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 玄関ホールに差しかかる手前で、ラズウェルが足を止めた。


 惰性であとをついて歩いていたクレアはそれに気づかず、広い背中に顔から突っこんだ。痛い。鼻が潰れるかと思った。


「おや?」

「なに……あら?」


 言い争う声が、ホールに反響している。


 ラズウェルの背を避けて顔を覗かせれば、やたらと図体のでかい男がひとり。

 マーフィー公爵その人である。


「お父さま、と」

「ベティに、リリアンですね」


 巨体に向かって子犬よろしくきゃんきゃん吠えているのはベサニーだ。他所では絶対に被るようにと言いつけていた猫もかなぐり捨てて、「だからクレアサマはどこだっつってんだよ!」と噛みついている。

 リリアンはその隣で拳を握って、ベサニーの抗議に全力で便乗していた。


「門前払いじゃなかったの?」

「そのはずですが……私がいなくなったあとに、入れてもらえたようですね」

「お嬢様……!? ど、どうされました! そのお首!」


 クレアたちに気づいたのはさらにもうひとり、ベサニーとリリアンの傍で静かにたたずんでいたトーマスだ。ベサニーとリリアンを引きいれたのは、もしや彼か。


「クレアサマ!? ぼろぼろじゃねぇか!」

「お姉さま! く、く、首に指の跡が……!」


 クレアはそっと己の首に手をやった。そんなに目立つ状態なのか。さすがに気分が悪い。しばらく残ったりはしないだろうか。


「誰にやられたんですか!? まさかお兄さま!?」

「ちがうわよ」


 さすがにラズウェルが哀れになった。


 疑われたのがよっぽどショックだったのか、彼は胸を抑えてうつむいている。可哀想なので背中を軽く叩いて慰めてやった。

 逆効果である。恨めしそうに睨み返された。


 マーフィー公爵が、ゆっくりと振り返った。

 クレアの姿にわずかに目を見開いて……しかし、一言も触れない。


「……殿下はどうした」

「おいコラ! ほかに言うことがあんだろ!」

「いいのよ、ベティ。殿下ならまだ応接室にいるわよ」


 父親の冷たい反応も、慣れたものだ。幼い頃ならいざ知らず、いまのクレアはもう傷ついたりはしない。


 そんなもの、無駄だ。なんの効果も得られない。クレアが一番わかっていた。


「お怪我などさせていないだろうな」

「どうかしらね。殺されそうになったから、多少は痛い目を見てもらったかも」

「おまえというやつは……やはり、女など産んだのが間違いだった」

「産んだのはお母さまで、お父さまではないわ」


 親子にあるまじき会話だった。誰も口を挟めない。リリアンなんかは、口元を両手で覆って震えている。


(見せたくなかったわね、こんな親)


 リリアンからすれば、相当なショックだろう。


「親がこれでは……娘がひねくれて育つわけですね」

「似てるとか言ったら殺すわよ」

「まさか。全然似ていませんよ。貴女の方が全然良い」


 妙な納得をしたエメラルドグリーンの瞳が、意味ありげにクレアを映した。ほんの一瞬のことだ。クレアがなにか言い返す前に、彼はマーフィー公爵に向き直ってしまった。


 クレアの傍を離れた。

 かつ、かつ、とブーツの踵が鳴る。

 ぴたり。

 ラズウェルが立ち止まった。


 ラズウェルだって背は高い方だ。むしろ、鍛え上げているそこらの騎士よりもずっと体格がいい。その彼が、マーフィー公爵の前では痩身の青年のように見えた。


 至近距離で、ラズウェルとマーフィー公爵が睨み合う。


「マーフィー公爵」

「……なんだ」

「今日の件は陛下に奏上します。カイン殿下がクレアを殺そうとしたのを、マーフィー家が手助けしたと」

「話し合いの場を提供しただけだ」

「逃げられないように閉じこめた、の間違いでは?」


 ふたりの間に、火花が散った。


「貴方の思惑がどうであれ、殿下がクレアを殺そうとしたのは事実ですし、貴方が私たちを屋敷に入れようとしなかったのも事実です。無関係とは言わせませんよ」

「君が勝手に我が屋敷に侵入したことは?」

「たいせつな婚約者の危機ですから、当然のことです」


 たいせつ、とクレアは思わず口のなかで繰り返した。まさかそれが聞こえたわけでもあるまいに、ラズウェルがほんの少しだけ振り返る。


「マーフィー家と縁を切らせることも、視野に入れておきます」

「あれは我が家の娘だ」

「私の未来の妻です」

「ハァ!?」


 さすがのクレアも、黙っていられなかった。

 リリアンがばたばたと走ってきて、クレアの口を塞ぐ。その顔にはこれ以上なく可憐な花が咲いていた。


「ちょっとリリア……んぐっ」

「だめですよお姉さま! いまとってもいいところ……ではなく、大事なお話で」

「あなたいま、いいところって言った!? 楽しんでるわね!」

「そんなことないですよ、んふっ」

「笑ってるじゃないの!」


 これでは、ラズウェルも話をするどころではないだろう。


「……ふたりとも、やめなさい」


 彼は完全にマーフィー公爵に背を向けた。

 クレアとリリアンの動きが、ぴたりと止まる。


「帰りましょうか、ロジャース家に」


 苦笑したラズウェルは、クレアとリリアン、それからベサニーを見回した。


 ロジャース家に、帰る。


(やっと、帰れるのね)


 まさかその言葉に安心できる日が来ようとは夢にも思っていなかった。

 クレアの口から、ほう、と安堵の息がこぼれた。

 


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