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「嘘だろ……リリアンは部屋にいるんだよな?」
今度はラズウェルも、かすかに頷いた。
「それなのに返事をしてくれないってこと? 朝からずっと?」
また頷いた。ラズウェルは扉から背を離して、リリアンの部屋に向き合う。
こんこんこん、と軽いノック。
「リリアン、ここを開けてください。話をさせてもらえませんか」
リリアンの返事はなかった。代わりに、鼻をすする音。
「……ずっとこの調子なんです」
「このまま廊下で話すんじゃだめなのかよ」
「それも試みたんですが、声を封じられました」
「とんでもねぇ妹だな」
がたん、と部屋のなかで物音がした。ベサニーもラズウェルも、ぴたりと黙る。
「わたし、妹じゃないわ」
静かな声だった。それっきり、リリアンはふたたび沈黙する。
「ベティの話には反応したわね」
「私、リリアンに嫌われてしまったんですね……」
ラズウェルが、がくりと肩を落とした。頭からキノコでも生えてきそうな陰の気があふれている。その顔が泣きそうになっているのを見て、クレアは眉を寄せた。
ラズウェルがこんな顔をすると、どうも胸がざわざわする。
「リリアン、あなたのお兄さまが落ちこんで面倒なのだけれど! 早く出てきてちょうだい」
「その人はお兄さまなんかじゃないわ」
ぐっ、とラズウェルがうめいた。血でも吐きそうな勢いだった。
「とどめ刺してどうすんだよ、クレアサマ」
「わたくしのせいじゃないわよ」
クレアやベサニーには答えてくれる。ということは、まるきり話す気がないわけではないようだ。このまま一生部屋に閉じこもるわけにもいかないことなんて、リリアンだってわかっているだろう。
「なにかきっかけが必要だわ」
クレアは頬に手をあてて、扉を睨みつけた。
「部屋のなかに転移はできないのかしら」
「できなくは……」
「ねぇけどよ……」
ラズウェルもベサニーも、なぜか渋った。
「なにか問題でも?」
「うっかり手足を置き忘れたりしたくないんですよ」
「……なによそれ」
「転移する距離が短すぎると、そういうことが起こるんだよ。魔族の間でも、指だけ部屋の前に置いてきちまったとか、目だけ置き去りにされちまったとか、時々ある」
クレアは思わず自身の腕を守るように掴んだ。
「転移魔法ってそんなに恐ろしいものだったの!?」
「手足ならまだいいのですが、頭だけ転移してしまって、からだは……」
「もういいわ、聞きたくない!」
廊下から部屋のなかに転移するのはやめた方がいい。よくわかった。クレアだって、目の前で人のからだがちぎれるところなんて見たくない。
となると、やはり正攻法しかなさそうである。
「そうね……ベティ」
「おう」
「やってちょうだい」
とん、と扉を指す。「は?」と真顔で聞き返された。
「扉よ。思いっきりやりなさい」
「……本気か?」
「とっても本気よ。ほら、ラズウェルさま、邪魔」
なかば体当たりするようにラズウェルを押して、扉の前を空ける。
「なにをする気です? まさか」
「そのまさかよ」
直後、「せぇの」とベサニーが脚を上げた。
轟音と揺れ。天井からぱらぱらと埃が降ってくる。
リリアンの部屋の扉に、風穴が空いた。
自分でやっておきながら、ベサニーが「うへえ」と顔をしかめる。
「これでいいかよ」
「ええ、充分よ。入るわよ、リリアン」
返事を待たずに、クレアが穴をくぐる。
膝を抱えてベッドに座ったリリアンが、目を丸くしてこちらを見つめていた。泣き腫らしたあとなのが見てとれる。目元が真っ赤だった。
「……クレア、さま」
「あら、わたくしもお姉さまではなくなったのね」
「ラズウェル、さまが、わたしの兄ではないので」
必然的にその婚約者であるクレアも、お姉さまではなくなるということだ。理にかなってはいるが、律儀というか、細かいというか。
意識してやっているように思える。
クレアはつかつかとリリアンに歩み寄った。リリアンが、クレアを避けるようにベッドに端へ寄る。
「来ないでください」
「あら、どうしてよ」
意識してやっている、といえば。
最初から、リリアンだけはやけにクレアに好意的だった。命を狙われたと知っても態度は変わらない。自分が魔族の皇女だったから、魔物に襲われるわけがないと本能でわかっていたのかもしれない。クレアがやったことは無駄だから、気にするまでもない、と。
(でも、わたくしをお姉さまなんて呼び始める理由にはならないわ)
たとえあのとき、リリアンが「クレアが自分を庇ってくれた」と考えたのだとしても、さすがに不自然すぎた。
クレアがリリアンに対してやったこと。
リリアンの魔族としての性質。
クレアの想像どおりなら、やはり兄も兄だが、妹も妹だ。
「わたくしを殺したくなるからかしら」
リリアンが息を呑んだ。
それが答えだった。




