8.胸騒ぎ
あれからアンナはこっぴどく叱られたのか、試作品を持ってくる事はなくなった。
私としては、楽しみにしていたから非常に残念なところであった。気を紛らわせてないとエイドリアン様のことを考えてしまうからである。
「お兄様ったら、本当にしつこいのです。私が出勤する時に検知魔法まで使って調べるんですもの。魔法の無駄遣いだわ」
不貞腐れるアンナ。非常識だと思うがフロント子爵とのやり取りを想像してしまい口元が綻ぶ。何をしても私の気持ちを軽くしてくれる才能があるみたいだ。
「いいのよ、アンナ。あなたがいるだけで私はリラックスできるわ」
「それって私がジェシカ様の薬ですか?」
「そうよ、本当にそう思う。あなたがいないと暇して、彼の事を考えてしまうもの」
アンナはニッと笑う。
「エイドリアン殿下に勝てるなんて光栄の極みです」
私もアンナに微笑む。その後ろでアマンダが私用の茶を注ぎながら言った。
「そういえば、エイドリアン殿下はいつごろの帰城になるのでしょう……」
私も気になっていたところだった。視察に行ってから既に10日は過ぎていた。
視察に3日かかったとしても、そろそろ帰っていてもおかしくない時期だ。
「ウォルス領って、ユナリアが特産ですよね?」
「えぇ、もしかして被害があったのはユナリアなのかしら……」
ユナリアは、平民の間で滋養強壮として使われている薬草である。気候や土地の性質、地形を選び、自分たちが好んだ場所で生息するという、ちょっと扱いずらい植物なのだが。
「でも、ユナリアは自生力が強い薬草ですよね?そんな視察に行かなければならないほどの被害って珍しい気がしますが」
アマンダの言う通り、ユナリア自身が好めばその土地に根を張り、力強く育っていく植物だ。そのため、一度生息して軌道に乗っていれば、余程の事がない限り農作被害を受けることは少ない。
季節に関係なく生産量を確保できる事から、安価であり、医師に罹る余裕がない平民の間では、欠かせない物なのだ。
今では、ウォルス領の土地を好んで生息しており、ユナリア自体の生産はここ数十年安定していたのに。
「ユナリアが被害を受けていたら、平民達は非常に困ることになりますね」
「えぇ、本当に……」
ウォルス領の被害とエイドリアンの帰城が気になり、窓の外を見つめる。こんなに時間がかかっているのは、何か問題があったのだろうか。
不安と心細さを抱えながら過ごす日々は、とてもとても長く感じた。
*
その翌日、城がバタバタとしていた。
胸騒ぎがした。
「どうしたの?エイドリアン様が帰られたのかしら?」
「ジェシカ妃殿下!今しがた、妃殿下に連絡しようとしていたところです」
「何か問題が?」
「それが、早馬からの連絡でエイドリアン殿下とその他数名が体調を崩しており、ウォルス領から動けないらしいのです」
「なんですって!?」
「移動したくても、馬車での移動に耐えられるかどうかというほど、お悪いらしく……」
血の気が引いていった。王都であれば王宮医師や治療魔術師もいるのだが、地方のウォルス領には十分な人がいないだろう。
彼らがどれほどのどんな状況なのかが分からない。
「早馬で来た方と話がしたいわ。あと、国王陛下と王妃殿下には誰かもう?」
「はい、既に人を遣わせました」
「ありがとう。では、私を早馬係のとこへ案内して頂戴」
歩きながら不吉な事がよぎる。それを取り払い気持ちを落ち着かせる。大丈夫、エイドリアン様はきっと大丈夫、そう言い聞かせて。
早馬係のラルトによれば、倒れたのは魔術師と護衛騎士2人、文官、そしてエイドリアン様の5名。早馬で来たのはエイドリアン様の侍従であった。
「倒れた5名は、ユナリアの農地へ視察に出てました。私だけがウォルス領の館に残っていたのが大きな違いです。ユナリアの農地で何かあったのだと思うのですが……」
「皆の状態は?」
「初めは体調不良を文官が訴えて、その後、次々と同じようになりました。訴えた症状は各々で、頭痛や気分不良、脱力感。エイドリアン様と魔術師のカール様が一番ひどく、吐き気から顔が青ざめるほど全身が冷たくなっていました。皆、次第に受け答えが朧になり、私が出た時には5名とも眠ったように意識を失っていました……」
咄嗟に口を覆い息を呑んだ。足が震える。
「治療師は……?」
ラルトが頭を振る。
「ウォルス伯爵家の専属医師がいましたが、対応するも分からず……」
悪くなる一方……ということ。
どうしたらいい?思考がまとまらない、けれど、焦っている時こそ、思考を止めるな。考えなければ……。
「医師では対応できない……倒れた人は動けない……王都から治療師が馬で走っても2日はかかる……それでは間に合わないかも……」
私が、すぐそこへ行けるなら行きたいのに。
1つだけ、考えがある。
「……兄を、カルティアン侯爵を今すぐに呼んで頂戴!」
それを聞き、アンナがすかさず魔法で伝言を飛ばす。
《王太子妃殿下より。至急、王宮へ》
その声は白い鳥となって飛んでいく。さすがはアンナ、誰でも出来ることではない。
待つこと5分、扉から兄のオーラント・カルティアンが現れた。後ろにはフロント子爵も一緒だった。
「ジェシカ、久しぶりだな。急な呼び出しに感謝するぜ。何しろ、こいつの小言に飽き飽きしてたところだったからな」
「おい、妹とはいえ王族の1人だ」
「お前は本当に堅いよなぁ」
「お兄様……」
私とは似ても似つかない、この無作法な男こそ、自由奔放な兄、現カルティアン侯爵だ。