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 クレアの予想通り、その日の晩は悪夢を見た。


 なにもない暗闇で、ラズウェルがひたすらにしくしく泣き続けているのである。あたりは真っ暗で、彼がなにを着ているのかもわからないのに、その表情と、流れる涙だけははっきりと見えた。


 それだけじゃない。途中から、なぜかリリアンがクレアの腰にしがみついていた。


「冗談じゃないわ!」


 強固な意思を持って飛び起きた。


 クレアはため息をついて、掴んだ布団に顔をうずめる。


(前にもこんなことがあったわね……)


 あのときと同じだ。心臓に悪い起き方をしたせいで、すっかり目が冴えてしまった。


「ちょっと外でも歩いてこようかしら」


 散歩でほどよく疲れたら、もう一度眠れるかもしれない。昨晩だってリリアンの騒ぎがあったせいで、ろくに寝ていない。

 二日連続で寝不足はさすがにまずい。肌荒れ待ったなしだ。


 ベッドから降りようと、布団から抜けだす。


 そこで気づいた。

 窓の外がやたらと明るい。


「朝……ではないわね、空は暗いわ」


 ぺたっと窓に額をつけて覗いてみると、明るいのは庭の方だった。誰かがいるようだが、よく見えない。


 クレアは適当なガウンを羽織って、部屋を出た。


 申し訳程度に魔法石の明かりが灯された廊下を進む。ラズウェルの部屋も、あのあとラズウェルが直したリリアンの部屋にも、人が起きている気配はなかった。

 ベサニーの部屋はここにはない。別棟の、使用人たちが暮らしている寮である。


 静まり返った屋敷では、クレアが移動する音はよく響いた。

 玄関ホールに、かつん、かつんと足音が反響する。


 扉を開けて庭へ出ると、眩しい光がまぶたを焼いた。


 頭上で瞬く星々がなければ、屋敷の周辺だけ昼間になったのかと錯覚してしまうところだ。

 やたらと明るい理由はすぐにわかった。


「おや、クレア。こんな時間にどうしました?」


 ラズウェルである。


 いつもの杖の宝石で芝生をなぞるようにしながら、ゆっくりと歩いていた。淡く輝く宝石が触れるたびに、ほんの一瞬、小さな青い花がほころんで、蔦が伸び、地面に吸いこまれるように消えていく。


 同時に、きらきらと白い光が散った。蛍のようだった。


 下から照らされたラズウェルの白い頬に、クレアは涙の跡を空見した。さっきの夢のせいだ。彼の頬には、いまはもうなにもない。

 その目だって、いつもの不敵な光をたたえている。


「なにをしているのかしら。あなたのせいで目が覚めてしまったのだけれど」

「おや、貴方がそんな繊細な方だったとは存じ上げませんで」

「そうね、少なくとも妹に泣かされるあなたよりは図太い精神を持っているわ」


 ラズウェルが黙った。彼に呼応するように、足元で咲いた花がしおれる。


(勝ったわね)


 なんだかんだ、はじめてラズウェルを言い負かした気がする。気分がすっとした。もうすでに、悪夢を見ることなくぐっすり眠れそうである。


「……結界を張り直しているんですよ」

「魔族かしら」

「ええ。王都で襲撃に遭ったんです。それも帰路についたとき。こちらもすでにバレていると思った方がいいでしょう」


 王都で襲われたときの魔族は、おそらく手練れの集まりだった。結局ラズウェルが一掃してしまったが、なす術もなくクレアやリリアンの乗っている馬車をひっくり返され、リリアンを無防備な外に引っ張り出されてしまったのは事実だ。


 普段のラズウェルなら、絶対にそんな失敗はしない。


「対策が万全なら、遅れをとることはありません。あのとき生き残ったのは長髪のヘロデとかいう男だけですし、時間なら充分にあります」


 彼がそう言うなら、間違いないだろう。

 こと戦闘に関しては、クレアはラズウェルの実力を疑っていない。すでに何度も助けられている。非常に不本意ではあるが。


「ベティがいた組織の魔族を全員潰したら終わり?」


 言ってから、クレアは自分で疑問を抱いた。


 彼らが取り戻そうとしているのは一国の皇女だ。そんな簡単に終わるとは思えない。

 ラズウェルもやはり、同じ考えのようだった。


「まず無理でしょうね。どうせ、情報はすでに向こうへ渡っています。あの組織が消えても、ティザシオン皇国から新手が送られてくる。国家間の問題になる可能性も念頭に置いておかなければいけません」

「国家間の……」


 言われてみれば当然のことだが、クレアはことの重大さに目を剥いた。


「それでもリリアンは渡さないのね?」

「当たり前でしょう。もっとずっと……十七年前ならいざ知らず、いまさらのこのこ出てきた連中なんざ知りませんよ」


 ラズウェルの顔が歪んだ。秀麗な顔に、怒りがにじむ。


「だいたい、これまで人間として生きてきたあの子が、この年になって魔族として生き直せるわけがない。リリアンが帰りたいと言ったって認めません」

「ちょっと、昼間と言ってることが違わない?」


 おっと、とラズウェルが口を塞いだ。手遅れである。クレアは半目になって彼を見た。


「……とにかく、あの子がティザシオン皇国の皇女である以上、さすがに個人間でことを済ませることはできません」


 確実に、メリベラル王国を巻きこむかたちになる。さすがに、ラズウェルの顔色が沈んだ。


「大丈夫なの?」

「なんのために私が王宮付き魔導士に……それも筆頭にまで上りつめたと思いますか」


 一瞬、クレアの思考が停止した。


「まさか、こうなったときのため……」

「もはや私がいなければ、王都を守る結界は成り立ちません。十七年前以降、王都が一度も魔物に襲われていないのは私の功績です」


 一度魔物が出た場所は、二度、三度と魔物の襲撃に遭いやすい。最初の魔物の瘴気が気配となってその場に残り、ほかの魔物に「ここは餌場だ」と示すためである。

 王都を守る結界がなければ、おそらく王都は三日と経たずに阿鼻叫喚の地獄と化すだろう。


 ラズウェルが魔導士としての道を志したときから、この未来を予想して、確たる地位を手にいれるために動いていたとしたら。


「気持ち悪……」

「兄妹愛と言いなさい」

「余計に気持ち悪いわ」

「失礼ですね」


 む、とラズウェルが眉を寄せた。


「とにかく、陛下を脅す……いえ、説得する材料は充分にあります。なんとかしてみせますよ」

「脅すって言ったかしら」


 無視された。


「呆れた……部屋に戻るわ」


 もうお腹いっぱいだ。これ以上相手をして、さらにリリアン愛を浴びせられたらたまらない。


 しかし屋敷に引き返そうとしたクレアの足は、縫いつけられたように動かなかった。


「ちょっと待って、なにか足に巻きついてるんだけど!?」


 見れば、地面から伸びた蔓が足首に絡まって……いや、締め上げている。それもどんどん登ってくる。


「なによこれ! は、ちょっと、待ってなにか吸われてるわ!」

「魔力を少々お借りしますね。ずいぶんしょぼ……いえ、ないよりはマシです」

「しょぼいなら取るんじゃないわよ!」

「疲れてよく眠れますよ」


 そういう問題じゃない。

 目いっぱい暴れたが、からんだ蔓はびくともしなかった。


 結局、なけなしの魔力を搾り取られたクレアは、へろへろになりながら部屋へと逃げ帰ることになった。


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