18.安定剤と疑問
フロント子爵のミスイの粉で、だいぶつわりが軽減して、調子が良い時は散歩に行くようになった。
エイドリアン様は相変わらず忙しいみたいで、週に2、3回顔を見せに来ればいい方だった。
私の妊娠については、あの日の状況も状況で、勘が良く日頃からアンテナを張っている貴族達をはぐらかす事もできずで、妊娠を公表していた。
妊娠4ヶ月くらいで、そろそろ安定してくる時期でもあったからだ。
人々は祝いの言葉を並べた。
純粋に「おめでとう」その言葉は嬉しい。けれど、「男児を期待しておりますぞ」などと言う、貴族達の言葉は王太子妃という責務を再認識させる物であった。
その中でも、両親は言い方は悪いが、非常にしつこかった。
一度面会に来た時には、あまり動かないように、つわりであっても栄養は取れ、身体を冷やすな、などと捲し立てた。
それに、だ。
『一時はあのウォルス伯爵令嬢の噂があったから、心配していたけれど、ちゃんと殿下のお渡りがあったようで安心したわ』
『うむ。ちゃんと殿下を喜ばせるのも妻であるお前の大事な務めだからな』
などと年頃の娘に対してデリケートな話題を話された。いや、もう人妻ではあるのだが、私はまだ16歳である。両親に夜のことを言われて恥ずかしくないわけではない。
自分の親のデリカシーのなさと、「娘の私」ではなく「王太子妃の私」としてしか見ていないことに、釈然としない思いを感じた。
それでもまた、もやもやしても、『はい、分かりました』と物分かりの良い子を演じている自分に嫌気がさして、情緒が不安定になった。
「妊娠中はホルモンバランスで不安定になりやすいのです」
そう言って、アンナがミスイの茶を用意してくれた。
つわりの日々を過ごすうちに、季節は夏から秋へと変わっていた。少し気温が下がる夕方などは、お茶でほっとするのが最近はお気に入りなのだ。
それに、つわりは治っていたがミスイの粉を飲んでた方が調子も良いし、落ち着くためフロント子爵に追加で依頼しようか悩んでいたら。
「今度は私がご用意しますのでっ!」
そう意気込んで帰宅したのだが。翌日にはフロント子爵から、大量のミスイの粉と妊娠中に飲めるハーブティーが贈られて来たのだ。
「お兄様ったらずるいのです。私が作ると言ったのに、材料全て自室に持ち込んで私にはさせてくれなかったのです」
この兄妹は何してるんだか、と呆れつつも2人の気遣いに嬉しくなり、もっと好きになった。
両親が私を王太子妃としてしか見てくれなくても、貴族達が私の生む子の性別だけを気にしていても、こうやって、私を心から心配してくれる人がいる事を知っているから、頑張れる。
そう気付いたのだ。
だから、エイドリアン様の訪問が少なくなっていても、以前ほど落ち込んだり不安定になったりすることはなくなっていた。
*
「今日は王宮の温室に行きましょう!私、見たい場所があるのです」
「温室?」
「それはいいかもしれませんね。だいぶ風が冷たくなってきているので」
王宮の温室は誰もが入れる場所で、あらゆる植物が育つ場所だ。
「その中でも、王族しか入れない温室があるでしょう?そこに一度行ってみたくてですね」
「何かあるの?」
「ミスイの花です」
「ミスイの花?アンナの家にあるんじゃないの?」
「いいえ、ないですよ。ミスイの花は高温多湿で育つ植物で、まず、この国では育ちません」
「えっ、そうなの?じゃあ貴重なんじゃないかしら……そんなものを私は……」
「いいんです。お兄様は独自のルートで手に入れているのですが、昔から治癒魔法に加えて薬草にも興味があってよく研究していたのです。それでミスイの粉は持っていたらしいです」
「そうなの……今度ちゃんとお礼しなくては」
「あはは、お兄様、喜びますよ」
「それで、ミスイの花がここの温室にあるの?」
「ええ、恐らく。ここの温室は何代か前の王妃様が作られた物なんですよね?」
「そうよ、隣国ユガーダリン帝国から嫁がれたチャリアナ王妃よ」
「そうです、その方です。ミスイはユガーダリンの南部に生息する植物なのです」
「それで、もしかするとチャリアナ王妃の母国の花があるかもしれないっていうことかしら?」
「はい、その通りです。とても綺麗なオレンジの花を咲かせるみたいなのです。一度見てみたくて」
「それは是非見たいわね。行ってみましょう」
「やった」
なんだか私もわくわくしていた。今では私の安定剤であるミスイがどんな花なのか見てみたい。
温室に着き更に奥へと進んでいった。すると鍵の掛かった扉に警備が2人立っており、私を見ると頭を下げて扉を開けてくれた。
アンナとアマンダと3人で植物が生い茂る中進む。だいぶ、放置されているみたいだ。
「なかなか興味深い植物がありますね」
「本当に……不思議だわ。異国に来たって感じ」
「ユガーダリン帝国が南部で暖かい国ですからね。植物も育ちやすいと聞きます」
アンナが右に左に首を動かしながら言う。
「うーん、どこだろう……」
「ねぇ、アンナ。あっちからほのかに似たような香りがしないかしら?」
私が指差す所には、ツルがアーチを描きながら扉を囲っていた。私達は扉まで歩いた。
「あ、本当ですね。ジェシカ様はお鼻がよろしいんですね」
「そうかしら?」
私は言いながら取手を掴もうとした。しかし、なんだか違和感を感じて止まる。
「どうしたのですか?」
「う、ううん。なんでもないわ」
なんだろう。扉に巻き付くツルが無造作に取り払われているような不自然さがあった。
違和感を感じつつも私は取手を握り扉を開ける。
中は鮮やかなオレンジの花が咲き誇っていた。背丈の高い薄緑の葉に、ちらちら見えるオレンジのミスイの花。見てるだけで元気を貰っているようだった。
「綺麗ですね」
「本当に。鮮やかで可愛らしいです」
「なんだかアンナみたいね」
「えっ、私ですか?嬉しいです」
そんな会話をしつつ先に進む。
その時、ガサっと近くで音がして振り向けば。
そこには、なぜかミーシャ様が立っていた。
王族でない彼女がなぜ?
私達は見つめ合った。私の感じた違和感は、きっとミーシャ様だったのだろう。
ユナリア、ミスイは完全に空想の植物です。