83.塔の中の母
「ジェシカ様、これは何に使うのですか?」
ケイトが戻り、3人で西の塔までの道を歩く。使用人が使う道を駆使して秘密裏に歩いているが、不思議と人と出会わない。
ケイトが抱えた物を見ながら言った。
「通常は他と連絡を取る時に使うのだけど……今回は違う使い方をするわ」
ケイトに王太子妃の時使っていた部屋に取りに行ってもらった物。アンナが作った魔道具だった。
まさか、まだ私が使っていた部屋をそのままにしていたなんて……ほとんど諦めていたが、ケイトが無事持ってきてくれた時は驚いた。
私を連れ戻そうと必死なのは本当に怖いほどだわ。
「ジェシカ様。あの塔です」
木々の陰から西の塔を窺う。
事前調査通り警備は2人。塔の入り口は1つしかないためであろう。森深くにある西の塔に来る者はいない。
ケイトが「行きます」と言ってから、警備が気絶させられるまで直ぐだった。簡単すぎで心配したほどだった。
「弛んでますね、森の奥。来るのは王妃くらいだからでしょうか。もう少し警戒心ってものを持って欲しいくらいです」
手を叩きながら言うケイト。素早くアマンダが男を縛り上げながら言った。
「何年も同じ事をして何もなければ、気も緩むでしょう。むしろ、今までなぜ見つからなかったか不思議ですけど」
「陛下はイリス王妃様に関して殆ど関心がないわ。イリス王妃様も徹底して秘密を管理していたんだと思う」
「だけど、使用人全てを掌握する事はできなかった。それだけ人望は得られなかったということでしょうね?」
私は曖昧に頷いた。人望と一言で片付けるほど簡単でもない気がしたからだ。
イリス王妃は優秀できっと使用人の管理も徹底していた。だからこそ、今まで西の塔の秘密を隠せていたのだと思う。ただ、今回は前例のないアンナの行動があって、私の動機があって、そして、アマンダ達の行動があっての結果だ。
「人望、というより……人の心に絶対はないってことかしら……」
人は完全ではない。誰しも弱さがあって流される時や仕方なく本意ではない行動を取る時もある。急に裏切られる事もあるだろう……。
徹底して管理していたつもりでも、人の心まではコントロールできない。
私だって、1つのきっかけでエイドリアン様への気持ちを手放す事になったのだし、テリア様は今や私の友人になった。
「人の心ですか」
「そう。気持ちって変わるでしょう?何かきっかけがあれば」
「それは、良い方にも悪い方にもですね」
「勿論そう。その時のその人の状況で良い方にも悪い方にも作用する。だから怖いのよ」
「まさか、ジェシカ様。私達の忠誠心を疑ってますか?」
アマンダが怖い顔で言うものだから私は慌てて首を振った。
「まさか。疑ってなんかいないわ。でも、絶対ではない……だから、もしそうなった時に自分の感情より相手の状況を考えられたらいいかなって思うの」
きっと昔の自分なら裏切られた時には、どうして?私の何がいけないの?と自分本位に考えていただろう。
でも今なら、相手の立場を先に考えようと思える。
「そうすれば自ずと相手の状況を把握できて、対策も講じれるし良い関係が作れるわ」
「それが人望に繋がっていくんですよ」
ケイトが笑って言った。
「警備1つでも王妃様から命令された仕事。私だったらジェシカ様から命令された森の中の警備でも、常に警戒し誇りを持ってやり遂げます」
「そうです、気の緩みは関係の緩み。そして、王妃様の管理不足。完璧な人でもなかった、ということです」
イリス王妃は何事も徹底して優秀で私からしたら尊敬する方だった。彼女に何があったのだろう。
私は塔の上を見上げた。そこに答えがあるのだろうか。
「行きましょうか」
私は2人と共に塔の中へ足を踏み入れた。
*
「誰……?」
扉を開ければベッドに横たわり僅かに顔をこちらへ向ける女性。
その身体は痩せ細って正気がない。
「私はジェシカ。元王太子妃です」
「ジェシカ……元王太子妃殿下……?」
私は持っていた植木鉢を近くの机に置く。
その女性は私の行動を見て、そしてしばらく天井を見つめていたが、急に目を見開いて彼女なりの精一杯の声で言った。
「王太子妃っ?エイドリアン殿下の?元って言うのはどう言う事っ!?」
「お、落ち着いて下さい……あの、あなたのお名前をお聞きしても?」
「私は、私は……ラニア・ウォルス、と言ったら分かるかしら」
「……ミーシャ様のお母様ですね?」
「そう……」
そのか細い声がより小さくなり、その女性は涙を流し始めた。
「ミーシャは……あの子は……私の子に会わせて……会いたい……」
顔を手で覆い泣き始めるラニア。
私は彼女の側に屈んでその震える肩に手を置いた。
「あなたの身に何があったか教えてくれますか?そしたら……力になれるかもしれません」
王妃様や国王陛下と何かあったとはいえ、今、私の目の前にいるのは、子を想うただの母親。私には他人事とは思えなかった。
「うっ、うぅ……ごめんなさい、私が全部悪いのです……」
◆◇◆◇◆
イリス様はとても尊敬するお方でした。賢く美しく強い女性で彼女に仕えている事が私の誇りでした。
イリス様は現国王のアニアス様の婚約者候補の1人としてよく城に上がっていたのですが、イリス様は何に関しても完璧を求めるためアニアス様はイリス様に苦手意識を持っていたのです。
たまたま城でアニアス様にお会いした際、彼は私に言いました。
『彼女はどうしてあのようにきついのか。一緒にいても、ちっとも楽しくない』
婚約者選定の日々にお疲れだったのでしょうか。ただの侍女の私に愚痴のように話しました。
『イリス様は言葉はきついですが、自分にも厳しいお方です。きっとアニアス様に届いてほしいと強くなってしまうのです。どうかイリス様を敬遠しないて下さい』
生意気だったとは思うのですが、そのようにアニアス様へお伝えしたと覚えています。
それが、なぜかアニアス様がこっそり私は手紙や贈り物をしてくるようになったのです。
自分の主の婚約者候補、そして王太子殿下であるアニアス様を子爵令嬢の私が本気で相手にされるとは思えず、初めは丁重にお断り申し上げていたのです。
でもアニアス様の想いは強くなる一方で、次第に絆されている自分もいました。
ある日の夜会で、イリス様とアニアス様がダンスを踊る姿を見て、涙が出そうになり会場を離れました。
その時に、私はアニアス様に恋をしていると気付きこのままでは駄目だと、侍女として失格だと思い諦めようとしたのです。
ですが、アニアス様は私に気付いて追いかけてきた。
『僕が愛しているのは君だ。僕は自分の妻は自分で決める。婚約者候補は候補であって、何でもない。君を生涯の妻とする、必ず』
城から漏れる光を背後に私達は初めて口付けを交わしたのです。侍女としての使命と恋心、背徳感……罪悪感。私は感情がごちゃごちゃになりました。
城へイリス様と上がれば、密かにアニアス様と視線を交わす。それだけで私は舞い上がりました。恋心は……止められなかったのです。
アニアス様が私を婚約者とする事を密かに動き始めた時、イリス様とアニアス様の婚約が決まりました。絶望、悲観、憎悪、そして安心……。
これで良かったのだと、青春の思い出に留まったとそう言い聞かせたのです。ですが、簡単にはいかなかった。
その日の深夜、子爵邸の私室へ来たアニアス様。
『僕の心は君だけのもの。それは一生変わらない……君は?』
『……私もです、アニアス様』
結婚すればもう会えない。止めるべきだったのに、気持ちは暴走して……私達は最初で最後の夜を過ごしました。それがいけなかったのです、軽はずみでした。
その後、私はウォルス伯爵との婚約が決まりました。とても急な事でそれから1ヶ月と絶たずに簡素な式を上げ、バタバタとウォルス領へ移動して……でも、これで良かったのだと、王都から離れればアニアス様とイリス様を見ることもないと安堵しました。
その後、すぐにミーシャが生まれて。夫は良くしてくれました。穏やかな日常を送っていたと思います。
それから3年ほどですか。
イリス様から侍女として力を貸してくれと言われました。悩む私に夫は、王妃殿下の勅命で断れないことに加え、田舎ばかりではミーシャも退屈だろうと送り出したのです。
確かに貴族令嬢としてのマナーなど学ぶには王都が良いかと前向きに考え私は王都に戻ったのです。
イリス様とアニアス様の間に生まれたエイドリアン殿下。ミーシャとエイドリアン殿下は直ぐに仲良くなりました。
私はというと……アニアス様への恋心が忘れられないかと不安だったのですが、意外にも子供達を見ていたら昔の感情より、今の幸せが大切だと感じて。
イリス様の侍女として、今度こそ使命を持って仕えようと思ったのです。
だけど、そんな事も私が甘かったのです。
アニアス様は再び私の元へ来ました。私はもう間違いは起こせないと、お互い家族がいるからやめようと断ったのです。悲しそうな顔をするアニアス様に胸が傷んだのですが、そこはきっぱりとお断りしました。ただ……やっぱり、イリス様の侍女として城にいるのは無理だと思って、領地へ帰れないか私は夫へ相談したのです。
『王妃殿下が君が必要だと言っているんだ、それなのに君はそれを断るのかい?それとも、何かやましい事があるのかい?例えば……国王との間に、とかね』
夫は知っている。
そう確信した私はそんな事実はないと侍女を続けました。ミーシャとの生活を守るため、それが正しいと思っていたのです。
ただ、ある日、夫がおかしな事を言ったのです。
『僕は昔から身体が弱くてね。だからミーシャが産まれたのは奇跡だと思っているんだ……医者からも子供は望めないと言われてたほどだから。そんな僕に嫁いでくれたラニアには感謝しているほどだ』
私は足が震えるのが分かりました。この事実は隠し通さねばならない、そう決意したのです。
◆◇◆◇◆
「そ、それじゃあ、ミーシャ様は……その……」
私は新たな事実に頭が追いつかないでいた。
「分かりません。アニアス様と関係を持った後に直ぐに式があって夫とは初夜を会えたので」
もし、もし、ミーシャ様が現国王との子であったら……お腹の子は……。
「あの、ラニア様……ミーシャ様の状況は、そのイリス様から聞いているのでしょうか?」
ラニア様はゆっくり首を振った。
「何も……イリス様は何も教えてくれません」
知ったらどうなるのだろう。娘が王太子との子を妊娠していて、自分の夫が裏切っていると知ったら……これ以上、彼女が苦しまないといけないのか。
分からなかった。
口を閉じた私を見て、ラニア様は不安そうに聞いた。
「ミーシャは、今どうしているのかしら。夫は無事にいる?」
「それが、その……」
「隠さないで……イリス様は私が憎いのでしょう。ここへ来ては私に言うんです。全てお前が悪いって……きっと、何もかもお見通しで、私を苦しませて……最後には殺すのでしょうね」
窓の外を見るラニア様の横顔はミーシャ様そっくりだった。
とても痩せて疲れた彼女に事実を突きつけるのは残酷な気がして私は言葉が詰まった。
「ラニア、あなたは話しすぎたんじゃないかしら」
背後で声が聞こえて私はゆっくりと振り返った。イリス王妃が護衛を連れて立っていた。
「イリスさま……」
ラニア様の青白い顔が更に白くなった。
「ジェシカ。よくここまで来れたわね……困ったわ」
私は正面からイリス王妃と向き合う。
その声はとてもゆったりして親しみあるように感じられたが、表情は酷く冷たく敵を射るかのような目をしていた。
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