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ラズウェルが、リリアンとカインの間に素早く割って入った。杖の先端にはめこまれた青い宝石が、淡く輝き始める。
カインの目には入っていないようだった。それ以上近づこうとする気もないようだ。
代わりに、まさにいま叫んだ「汚らわしい」という言葉どおりの仕草をした。
一歩下がって、口元を袖で覆う。
「よくも騙したな! 俺は、俺はずっと魔族に言い寄っていたのか……? この女狐め! 一国の王太子にこの所業、許されると思っているのか!」
「カイ――」
「カイン殿下」
なにかを押し殺したような声だった。
腰を浮かせかけた国王が、ぴたりと静止する。廊下で騒いでいた者たちが、一斉に静まり返る。
カインを見つめるラズウェルの瞳を見て、クレアは反射的に足を引いた。
「これは国家の機密に関わる事案です。どうぞお引き取りください」
あえてリリアンに向かって放たれた暴言に触れないのが、なおのこと怖かった。
ラズウェルの表情筋はぴくりとも動いていない。
わずかに口角が上がってさえいる。
「そして、決して誰にも漏らさぬよう」
しかし、震えた声音に隠されているのは、たしかに怒り――いや、もはや憎悪と言ってもいいほどの激情だった。
(触れないんじゃなくて、触れられないんだわ)
杖の宝石は、さらに輝きを増している。
ラズウェルはいま、細い糸でギリギリ理性を保っている。あとひとつなにかあれば、もう抑えられない。クレアにもよくわかった。
だって、クレアでさえ、カインの発言に、こんなにはらわたが煮えくり返っている。
知らぬ間に強く拳を握っていた。涙さえ滲んでくる。
別にリリアンを大切に想っているわけじゃない。しかし……しかし、いまのは。
(先に言い寄ったのは、殿下の方じゃないの!)
いまのは、あんまりだ。
「おまえも知っていたんだな? リ――この女が魔族だったと。魔族を使って俺に色仕掛けをして、なにが目的だ?」
カインはラズウェルの様子がおかしいことに気づかないのか、なおも噛みつく。
ひくり、とラズウェルの頬が動いた。なにか言おうと口を開き、そのまま息を吸う。
彼の喉を、空気が通り抜ける音がした。
「いや、違うな」
ふと、カインが声を落とす。
「おまえは、いつも俺とリリアンの仲を裂こうとしていた。それは……」
沈黙が落ちる。
耳鳴りがする。
止めるならいまだ。後ろから腕を掴めばいい。
カインは舞踏会で、クレアに気味の悪い執着をみせていた。クレアが止めれば、リリアンから意識が逸れるはずだ。
だから、クレアは手を伸ばした。
はっ、とカインが笑ったのは、そのときだ。
「わかったぞ。おまえ、さてはそこの女と繋がっていたな? 異常なほどに溺愛していたのも頷ける。血が繋がっていないのなら、情愛を抱くのも――」
「ふざけるな!!」
声が力を持ったようだった。謁見の間が地震のように揺れる。びしり、と耳に届いたのは、どこかの壁にヒビが入った音だろうか。
ラズウェルの髪が、ぶわりと浮いた。
空気がずんと重くなる。呼吸をするのがつらい。ラズウェルの周りで濃度を増した魔力が、反発しあって火花を散らした。
「お兄さま!」
気づいたときには、尻もちをついたカインの眼前に、目が眩むほどの光を放つ杖が突きつけられていた。リリアンがラズウェルの外套を引いているが、ほとんど意味をなしていない。逆に引きずられている。
「よくもおぞましい考えを口に出せたものだ! その喉いますぐ掻っ切って」
ふたたび部屋が揺れる。
クレアはたたらを踏んで、ほとんど飛びこむように、カインとラズウェルの間に駆けこんだ。
「落ち着きなさい、ラズウェルさま! 相手が誰だかわかってるの!」
「知るか、退け! 殺せないなら喉を潰してやる。それともおまえが死ぬか?」
エメラルドグリーンの瞳の奥に、炎がちらついていた。
クレアの喉が詰まる。脚が震えている。こめかみを、冷たい汗がすべり落ちる。
頭のなかが真っ白だった。言葉がなにも出てこない。ラズウェルに殺されたあのときだって、もっと上手く口が回ったのに。
(落ち着くのよ、わたくし……! ラズウェルさまをどうにかできるのは)
いつだって、リリアンだけだ。




