7
黒い影がふたつ、窓の外に落ちていくのを見た。
――仕留め損ねた。
ラズウェルは小さく舌打ちをした。
部屋ごと吹き飛ばせば確実に息の根を止めることができたのだが、生憎とそこの床にクレアが倒れている。まさかここで、クレアごと吹っ飛ばすわけにもいかない。威力を抑えたのが仇になった。
ラズウェルは素早く窓に駆け寄った。杖を突きだして、庭先を照らす。正門の方に駆けて行く影が、たしかに見えた。
大丈夫、まだ追いつける。ラズウェルは目を細めて、逃げていく魔族を睨む。
「お兄さま、クレアさまが!」
窓枠を乗り越えようとしたラズウェルの足が、ぴたりと静止した。振り返ったその視線が、血濡れのカーペットの上に注がれる。
途中で置いてきたはずのリリアンが、いつの間にか戻っていた。血に濡れるのも厭わず、魔物の瘴気も恐れずに、クレアを膝の上に抱えている。
「リリアン、部屋に戻っていろと言ったでしょう」
「できませんと言ったはずです」
ワインレッドの瞳が、まっすぐにラズウェルを突き刺した。
こういうところは、リリアンの美徳だ。兄として何度誇らしく思ったかわからない。しかしいまは、リリアンの純真さがもどかしい。
ここで引くわけにはいかない。
よりによって魔族が、ロジャース家に侵入した。露見する前に潰しておかなくてはならないのだ。
「マーフィー嬢がいままであなたになにをしたか忘れたのですか。あの魔物も、おそらく彼女が――」
「それはクレアさまを見捨てる理由にはなりません!」
リリアンが、きっぱりと言い切った。
仰向けにされたクレアの顔は、一目でわかるほど青ざめている。リリアンがハンカチかなにかで腕の傷を縛ったようだが、その流血はまったく止まっていない。
その上――。
(……瘴気の跡)
傷のある方の手先が、黒く変色していた。魔物の瘴気に侵されている。
ラズウェルがこのまま、逃げていった魔族の後を追えば、クレアは間違いなく死ぬ。
リリアンは魔法の才に溢れているが、魔法を勉強しているわけではない。瘴気の浄化の仕方は知らない。ラズウェルにしかできない。
ラズウェルは窓の外を見下ろした。すでに魔族の姿は宵闇に溶けて消えている。
「ラズウェルお兄さま!」
リリアンが急かすように兄の名を呼んだ。声が震えている。大きな瞳いっぱいに涙が溜まって、その白い頬をすべり落ちた。
「いま、ここでクレアさまを見捨てたら……クレアさまを殺したのはお兄さまです。リリアンはクレアさまを殺したお兄さまを一生恨みます。お兄さまはそれでいいのですか!」
リリアンが泣いている。
しばしの逡巡。ここで魔族を見逃した場合のリスクと、クレアを見捨てたときのリリアンを天秤にかけ――。
(……私もつくづく甘い)
結局、リリアンには勝てないのだ。
「リリアン、水と手ぬぐいを持ってきてください」
ラズウェルは、クレアを選んだ。