっと顎をあげられて息が詰まった。
「生意気だこと。愛なんて馬鹿な……そんなもの……いいえ、そんな事は今更いいのよ。それより、ここまで大胆で愚かな行動を取るなんて、ジェシカ、あなたには失望したわ。もっと賢いと思っていたのだけど、残念ね」
イリス様が護衛に手で指示を出せば、私は彼らに押さえつけられる。アマンダが抵抗するがそれは容赦なかった。
扇子を手に何度も何度も己の掌を叩きながら歩くイリス王妃。
「ただ、私の秘密を知ってしまったからには仕方ないわ」
ぎっちり後ろ手に組まれて身動きが取れない上に腕が痛む。
「……それで?ジェシカ、あなたはラニアに全て話したのかしら」
「……何のことでしょうか」
「聞いたのでしょう?ラニアとあの人の関係、それにミーシャの生立ち」
イリス様の顔が意地悪く歪む。それはとても悪意と憎しみに満ちているが、どこか楽しそうだ。イリス様はラニア様を見て嘲笑った。
私はこれが目的だったのだと理解した。
親にとって子は宝。
ラニア様にとって大切なミーシャ様を陥れる事で復讐とするのだ。それも自分の息子を巻き込んでまで。
「……酷い。そこまでするなんて」
「酷いのはどっちかしら?」
「でも」
「ええ、まだ婚約はしていなかった?だから寝取ったわけではない?愛し合っていれば何をしていてもいい?……私の立場は?」
ラニア様が涙を流しながら「イリス様……申し訳ありません」と小声で呟いた。イリス様はそんな彼女を一瞥して続ける。
「どれだけ惨めだったか。次期王妃となるため幼い頃から厳しく教育されてきたわ。少しの妥協も弱音も許されなかった。可愛くないと言われても、きつい顔だと言われても、勉強し淑女に徹して賢い女性でいれば王妃になれる……愛情は後々育てばいいわ。だって、結局、愛想や可愛さだけの中身のない女より、国に役立つ女性の方が、重宝されるもの。だから、必死に勉強したのよ。なのに、あともう少しで婚約間近な時に、あの人は他の女にうつつを抜かし、それが……私の侍女だったなんて」
イリス様は引捨てるように言った。
「酷いのはどっち?ねぇ、ラニア?」
静かに涙を流しているラニア様。
「ふふ、ジェシカ。あなたはお人好しで愚かな子だから、きっとラニアが可哀想だとでも思っているのでしょう?でも想像して?あなたの愛する人を信頼していた者に奪われるの。どう?仕方ないわで終われるかしら?」
「それは……」
「あぁ、あなたは女神のような全てを包み込む女性のようになりなさいと教えられたのよね?あなたくらいなら、許せるのかしら?」
ぐっと顎を上げられて首が痛んだ。
「ねぇ?ジェシカ……あら?違ったわ、あなたもラニアと変わらないんじゃないかしら。だって、エイドリアンを裏切って他の男を選んだんだもの」
「……違います。私は、」
「本当に違う?あなたはエイドリアンを捨てたのよ、可哀想な私の子……今でもあなたを求めているわ、必死になって探しているの。日常生活もままにならない程ね」
私は言葉が出てこなかった。理由があったとはいえ、逃げ出したのは私だから。
アマンダが背後で「このっ」と呟くが騎士に押さえつけられる。
「あぁ、本当に可哀想な子達……エイドリアン……愛なんかを求めて愚かな子。親の愛を知らないんだから、他所に求めて当然よね?それにミーシャも……本当に可笑しいったら。恋?愛?笑わせないでよ」
イリス様は乾いた笑い声を出す。
「ミーシャに何があったのですか……お願いします、教えて下さい、イリス様……」
イリス様は扇子で口元を隠しながらラニア様を見る。
「駄目よ、まだ時期じゃないもの。その時になればあなたの可愛いミーシャに会わせてあげるから」
楽しそうにイリス様が背を向けた。
「イリス様っ!!」
「部外者は……始末して」
その時、植木鉢の花が光り出す。合図だ。
「お願い、今よ!!」
すると、部屋全体が青い光で包まれて床に文字が浮かび上がってきた。
「なっ、これは……」
イリス様が慌てる。
「あなたをここへ誘い出すのが目的だったのです」
「どういうこと……」
「今から行きましょう、裁きの場へ」
部屋全体が光に包まれた。
お兄様にお願いした転移魔法の遠隔操作。成功すれば、今から王城へ転移されるはず。
私は目を瞑って転移に備える。イリス様の慌てる様子が見えた。
ぐいっと身体が引かれる。
「じゃあ、ジェシカは僕と残ろうね」
猫撫で声の、どこか冷たいその声は私の耳元で聞こえたと思えば、魔法陣から出された。アマンダの「ジェシカ様っ」という声が聞こえた時には、部屋にいた人は居なくなっていた。
残ったのは、私と騎士服を来たエイドリアン様だけだった。




