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クレアが依頼をしてしまった暗殺者集団は少々厄介な組織だ。
クレアは、頭のなかで情報を整理していた。そのからだは、ロジャース家で与えられた自室のベッドに、うつ伏せで沈んでいる。
(あそこは、暗殺の成功率はものすごく高い、けれど)
一度依頼をするともう連絡することはできないし、万が一失敗した場合は組織の保身のために、依頼者の方が殺される。ハイリスクすぎる組織なのである。
(なんて馬鹿なのわたくしは……!)
クレアは、リリアンが半年後までぴんぴんしているのを見ている。今回の依頼が失敗するのは、間違いようのない事実だった。
そもそもラズウェルがいる家に刺客を差し向けようと考えたところからすでに失敗している。彼はただの魔導士ではない。
王家に引き立てられるほどの、才能ある魔導士である。
いくらプロの暗殺者に依頼したからって、挑んで勝てる相手ではないのだ。
(わたくしなんて、小石ひとつ浮かせるだけで精いっぱいで……それなのにあの方ときたら)
人ひとりが乗った馬車をまるごと崖から落としてしまった。ただの重力魔法と侮ってはいけない。ものを浮かせるには、その質量に見合った大量の魔力の消費が必要なのである。
崖から落ちたときの浮遊感を思いだしかけて、クレアは慌てて首を振った。いま考えるべきことはほかにある。
依頼のやり取りの手紙は、向こうの指示で都度燃やして処分していたので、クレアが依頼したという証拠はない。
(でも、このタイミングでリリアンの暗殺騒ぎって、わたくししか犯人はいないわ)
疑われることは必至だ。そして「愛する妹の命を狙ったかもしれない」となると、クレアに対する警戒心を解くことはほぼ不可能になるだろう。
半年後のクレア暗殺エンドに向けて、一歩前進である。
(冗談じゃないわ!)
はっきりいって自業自得だ。それはクレアにだってわかっている。
しかしそれでも、ラズウェルの目に暗殺者が映る前に、いや、暗殺者がリリアンに刃を向ける前に、どうにかして阻止しなければならない。
(でも、どうやって?)
暗殺組織は手紙でなんと言っていただろう。
(たしか、事故を装うとかなんとか)
しかし、クレアが聞いたのはそれだけだ。暗殺阻止の足がかりにするには、あまりにも心もとない。
ほかにわかっていることといえば、深夜、リリアンの部屋でことが起こるということくらいだろう。これは転生する前の記憶から引っ張りだした。あのときはたしか、リリアンの部屋から悲鳴が聞こえた。
クレアは突っ伏したまま、シーツをきつく握りしめた。
(そこまでいったら、もう失敗だわ。どうしてもラズウェルさまが駆けつけてしまう)
では、クレアが事前にリリアンの部屋で待機していればあるいは――。
(だめね。きっとラズウェルさまが許さないわ)
百歩譲って許してくれたとして、その場にはおそらくラズウェルも同席する。クレアはそれほど信用がない。もとが、リリアンとふたりきりになるなり、罵倒したりお茶をひっかけたり頬を叩いたりするような女だから、それも当然だろうが。
(我ながらひどいものだわ。癇癪のオンパレードで、目も充てられない)
思いだすだけで顔から火を噴きそうだった。おそらく、人はこれを黒歴史と呼ぶ。たまらず飛び起きると、夕日がクレアの頬を叩いた。
いつの間にか、窓の外が真っ赤に染まっている。いや、もう藍色が混ざり始めていた。
(日が暮れてしまう……まだなにも考えついていないのに)
焦りを募らせたクレアのもとに使用人がやってきたのは、空がすっかり暗くなったときだった。
夕食の時間である。
◇ ◇ ■
「てっきり自室に引きこもって召し上がるのかと思いましたが」
食堂に顔を出すなり、クレアの耳に嫌味が届いた。先に席についていたラズウェルが、振り向いて嫌な笑みを浮かべている。彼の隣には、すでにリリアンもいた。
「お兄さま、あまりクレアさまに意地悪なさらないで。もう以前のような――お方ではないんですよ」
「リリアン、人に言われたことを素直に受け止めるのはあなたの美徳のひとつですが、マーフィー嬢だけはいけません。謝罪らしき言葉を口にしたって、余計に怪しいだけです」
ふたりとも、クレアが昼間、リリアンに零した「やりすぎだったのは認める」という発言を気にしているようである。ラズウェルに冷ややかな目を向けられた。
「今度はなにを企んでいるんです?」
口だけは笑っているのが余計にこわい。
いますぐ回れ右をしたい衝動に駆られたが、すんでのところで耐えた。
これもまた、半年後のクレアを救う小さな種のひとつだ。
「べつに……思ったことを言ったまでよ。これから同じ屋敷で暮らすのに、いつまでも過ぎたことを引きずるつもりはないわ。保身のためにもね」
改心したと言ったって、ラズウェルが余計に訝しむのは目に見えている。下手に猫を被る必要はない。
ラズウェルが肩をすくめた。この話はここで終わりである。
「殊勝な心がけですね。寒気がします。リリアン、そんなに怒らないでください」
しかし、終わらせてくれた理由は、クレアの言い分に納得したからではなさそうだった。ラズウェルの隣で、リリアンが頬を膨らませて彼を睨んでいたのである。
「せっかくクレアさまが変わろうとなさってるのに、あんまりです!」
「もうなにも言いませんから」
「絶対ですよ!?」
ふんっ、と可愛らしい擬音がつきそうな勢いで、リリアンが顔を逸らした。ラズウェルはといえば、本当に困ったように眉尻を下げている。豹変ぶりが気持ち悪いお兄さまである。
クレアはさっさとラズウェルの向かいに腰を下ろした。できれば離れたかったが、用意されていた席がそこしか残っていなかったのだから仕方ない。
食堂に集まったのは三人、用意されている席もみっつだった。
「……ロジャース公爵夫妻はいらっしゃらないのね」
思わず呟くと、リリアンが椅子を鳴らして身を乗りだしてきた。
「お父さまとお母さまは、王都で暮らしていらっしゃるんです! ここはロジャース家の別邸なんですよ」
「座りなさいよ」
親との別居を、こんなきらきらした目で説明してくる人間は初めてである。
「クレアさまが我が家のことに興味を持っていらっしゃるのが嬉しくて」
「……わたくしが言うのもどうかと思うけれど、あなた、もう少し警戒心とかないの?」
ラズウェルがすかさず口を挟んできた。
「貴女が言わないでください」
「だから前置きしたじゃないの!」
「わたし、小さい頃はからだが弱くて、ずっとこの家で暮らしていたんです。お父さまとお母さまはお忙しいので王都の本邸からあまり離れられなかったけれど、お兄さまはずっとここで一緒に」
「語りはじめないでちょうだい!」
そこでやっと食事が運ばれてきて、リリアンはおとなしく着席する。
(やっぱり部屋で食べればよかったわ……)
クレアは顔をしかめながら、カトラリーに手を伸ばした。