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食事中、ふっと静かになる瞬間があった。
(どうしたらここまで気まずい空気を出せるのか知りたいわね……)
リリアンが喋り倒している際はまだいいのだが、それが止むと途端にいやな静けさが食堂に満ちる。食事の場にはクレアも一緒にいるのだから、できれば巻きこまないでほしい。
背後に控えるベサニーまでそわそわしている。
一緒に落ち着かない気分になってしまう。朝からこんな調子ではたまらない。
何度目かの沈黙のあと、クレアはとうとう口を開いた。
(あなたたち、いい加減にしなさいよ)
「ラズウェルさま、もう手袋はつけないのかしら。ずっと素手のままだけれど」
全然ちがうセリフが口をついて出た。
しまった、とクレアは顔をしかめる。気まずい空気にあてられて、つい話題を振ってしまった。
「クレアサマから話を振るなんて、天変地異の前触れか?」ベサニーがぽろっと呟きを漏らしていたが、無視。むしろ自分の言動が信じられないのはクレアの方だ。
「リリアンが贈ってくれたものだからつけていたんです。自分で新しいものを用意する気にはなれませんね」
「……そうなんですか? でもお兄さま、わたしがあげる以前からずっと手袋をつけていたような」
思わず、と口を出したリリアンに、ラズウェルが黙った。
さっきよりも数段、いたたまれない空気が流れる。
(こ、この……悪化したわ)
どうやらクレアは、話題選びに失敗したようである。ベサニーが「うえー」とうめいたので、睨みつけてやった。
どうも気になったので、食事のあと、部屋に引っこもうとするラズウェルを捕まえた。
「小さい頃のリリアンは結構やんちゃで……引っかかれたりすることがしょっちゅうあったんです」
魔物の爪や牙には瘴気が含まれている。それは魔族も同様だ。
「瘴気が混ざればいやでも傷はひどくなります」
ラズウェルが袖をめくって、肘の下あたりを見せる。引っかいたような傷跡が複数、はっきりと残っていた。
「これがそうなの?」
「ええ、リリアンがまだ二歳だか、三歳だかの頃です」
クレアが魔族に引っかかれたときよりも、ずっと軽いものだ。クレアの腕の傷はもう跡形もなく消えている。
「綺麗に治せなかったのかしら。あなたならできるでしょうに」
「いまなら、ね。あの頃の私はまだ十五にもなっていません。傷を治すだけならまだしも、瘴気を浄化するなんて芸当はできませんよ」
「……あなたにも子供時代があったのね」
リリアンが三歳にも満たない頃、というのだから、そのぶんラズウェルも若い。考えてみれば、当たり前のことだ。
「どういう意味です?」
「そのままの意味よ。……それで、リリアンの爪から守るために手袋をつけていたのね」
ラズウェルが頷く。
「リリアンが大きくなったあともそのまま惰性でつけていたのですが」
「それを見たリリアンが、手袋をプレゼントしてきたと。リリアンには言わない方がよさそうだわ」
まさか、自分の瘴気から身を守るために身につけていたものだなんて知ったら、また引きこもってしまいそうである。
「言ったら今度こそ殺します」
「動機が軽すぎるわ。わたくしはいったいいくつ命を持っていればいいのよ」
でも、そうね……とクレアは考えた。
「いいことを思いついたわ」
にっこりとラズウェルに笑いかける。不審げな顔をされたが、気にならなかった。
◇ ◇ ◆
「というわけで、ラズウェルさまに新しい手袋を贈ったらどうかと思って」
ラズウェルから話を聞いたその足で、クレアはリリアンの部屋に向かった。
「わたしがですか?」
「ほかに誰がいるのよ。ラズウェルさま、自分でも言ってたじゃない。リリアンにもらったものじゃないとつける気になれないって。まだ気にしてるのよ、前の手袋が使えなくなってしまったこと」
自分でもよくこんなに適当な言葉がポンポン出てくるものだと思う。しかし、まるっきり間違いではないはずだ。手袋をつけていた理由もリリアンには明かしていないし、問題もない。
「……あっ」
突然、リリアンがなにかに気づいたように顔を上げた。ぎょっとクレアが身をすくめる。
「なによ」
リリアンは、もじもじと指をすり合わせた。わずかに頬が紅潮している。いやな予感がした。
「待って、言わなくていい。聞きたくな」
「もしや、お兄さまに贈りものをなさろうとしていらっしゃいますか?」
「は?」
「わたしのことは気になさらないでください! お兄さまだって、お姉さまからいただいた手袋ならきっと使ってくださいますよ!」
「ちょっと待って、わたくしは」
リリアンのマシンガントークは止まらない。
「どうしても気になるというなら、わたしもお手伝いさせていただきます! 以前わたしが頼んだお店に行きましょう」
「わたくしがラズウェルさまに手袋をあげてどうするのよ!」
クレアは、ラズウェルとリリアンの間のぎこちなさをどうにか軽減できないかと思って提案したのだ。食事のたびにあの重い空気に呑みこまれてはたまらないからである。
断じて、クレアがラズウェルに手袋を贈りたくて、しかしラズウェルの「リリアンからもらったもの以外いらない」発言を気にして、リリアンに相談したわけでは……。
いや、本当にそんなわけがあるか。
「どうすればそんな飛躍した考えに至るの!」
「王都に行ったときの予定が増えましたね!」
「話を聞きなさいよ!」
ここ最近のリリアンは、どうもラズウェルよりクレアといることに喜びを見出しているような気がする。ラズウェルを避けるためか、ちがうのかはわからないが……とにかくクレアにとっては最悪だ。
「わたしとお兄さまのことは、本当に大丈夫なんですよ」
リリアンがクレアの手をとった。
「まだちょっと、どうすればいいかわからなくて……こう、改めてお兄さまと向き合うと、どうしても身構えちゃうんです。でもこれは、きっと時間がどうにかしてくれます」
だから! と思いきり手を握られる。
「いまは、お兄さまとお姉さまのことです! おふたりが仲良くなれるように、わたしも精一杯協力させていただきますから!」
「そんな話してないわ!」
クレアは力いっぱい叫んで、リリアンの手を振り払った。




