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「たしか、教えてもらったのは……こっちの建物です!」

「あまり先に行きすぎるなよ。危ねぇから」

「ふたりとも、うるさいわよ。こんなところで部外者が騒ぐもんじゃないわ」


 翌朝、クレアたちが足を踏み入れたのは、露店のある通りから奥に入った、集合住宅が並ぶ一角だ。


 大勢が安全に住むこと以外を切り捨てたような、ものすごく簡素な見た目をしてた建物が林立していた。遠目から見たら、無数の穴が空いた縦に長い棒のように見えたかもしれない。


 集合住宅の入り口を睨みながら歩いていたリリアンが、ぱっと顔を上げる。


「あ、クレアさま、ベティ、ここです!」


 どの住宅も同じ見た目をしているため、入り口の横にそれぞれ記号と番号が振ってあるらしい。

 リリアンが昨日、老婆から聞いていた。


 ぽっかりと開いた入り口からなかに入ると、正面に扉がみっつ、右手に螺旋階段。ブローチの店の老婆が住んでいるのは、階段に一番近い部屋だ。


 板張りの扉に、こんこんこん、と軽快なノックが響いた。


「おはようございます、リリアンです! ブローチを受けとりに来ました!」


 奥から、籠った返事が聞こえた。

 ゆったりとした足音が扉に近づいてくる。きしんだ音を立てて、扉が開いた。

 顔を出したのは、もちろん例の老婆である。


「はい、いらっしゃい。待ってたよ」


 その手には、小さな包みが握られていた。店先でブローチを包むときに使っていたものと同じだ。


「ほれ、約束のもんだよ。開けてみな」

「ありがとうございます! では、お姉さま!」


 すかさずクレアを振り返ったリリアンに、クレアは嘆息した。


「あなたが開ければいいじゃないの……」

「だって、お姉さまのものですからね!」

「はいはい、わかったわよ。どうも」


 老婆から包みをもらって、そっと紐を解く。


 現れたのは、ヒビひとつ入っていない綺麗な台にはめこまれた、エメラルドのブローチである。以前はただ蔓が絡み合ったデザインの枠だったが、今度は違った。


「今度は薔薇の細工なんですね! すごい、細かい!」


 真っ先に感嘆の声を上げたのはリリアンだ。

 老婆が得意げに笑みを深めて、クレアの手の上のブローチを指先で撫でた。


「こちらのお嬢様にはこういう、派手な花が似合うと思ったんでね。思い切って変えてみたんだよ。気に入ったかい?」


 老婆が下からクレアを見上げる。なんだか照れくさくなって、クレアは咄嗟に顔を逸らした。


「……ええ、ありがとう」


 一日という無茶な納期だった。なんの飾りもないシンプルな枠の台に付け替えるだけで精いっぱいだと思っていたのに、想像以上だった。


(別に、わたくしは直らなくたってよかったのだけれど)


 割れたままであれば、ラズウェルの瞳のブローチなんて金輪際つけなくて済んだのに、とわざわざ心のなかで言い訳をするのは、「直って嬉しい」と考えてしまう自分がいることに気づいているからだ。


「……あ! お代なんですけど、無理を言ってしまったので」

「わたくしが出すわ」


 クレアはリリアンを静止して、ベティを呼んだ。

 適当な返事とともに、クレアが差しだした手のひらに小さな革袋が乗せられる。


 ちゃりん、と硬貨の音がした。あらかじめ準備しておいたのだ。リリアンが勝手に決めて頼んだとはいえ、クレアの私物の修理である。


 袋を老婆に渡すと、彼女はその重さに目を丸くした。


「おや、いいのかい、こんなにいただいてしまっても」

「構わないわ。無理を言ってこんなに早く直してもらったのだもの」


 ふん、とクレアが鼻を鳴らすと、老婆は愉快そうに笑った。


「私は仕事をしただけだよ。でも、ありがとうねえ。遠慮なくもらっておくよ」


 変に遠慮して突き返したりしないあたり、好感度が高い。代金を置きに戻った老婆の背中に、クレアがふっと口元を緩めたときだった。


 やかましい鳴き声を散らしながら、小鳥が飛びこんできた。


「あら、鳥……じゃないですね」


 リリアンの肩に留まって、初めてわかった。小鳥に見立てて折られた紙だ。魔法の一種である。魔導士の間では、手紙よりも速いからと、情報の伝達に使われている、と聞いたことがある。


 かぱ、と嘴を開いた紙の小鳥は、流暢な言葉で話しはじめた。


『リリアン、いますぐ隠れてください。騎士団がそちらへ向かっています』


 ラズウェルの声だった。


 たったそれだけを伝えると、小鳥はリリアンの肩から飛び立って、燃え上がる。はらはらと落ちる紙片を目で追って、リリアンが首を傾げた。


「隠れろって、わたしだけですか? どうして……」


 しかし、それを追及できる相手はいない。わかるのは、ラズウェルがわざわざ連絡を寄越してくるほど切迫した事態だということだけだ。


 顔を見合わせるクレアとリリアンを横に置いて、先に動いたのはベサニーである。


「ばあちゃん、ちょっとこの子をかくまってくれないか」

「うん? 構わないさ。ほら、入っておいで」


 ふたたび姿を現した老婆は、ちょっと首を傾げただけで、すぐにリリアンを奥へと誘った。

 クレアが口を挟む隙もない。


 リリアンと老婆を呑みこんだ扉がぱたりと閉じると、すかさずベサニーがクレアの腕を掴む。


「クレアサマ、俺らも離れるぞ」

「なにが起こっているの」

「俺にもわからん。けど……魔導士が言っていることは確からしいぜ」


 露店街に戻ってきたところで、揃いの制服を身につけた騎士たちがうろついていた。開店の準備をする民に声をかけて回っている。


 ラズウェルが隠れろと指示したのはリリアンだけだ。ならば、クレアたちはどうするべきなのか。


 考えている間に、ひとりの騎士がクレアたちの存在に気づいてしまった。人の間を縫って、厳しい顔をした騎士が近づいてくる。


「クレア・マーフィー公爵令嬢でいらっしゃいますか」

「そうだけど……ずいぶん物騒ね。なにがあったの?」


 次の騎士の言葉で、クレアは危うく手に握ったブローチを落とすところだった。


「今朝から、カイン殿下の姿が見られないのです」


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