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 カインの失踪――。


「どういうことかしら」

「我々にも全く……今朝方、侍女が殿下を起こしにいったところ、寝室がもぬけの殻だったそうで。それからどこを探してもいらっしゃらないと」


 外泊や外出には問題がないが、それを誰も知らないというのは大問題である。仮にも王太子だ。その身に危険が迫る可能性だって拭えない。

 カインが王宮内にいないとわかると、ただちに騎士に出動要請がいき、こうして王都まで下りてきたというわけだ。


「マーフィー嬢はなにかご存じではないですか? リリアン・ロジャース公爵令嬢のことでもいいのですが……」

「どうしてリリアンの名前が出てくるのよ」

「それが……」


 昨日から、カインはずっとうわ言のようにリリアンの名前を繰り返していたらしい。


「あ、あの女のせいだ、騙された、本気で愛していたのに……と……あの、私が言ったわけではなくて! カイン殿下が」

「わかってるわよ。なるほどね」


 ラズウェルの伝言は、これだ。たしかに、リリアンを隠したがるのも理解できる。


 おそらく、ロジャース家にも問い合わせが来たのだろう。朝なのをいいことに、ラズウェルは「リリアンはまだ寝ている」とかなんとか言って適当に追い返したに違いない。


 ならば、話は早い。クレアは胸を反らして、困った様子の騎士を睨みつけた。


「カイン殿下の失踪に、リリアンが一枚嚙んでいると疑っているわけね」


 わざとらしく頬に手をあてて、悲しんでみせる。伏せた瞳は地面に落とし、ここぞとばかりに深いため息をついた。

 いわれのない罪を被せられようとしている義妹……予定の少女を案じる令嬢の完成である。


「そ、そんな! そういった意図はございません。本当に、手がかりがなにもないので、我々はただ……」

「わかっているわ。わたくしのことも怪しいと思っているのでしょう。なにしろ、殿下にこっぴどく捨てられた女だもの」

「ちがいますちがいます! マーフィー嬢を疑うなんて、とんでもない!」


 焦りを通り越した騎士の男の顔は、青くなり始めていた。


 クレアはここぞとばかりに顔を上げて、にっこりと笑った。眉根を下げて、困ったように。無理をして笑っています、という感情を前面に押し出す。


「いいのよ、隠さなくても。これ以上わたくしが外にいても怪しまれるだけでしょうし、さっさと帰ることにするわ」

「大変失礼しました! お引き止めしてしまって、申し訳ありません!」


 直角になるほど綺麗に頭を下げた騎士の男に背を向け、クレアは足を速めた。


「ベティ、適当なタイミングでリリアンを迎えに行ってちょうだい。そのままロジャース家に転移して。わたくしはひとりで帰るから」

「わかった。クレアサマも気をつけろよ」


 周囲に散っている騎士たちの耳目が他所へ向いたのを狙って、ベサニーは人混みに溶けて姿を消した。


 ◇ ◇ ■


 ロジャース家本邸の門前に、見覚えのある馬車が停まっていた。


「マーフィー家……?」


 なんだかいやな予感がして、クレアは門のなかに駆けこんだ。うねりながら玄関まで伸びる石畳を無視して、庭を真っすぐ突っ切る。

 最短距離で正面玄関にたどり着いたクレアは、不安げな顔のリリアンと、落ち着かない様子のベサニーが立っていることに気づいた。


「クレアお姉さま!」

「応接室に来てんぞ」


 さっさと入れ、と言わんばかりに、ベサニーが扉を開く。クレアはかつかつと踵を鳴らして屋敷に入りながら、リリアンとベサニーの顔を交互に見た。


「来てるって、誰が?」


 ふたりを見れば、歓迎できない相手であることは確かだ。


 このタイミングで、歓迎できない相手と言われると――。

 ブロンド髪の、王位継承権をはく奪されそうな王太子。あれしかいない。


「……ではないわね」


 カインはあり得ない。だって、門前に停まっていたのはマーフィー家の馬車だ。よく考えなくても、相手は決まっている。


 クレアの実家は、クレアがラズウェルと婚約してから、ほとんど沈黙していた。

 ちょっと事件が起こったときに、クレアに釘を刺す手紙を送ってくるくらい……それも、舞踏会のあとのたった一度だけだ。


(いまになって、どうして……)


 応接室の前……廊下の壁に、ラズウェルが背を預けて寄りかかっていた。不機嫌オーラが駄々洩れである。クレアたちが来るのに気づくと、部屋のなかを顎で示した。


 声にこそ出さなかったが、彼の口がたしかに「遅い」のかたちに動く。


「お客さまがお待ちですよ……まったく、こんなときに面倒ごとを……」


 扉の前に立ったクレアの耳に届いた、後半の言葉は、ほとんどラズウェルの口のなかでもぞもぞと呟かれてよく聞き取れなかった。


 しかし、いまさら動揺することもあるまい。

 門前にあった馬車で、厄介な相手だと言うのは十分理解している。


 覚悟を決めてノックする。返ってきたのは、初老の男の声だった。

 扉を開けた先、ソファーから立ちあがったのは――。


「お久しぶりでございます、お嬢様」


 マーフィー公爵の側近を務めている男だった。


「どうしてあなたがここにいるのかしら、トーマス」

「旦那様の使いですよ。お嬢様をお迎えに上がりました」

「迎え?」


 クレアは部屋の入り口から動かない。


 警戒されていることがわかっているのか、トーマスはちょっと困った様子だった。心なしか、顔色も悪い気がする。見れば、ローテーブルに出されたお茶が一滴たりとも減っていなかった。


 緊張している。それも、よくない方に。


「……どうしていまになって、わたくしを家に?」

「お嬢様がロジャース家に入ってから、ずいぶん派手なトラブルが続いています。旦那様はそれを憂いておられました」

「だから、わたくしから話を聞こうってわけ?」

「さようでございます」

「殿下が行方不明だってときに、どうしてかしら。時機が悪すぎるとは思わない?」


 沈黙。クレアのなかで、いやな予感が膨れ上がった。

 まさか、カインの失踪にマーフィー家が関わっているなんてことは……。


「わたくしが応じるまで、帰らないつもりね?」

「残念ながら。なにがなんでも連れてこいとの仰せでして」


 クレアは唸って、金魚のフンよろしくくっついてきたベサニーとリリアンを見る。ふたりとも勢いよく首を横に振った。当たり前だ。クレアが同じ立場でも絶対に止める。あまりにもきな臭すぎる。


 続いてラズウェルも窺ったが、彼はこちらを見てすらいなかった。

 廊下の反対側の壁を睨んだまま、むっつりと押し黙っている。


「……ラズウェルさま」

「なんです」

「ついてきてくださらない?」

「マーフィー家にですか」

「そうよ」


 そこでやっと、エメラルドグリーンの瞳がクレアを見た。


「なぜです。貴女の実家でしょうに」

「実家だからよ。知っているから、信用ならないの」


 クレアの両親は、クレアに無関心。

 カインと婚約したときも、その婚約が破棄されたときも、ラズウェルと新たに婚約を結んだときも、クレアがロジャース家に生贄よろしく差しだされるときも、首振り人形のように頷くことしかしなかった者たちだ。


 そしてその後のマーフィー家のアクションについては、前述のとおりである。


「会って話がしたいなんて、絶対に裏があるわ、だから」

「いけませんよ、お嬢様」


 クレアのお願いに答えたのは、トーマスだった。


「旦那様からは、お嬢様だけをお連れするようにと仰せつかっています。婚約者どののご同行は、認められません」

「……真っ黒じゃないの」


 クレアが歯を噛みしめた。ピリ、と空気が張り詰める。


 クレアの袖を引いたのはリリアンだ。ベサニーはトーマスを睨みつけている。


 惜しげもなく舌打ちをしたラズウェルが、どういうわけか一番悔しがっているように見えた。


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