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42.懐かしい人


 エイドリアン様が不気味な笑みを浮かべながら出て行った後に、私は溜め込んでいた息をゆっくり吐いた。

 慣れない彼の口付けに一瞬身体を強張らせたのが彼に分かったのか、その後もしつこく口付けてきたエイドリアン様。

 

 それは甘美な物ではなく、彼の重い執着が伝わってきてどっと疲れる物であった。


 以前の優しいエイドリアン様ではなく、底意地の悪い顔で私の様子を楽しんでいる彼は、どうかしている。

 どうして、そんなにも私に執着しているのか。

 私が彼への執着を手放した瞬間、彼は私を欲するようになった。彼の何がそうさせているのか、全く検討がつかない。

 婚約して彼の側にいたが、そんな彼の本性など知らずにいた。自分の事しか見えてなかった私も悪いのかもしれない。

 

 いや、今はそれどころではない。


 私は咄嗟に服の中に隠した白い紙を取り出した。口付けからそのまま彼に抱かれなくて良かったと考える余裕はある。


 エイドリアン様が来るほんの数分前に、窓から入ってきた白い鳥は、手紙だった。

 誰からなんて明白で、すぐに確認しようとしたが、誰かが来る気配があって服の中に隠したのだ。


 もう誰も来ないか気を張りながら、ゆっくり手紙を開く。

 それは短い文章で宛名もない手紙だった。


 《本日23時、星の子守唄の下で》


 星の子守唄。

 ティアナがよく歌っていた童謡だ。


 お兄様から聞いたのだろうか。

 どうやってここへ来るのかそれは謎だが、彼らを助けるために、これが最初で最後のチャンスかもしれない。

 

 私はその時が来るのを待った。

 エイドリアン様が訪れない事を祈りながら。

 




 深夜近く、ベッドに横になりながら気配を伺う。

 私がいる部屋は、女性のティアナが窓から入ってくるほどの場所ではないし、廊下には屈強な騎士が2人も構えている。

 ティアナとお兄様の性格から、強行突破もあり得るかもしれないと心配は尽きない。


 何となく、窓の外から懐かしい歌声が聴こえて近づけば、確かにティアナの歌声が近くでする。


 「ティアナ?」


 窓を開けて小声で聞くと、「お姉様、ちょっとそこどいて」という声に、咄嗟に身を引くと、唐突に窓枠に手をかけたティアナが現れて「よっ」という声と共に部屋に入り込んできた。


 「ってぃ、アナ……」

 

 驚きで声をあげそうになるのを必死に堪えた。

 心臓が止まるかと思い、胸に手を当てる。


 窓から差し込む光に照らされたティアナは、少し焼けた肌をしてにこにこと笑っていた。


 「お姉様、久しぶりね」

 「ティアナ……」


 私は久しぶりのエイドリアン以外の人との接触に嬉しくなり、ティアナに抱きついた。 

 

 「お姉様ったら、見ないうちに寂しがりになったのかしら?それとも、状況がやばめ?」

 「どっちもかもしれないわ。人との接触が恋しかったのよ」

 「まぁ、なんだかお姉様がお姉様じゃないみたい」

 

 ティアナが私の背中をポンポンと叩く。人の温もりがこんなにも落ち着くなんて初めて知った。


 「ティアナ、あなたが留学に行く時、酷いこと言ってしまったわ。ごめんなさい」

 「お姉様、いつの話?それに私が根に持たない素晴らしい性格だって知っているでしょう?こうやってお姉様のために助けに来たのだから、気にしないで」


 涙腺が緩みそう。

 「うん、ありがとう」そう言ってぎゅっと抱きしめて離れる。


 「酷い顔」と私の頬に手を添えるティアナ。


 「お兄様からある程度事情は聞いたわ。王太子殿下が暴走しているみたいね」

 「外部の様子が分からないの。どうなっているの?」

 「リオン様が力を使った事で、両陛下、それに高位貴族は王家の血筋と知ってしまったわ。そして、リオン様達に味方する一部もいるけれど、公には言えない……明日、彼らを処分する方向で動いているの」

 「あ、明日っ!?」

 「それも早朝」


 頭がくらくらした。だが、他にも大事な情報を聞き逃すところであった。


 「ちょ、ちょっと待って。フロント子爵が王家の血筋……?それは初耳よ」

 「え、だってお姉様に魔力と生命力を与えて助けたのよ?それができたのは、有名なチュリアナ王妃だけで平民でそう語られていたじゃない」

 「それは知っていたわ。でも、まさか彼が……」

 「これまで隠してきた力を知られたらどうなるか、リオン様も分かっていたでしょう。それにも関わらず、お姉様のために力を使ったわ……お姉様、とてもリオン様から慕われているのね」

 

 ズキンと胸が痛む。嫌だからではない、それが本当なら嬉しくて切ないから。知りたくない。

 

 「……それは分からない」

 「お姉様、馬鹿なの?それとも知らないふり?男がいらぬ罪を被ってまで命懸けで女を助けるのは、愛しかないわ」


 重すぎるくらいだけどね、とティアナは肩をすくめる。


 「でも、それを認めてしまったら、私は……ううん、駄目よ、王太子妃だもの」

 「ほんと真面目すぎる。人を好きになる気持ちなんて自分ではどうにもできないでしょう?」


 その通り。以前テリア様に同じ事を言ったのだ。

 私の気持ちより、彼が幸せでいてくれればそれで良いとそう思っていたし、今だってそうだ。

 会えなくても、どこかで元気に生きていてほしい。


 「もし、お姉様が望めば、その通りの人生を送ることもできるのよ。決めて行動するのは自分自身。やり遂げるのも自分自身。そして、後悔するかしないかも自分の行動次第」

 「自分で決める……」

 「そうよ、当たり前じゃない。誰の人生生きてるの?自分の人生でしょ?お姉様がお姉様自身のしたい人生を生きればいいの。そこに、他の誰かの意思なんていらないわ」


 なんだか、聞いたことのあるような、ないような。


 「……お兄様みたいなこと言うのね」

 「あら、だって似た者2人ですもの。お姉様は私達とは違って真面目でとても優等生だったわ。そこが良いところでもあり、悪いところでもあるのよね」

 「ティアナ、褒めてる?貶してる?」

 「どっちもよ。お姉様を見ていると、とっても歯がゆいの。あぁ、こんなこと話している暇もないんだけど」


 ティアナがごそごそとポケットから袋を出して私に渡した。


 「中に説明書があるわ。お姉様が本当にどうにかここから脱したいと思った時、現状を変えたい時に使って。いい?タイミングを間違えないようにね」


 袋越しに丸い形の固いものが触れた。

 

 「よし、そして、これからの事を説明するわね」

 

 そう、今はフロント子爵とアンナを救出するのが先だ。


 「いい?分かっている事は、リオン様には王太子妃への暴行及びわいせつ罪に、ユナリア被害の主犯として上がっているの。その上、王家の血筋である事から、謀反を起こしたとして処刑するつもりよ」

 「酷い」

 「ええ、その通り。無実な彼らを助けなきゃいけない」

 「でも、どうやって?」

 「今からアルジェに乗ってリオン様の部屋に向かうわ。そして、私がリオン様とアンナを連れ出す。私は変装で顔が割れないようにするから、もし、見つかってもなんとかなる。けれど、お姉様は……」

 「私がここを一緒に出れば、犯罪者に手を貸したとして侯爵家にも迷惑がかかるものね。私は、城の中から彼らの無実を証明すればいい?」

 「さすが、お姉様。私が上手く逃げ切って安全な場所に着いたら、同じように手紙を出すわ。それまで……」


 遠くで扉が開閉する音がした。


 私達2人は息を詰めた。


 「……エイドリアン様かもしれないわ」

 「こんな夜中に?」

 「理由は分からない。ティアナ、急いで、ええっとベッドの下へ」

 「ベッド?いやよ」

 「なぜ?」

 「それは、ちょっと……真下でそれを聞くのは」

 「ふっ、ふざけてないでっ、そんな事ありえ……なくもないかもしれない」

 「えっ、刺激が」

 「冗談言っている場合じゃないわ。そこのクローゼットに、早くっ」


 私はティアナをクローゼットに押し込み、ベッドに横に……いや、窓際の椅子に座る。


 扉が開き、やっぱりエイドリアン様が入ってきた。


 「ジェシカ、まだ起きていたのかい?でもちょうど良かった。君に見せたいものがあるんだ」


 私は焦りを見せないように無表情を保ちながら彼と向き合ったのだった。



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