28.気持ちの変化
エイドリアン殿下はミーシャ様に夢中で、婚約するのも近いだろう。
それは、もう皆周知の事実だった。
だから、お天気の良い昼下がり、気持ちの良い風を感じながら散歩している時に、2人が仲良さげに歩いているのを見ても、誰も咎めない。
いや、歩いているだけなら咎める必要はないだろう。
だが、2人はこれでもかと寄り添っており、ミーシャ様の腕はエイドリアン殿下の腕に絡みつくほどで、さすがに、真っ昼間から密着しすぎではないのかと思ったほどだった。
淑女とはなんぞや、とミーシャ様にそう問いたい。
「まぁ、エイドリアン様ったら」
そうミーシャ様がくすくす笑う。エイドリアン様はミーシャ様の頬をなで、額に口付ける。
彼らからは私達がいることは見えていないのが幸いで、私は気付かれないうちに、ここを去りたかった。
それは、嫉妬からではなかった。ただ、エイドリアン様のそんな姿は見たくなかった。
昔から優しかったが、あのように公衆の面前でいちゃいちゃするような方ではなかったのに。
それだけ、ミーシャ様を好いているということなのかもしれない。
私の、「家族」という立ち位置は、後継を生み育て、国のために仕事をし、彼の補佐をする。そんなとこなのだろう。
そして、ミーシャ様は彼の「恋人」で、これから彼女は女性として愛される対象なのであろう。
そんなふうに理解した今、彼から「愛してほしい」なんて思っていた時期がひどく滑稽に思えた。
彼にとって私は今も昔も、国を背負うパートナーであって、恋愛する相手ではない。
王妃なるもの、それを理解できていなかった自分が情けなかった。
でも、今はもう大丈夫。
彼への執着を手放せたことで、これから王太子妃として何をすべきか理解しているし、今後、彼を愛することもなければ、彼に愛を求めることもない。
私は国民と自分の子を愛し、正妃として立派に務めれば十分だろう。
「行きましょうか」
私は彼らに背を向けた。
でも、少しだけ寂しかった。私の長い人生、結婚して、今や正妃としているこの状況。
これが、最初で最後の恋で、誰かを本気で愛して愛されることなんて、もうないだろう。
それが、悲しくて寂しくて。自由に好きな相手と恋愛し結婚する人たちが羨ましくなった。
「ジェシカ妃殿下」
少し感傷に浸っていたら、フロント子爵に呼び止められた。
あんなに苦手だった彼が、今はとても安心できる人になっているのが不思議だ。
「どうしたの?」
私は彼の元へ歩を進めた。
「これをお渡ししたくてっ、と」
「わっ」
何だろうと気持ちが前に出たからか、足がつんのめって前のめりに倒れそうになった。
すかさず、フロント子爵が手で受け止める。
「気をつけて下さい。お腹が大きくなるにつれ、バランスも崩しやすくなるのですから」
「うん、ありがとう。でも、何だかあなたなら、絶対受け止めてくれる安心感があるわね」
「私はクッションか何かですか」
「クッションでは安心感が薄いわ。そうね、疲れた時にダイブできるような安定感のある大きなベッドみたいな……」
「……」
自分で言っていてなんだが、ちょっとベッドはあんまりだったかもしれない。そういう意味ではなかったんだけど。
「そ、そうね、お兄様もそんな感じよ?お、お兄様の方がもっと大きなサイズね、きっと。昔、皆んなでゴロゴロしながら遊んだでしょう?……うん、そんな感じ……」
反応がない分、変な事を言ってしまったと焦る焦る。フロント子爵の無表情がまたそうさせる。
「あ、あの子爵?」
「ええ、もちろん、分かっていますとも。ただ、関心はしませんね」
「え?」
「昔から鈍感なあなたの事です。あなたの事を密かに想っている相手に、うっかりそんな事を言ってしまえば、本当に寝室へ連れ込まれるかもしれませんよ」
フロント子爵の緑の瞳が細められる。なんだか、彼から出ている雰囲気が、少し、ほんの少し、色気があるようでどぎまぎした。
そんな、表情もできることに驚く。
ここにテリア様がいなくて良かったわ。きっと倒れるか私を張り倒すかしていたでしょう。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりは」
「例えばです、例えば」
彼の表情が意地悪く変わる。そんな顔をしてしまえば、テリア様だけではなく、他の令嬢まで虜になるんじゃないかしら。
彼のポテンシャルに関心した。これで婚約がまだなんて、勿体無いわ。
「そこで何をしているんだ?」
声がして、ばっと横を見れば、エイドリアン様が私達を……いやフロント子爵を睨んで立っていた。
「エイドリアン殿下、気付かずに申し訳ありません。妃殿下にお渡ししたいものがあったもので」
「そうかい?ジェシカ、もうそれはもらったの?」
「いいえ、まだです」
「いつものです、妃殿下」
私は袋を受け取った。中から爽やかで甘い香りがした。ミスイだ。
「今日は香りが強めね、落ち着くわ」
「少し強めに付けました。昔、お好きだったでしょう?」
カモミール畑のことを言っているのだろう。やっぱり彼は知っていて、香りを付けてくれていたのだ。
「いつもありがとう」
そう笑えば、フロント子爵も微笑んだ。本当に彼には世話になりっぱなしだ。お礼は何がいいだろう……
そんな事を考えていたら、私の腰に腕が回った。エイドリアン様だ。
そして、私を引き寄せた。
「ジェシカ。夜、君の部屋に行っていいかい?たまには、ゆっくり君と過ごしたいしね。最近忙しくてごめん」
驚きで固まる。こんな行動、今まで彼がした事なかった、特に人前では。
「え、あ、あの、お忙しいようですし、無理なさらなくて大丈夫ですよ?」
エイドリアン様の笑顔が強張った。
「僕が君と過ごしたいんだ。夫婦なんだし、ね」
そう言って私の頬に触れたかと思えば、エイドリアン様の顔が近づいてきて、軽く口に彼のものが触れた。
「……え」
突然のことで思考が停止した。そもそも、口付けなんて数えるほどしかしていないのに。
何なんだろう。エイドリアン様の後ろではミーシャ様が鬼の形相で見ていた。
彼女に妬いてもらいたいにしても、私を利用するのはやめてほしい。
「では、フロント子爵。お勤めご苦労、いつも私の妻が世話になってるね。私からも礼を言おう」
「いえ、大したことではないので……」
「そう、君が彼女にできることなんて、限られているからね」
「……」
エイドリアン様の棘のある言い方も珍しい。私は、フロント子爵に対して、そんな態度を取ってほしくなくて。
「エイドリアン様。フロント子爵は身体に良いと言われるミスイの粉をお待ちしてくれているのです。とても助けられているのですよ」
「……そうなんだ。まぁ、いい。とにかく夜、ね」
もう一度、フロント子爵を一暼した後、エイドリアン様は城は戻って行った。
残されたミーシャ様が、慌てて彼の後を追った。
「何なのよ……」
「ジェシカ妃殿下……」
「気にしないで。本当に、大丈夫」
とは言ったが、なんだかいつもの様子とは違うエイドリアン様が夜に来る事を考えたら、とても気が重く感じた。




