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「救うって……わたくし」


 どこからつっこめばいいのか、見当もつかない。絶句したクレアを、カインはどう捉えたのか。

 期待に目を輝かせて、彼は身を乗りだした。がたん、とテーブルが鳴る。手つかずの彼のお茶が揺れて雫を飛ばした。


「そうだ。すべては、俺とおまえの婚約を白紙に戻そうとたくらんだロジャース家の陰謀だったんだよ」

「……ちょっと待ってくださる? わたくしにはなんのことだかさっぱり」

「気遣いはいらない。俺も昨晩気づいたんだ。おまえは最初から気づいていたんだろう?」


 クレアの待てはそういう意味ではない。


 しかしカインは構わなかった。そもそも、目の前にいるクレアが目に入っているのかどうかも怪しい。目が合っているようで合っていない。完全に自分の世界に沈んでいた。


 カインが気づいたというロジャース家の陰謀は、こうである。


 クレアとカインが婚姻すれば、王家とマーフィー家の関係はより密接になる。息子ひとりしかいないロジャース家は、王家に自分の子を嫁がせることができず、同じ公爵家としてマーフィー家に劣ってしまう。

 だからどこからか魔族の娘を調達してきて、カインに色仕掛けをさせた。

 それにまんまと引っかかったカインはリリアンにすっかり惚れこんで、ロジャース家の狙いどおり、クレアに婚約破棄を叩きつける。


「あとはそのまま、リリアンが俺に嫁げば、マーフィー家が手にいれるはずだった王太子妃の後ろ盾という立場がそっくり手に入る。俺が万が一にもクレアにふたたび興味を抱かないように、ラズウェルはすぐにクレアに婚約を申し込んだ。そういうことだ」

「殿下……」

「わかってくれたか」


 わかるわけがない。暴論にもほどがある。クレアは漏れそうになったため息をぐっと呑み込んで、必死に言葉を探した。


「カイン殿下は……勘違いをしていらっしゃいますわ」

「勘違いだと?」


 勢いづいた表情をそのまま顔に貼りつけて、カインは上半身を引いた。

 一応、話を聞く姿勢はあるらしい。まだカインがギリギリ冷静であることに安堵して、クレアは台詞を重ねた。


「殿下もご存じでしょう。わたくしが、醜い嫉妬でリリアンに嫌がらせを重ねていたこと」


「ああ、あの女が俺とおまえを引き離そうとしていたことを知っていたんだろう? 俺は浅はかだった。おまえを口汚い言葉で罵ってしまったな」


「ラズウェルさまは、わたくしのリリアンに対する所業を憂いて、わたくしを監視するために婚約を申し込んだのですわ。わたくしの嫌がらせだって、彼にずっと邪魔されていました。殿下のおっしゃるように、リリアンと殿下を添わせたかったのであれば、そんなことなさらないはずでしょう」


「そんなの簡単だ。昨日も言ったじゃないか。ラズウェルはリリアンに傾倒していたんだろう。あの女が俺を振ったのも理由がつく。与えられた使命を放棄して、兄妹で結ばれようとしていたんだ。ロジャース家の唯一の誤算だっただろうな」


「……あの家は親子が不仲ですから、そもそもロジャース家が仕組んだことだというのも無理があります」


「自分たちが親と慣れあっていては示しがつかなかったんだろう。ラズウェルは、おまえが実家に帰るのも禁じていたのだろう? マーフィー公爵から聞いたぞ。ラズウェルと婚約してから、おまえは一度も帰ってこなかったと」


 クレアは両手でスカートをきつく握りしめた。

 カインの話は破綻している。矛盾だらけなのに、上辺だけすくい取れば筋が通っているように聞こえる。


 カインがいたって正気でこの話をしていることが、一番恐ろしかった。


 クレアの話を聞いているようで、聞いていない。会話が成立しているようで、成立していない。


 この男に、対話なんて無意味だ。


 ソファーのクッションが沈んだ。

 はっと隣を見れば、カインが移動してきている。

 油断した。素早く離れようとしたが、カインの尻がクレアのスカートを踏んでいる。逃げられない。


「まるっきり監禁じゃないか。その上、初日には魔獣に襲われたんだろう? 舞踏会のあとだって、魔族の襲撃に遭っている。このままだと、おまえは殺されてしまうぞ」

「殿下、離れてくださいませ」

「俺はおまえを守りたい」


 肩を掴まれた。カインの顔が近づく。


 唇に触れたのは、ほんの一瞬。


 生暖かい感触だった。


 それで、十分だった。


 ――クレアが、頭に血を昇らせるには。


「俺は、おまえを愛して――」


 カインの台詞を遮ったのは、ぱぁんと高らかに鳴った、破裂音に近い音だ。


 クレアの手のひらが、じんと痺れた。

 当たり前だ。思いきり叩いた。


「わ、わたくしに触らないで!」


 怒りで声が震えた。

 目の前のカインの姿がかすんでいる。


 こんな男の前で泣いてやるものか。クレアは強く目を瞑って、崩れそうな涙の壁を打ち消した。


 力いっぱい張られたカインの頬が、赤く熱を持っている。

 その表情は、乱れた前髪に隠れて見えない。俯いたまま、彼は静かになった。


 クレアは手の甲で口を拭いながら、スカートを引く。カインが我に返る前に、離れなければいけない。クレアは手を出してしまった。なにをされるかわからない。


 ずるり、とカインの下からスカートが抜ける。

 やった、と腰を浮かせかけたとき、視界が反転した。


「どうしてわからないんだ!?」


 カインがクレアを押し倒していた。クレアのからだに、成人男性の体重がのしかかる。内臓が潰れそうだ。


「俺がおまえを想っているんだぞ! おまえのことを考えてやれるのは俺だけだ! そうだろう!? おまえだって、あんなに俺を慕っていたじゃないか!」


 また、それか。いつの話だと思っているのだ。カインがクレアを捨てるずっと前の話だと、以前にも言ったのに。


(この世で一番嫌いよ!)


 言うことができれば、どんなにいいことか。


 しかし、声が出なかった。

 息が詰まる。空気がうまく吸えない。まるで喉を塞がれているようで――。


 カインの両手が、クレアの喉を締め上げていた。


「ラズウェルに洗脳されているのか? 少しお灸が必要だな? おまえが悪いんだぞ、俺がこんなにも尽くそうとしているのに、わかろうとしない。おまえが、おれが……」


 クレアが抵抗しても、びくともしない。指一本すら剥がせない。身をよじることもできなかった。


 視界がかすんだ。アイスブルーの瞳の上に膜を張ったのは、生理的な涙だ。耳の奥で、心臓の音がうるさく鳴っている。耳鳴り。頭痛。

 だんだん思考もぼやけてきて。


 助けは、来ない。

 だって、こんなときは。


「……ず、うぇる、さま」


 魔物に襲われて生死の境をさまよったとき。

 魔族に見つかって殺されそうになったとき。

 ベサニーとふたりで乗りこんだ村で。

 舞踏会でカインに絡まれたあのとき。

 その帰り道で魔族に襲われたとき。


 いつだって、クレアを助けてくれたのはラズウェルだった。


「……たすけて、ラズウェルさま」


 だから。


「呼びましたか、クレア」


 この場にあるはずのない声が、聞こえた。


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