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マーフィー家での嵐が嘘のように、後始末は速やかに、かつ静粛に行われた。
カインが騒がなかったのも大きい。彼はマーフィー家の応接室で、クレアとラズウェルのキスを目撃してから、すっかりおとなしくなってしまった。
彼は王位継承権のはく奪ののち、辺境に飛ばされることになっている。国境騎士団のもとでその腐った根性を叩き直してこい、と国王に言われたらしい。
あれだけ色々あっても国王がいまだにカインを見捨てないのは、たったふたりの息子の片割れだからだろうか。
次の王太子には、もちろんアルバートが立った。
「く、クレアお姉さま、お姉さま!」
王都から離れた、ロゼの町。それを見下ろす位置にある、ロジャース家別邸。
王都から戻ってきて、間もなくのことだった。
その日の早朝、まだ寝ていたクレアの部屋に飛びこんできたのはリリアンだ。
「で、でんか、アルバート殿下から、お手紙が、わたしに!?」
布団に飛びついてきたリリアンを押しのけて、クレアはからだを起こした。あくびを噛み殺して、伸びをひとつ。それからやっと、リリアンを見る。
「アルバート殿下から、手紙?」
リリアンは、手に持っていた便せんを、クレアの手のひらに押しつけた。ずっと握っていたのか、端がよれている。
「そ、そうです、あの……読ん、読んでいただけますか……!」
「いつにも増してうるさいわね。なんでそんなに動揺……は?」
寝ぼけていたクレアの頭が、一気に冴えた。
二度、三度、と読み返して、ふたたび「は?」とうなる。
「リリアンに、婚約の、申し込み」
顔を上げて改めてリリアンを見る。彼女の頬は、真っ赤な大輪の薔薇のように染まっていた。ワインレッド瞳が、きらきらと輝いている。喜びにあふれる、恋する乙女の目だった。
「あの、わたし、嬉しくて……本当に、でも、わ、わたし」
寝起きに披露される百面相に、クレアの脳が追いつかない。
眉根を下げたリリアンは、今度はたっぷりの涙をたたえていた。いまにもこぼれそうである。
「……あなたが魔族だから?」
ぽろり、と雫を零したリリアンは、黙って頷いた。
「お、お兄さまが、許してくださるかどうか……そもそも、わたしがアルバート殿下と婚約なんて、してもいいのでしょうか……許されますか?」
(ラズウェルさまは、リリアンが魔族だろうとそうでなかろうと、誰との婚約も許さないと思うけれど)
このタイミングで言っていいことではないのはわかる。
クレアは喉までこみ上げてきた台詞を噛み砕いた。
「……まぁ、だいたい予想はできるわね、ラズウェルさまの反応は」
「ですよね……」
「でも、そうね」
魔族、ということにとらわれるから不可能に思えるが、もう少し違う見方をすればどうだろう。
「他国の皇女が、王太子に嫁いでくるのは……おかしいことではないわ」
問題は、リリアンがいまだに「リリアン・ロジャース」であるということだ。
「それに、あのラズウェルさまよ。あなたからのお願いなら、きっとなんとかしようとするでしょうよ」
「そうですか、ね」
「間違いないわ」
苦虫を嚙み潰したような顔で、アルバートに向かって呪詛の言葉を吐きながら、リリアンのためにふたりの婚約を成立させようと動くに違いない。それもまた、想像するのは容易だった。
「わたくしも援護してあげるから、朝食の席でお願いしてみなさい。悪いようにはならないわ、きっと、たぶん……おそらく」
後半はほとんどささやき声だった。さすがに自信がない。
しかし、リリアンの顔には、ふたたび花が咲いていた。感情の上下が激しすぎる。朝からこっちが疲れてしまう。
「お姉さまが味方してくださるのなら、百人力です! ありがとうございます!」
やけにはきはきと礼を言うリリアンに、クレアは気づいた。
「あなた、最初からこのつもりだったのね!?」
クレアを味方につけて、ラズウェルに対抗する。クレアがリリアンにつけば、ベサニーもリリアンにつくだろう。勝ち目は十分にある。先ほどまでの百面相だって嘘ではないのだろうが、リリアンは無意識に、この結果を予測していたのだ。
「ではお姉さま! またあとで! よろしくお願いしますね!」
リリアンはクレアのベッドからぴょんと降りて、光の速さで部屋を出ていった。やっぱり、クレアの受け答えはぜんぶ、リリアンの思惑のとおりなのだろう。
「ちょっと、待ちなさい!」
まんまと利用された。クレアの叫びは、もうリリアンには届かなかった。




