35
握りこまれたエメラルドのブローチが嫌な音を立てた。
「いま、なんと言いましたか」
ラズウェルの瞳の奥に、どす黒い感情が渦巻いていた。
間違えた。クレアも動揺していたのかもしれない。
いまのは、絶対に言ってはいけない言葉だ。
ぎりぎりと締め上げられて、クレアは慌ててラズウェルの手を掴む。息ができない。
「わ、わたくしが悪かったわ! いまのは、さすがに」
呼吸の隙間を縫って必死に言いつのると、ふっと胸ぐらを掴む手が緩んだ。
咳き込みながら、慌てて距離をとる。
ブローチの枠が割れていた。とんでもない力だ。直接首を掴まれていたら、謝罪する間もなく折られていたかもしれない。クレアはぞっとした。
「二度はない」
「わかっているわ。本当にごめんなさい」
気まずい。クレアはそれきり口を開くことができなくなった。
すでに日は登っている。鳥の鳴き声があちこちで聞こえた。
リリアンはいまごろ寝ているのだろうか。
クレアは、つい昨晩まで……無邪気に笑っていたリリアンを思いだす。
それより前、ロジャース家の別邸でのリリアンも。
しつこいくらいに話しかけてきて、クレアをお姉さまなんて呼んで、ラズウェルとクレアの仲に期待して舞い上がって。
兄が兄なら妹も妹だ、と思う。それはいまでも変わらない。
「わたくし、ラズウェルさまとリリアンの血が繋がってないなんて、全然気づかなかったわ。だってあなたたち、そっくりなんだもの」
ぽつりとこぼしたクレアに、ラズウェルが眉をひそめる。
「は?」
「人の話を聞かないところとか、強引なところとか。絶対あなたに似たのよ、あの子」
なんともいえない顔で、ラズウェルはクレアを見上げた。
「魔族のリリアンは、あなたの妹よ。それは間違いないわ」
ラズウェルがますます変な顔になる。
「……貴女、情報屋を使ってリリアンの周辺を探らせていたでしょう」
「突然なによ!?」
「いえ、たしか……リリアンの交友関係を洗って、あの子の友人に悪口を吹きこもうとしていたときでしたか」
この男、いやなことを覚えている。今度はクレアが眉をひそめた。
――そして。
「……あっ」
「思いだしましたか?」
「情報屋にかき集めさせた話のなかに、ラズウェルさまとリリアンの血が繋がっていないって、与太話が」
とにかくなんでもいい。リリアンに関する話を集めろと命じたのはクレアだ。リリアン本人に非の打ち所がなさすぎて、悪評を流そうにもなにも思いつかなかったからだ。
そして持ってこられたのが、兄妹の血の繋がりに関する話だった。
根拠もなにもない、馬鹿馬鹿しくて使えないと気にも留めなかった。
だから忘れていたのだ。
「あなた、それでわたくしを殺そうとしていたのね!」
「その通りですよ。まさか本当に忘れていたとは……」
ものすごいため息をつかれた。
「婚約なんかするんじゃなかった」
そして本気で嘆かれた。
「あなたに言われたくないわ!」
「リリアンは私の妹だ、なんて貴女の口から聞くことになるとは」
「あのときは本気にしてなかったの! しかもいまのいままで忘れてたんだから!」
「ええ、そうですね」
ラズウェルが震えながら口元を押さえた。笑っている。
きぃっ、とクレアは声を上げた。悔しい、恥ずかしい。いますぐこの男のリボンを引きちぎりたい。
「人がせっかく慰めて……いえ、わたくしの自業自得……?」
クレアははっとした。
血が繋がっていないという情報を手にいれただけで、半年後のクレアが殺されたのだとしたら。
「わたくし、リリアンが魔族だって知ってしまったわ。今度こそ殺されるのかしら」
ラズウェルがクレアを見つめて、首を傾げた。
「きょとん、じゃないわよ!」
「この期に及んで私が貴女を殺そうとすると?」
「……殺さないの?」
ラズウェルが声を立てて笑った。
「ちょっと!」
「いえ、どうしても気になるのはそこなんですね」
「当たり前でしょう!」
言ってから、当たり前なのはクレアだけだと気づいた。
クレアはラズウェルに一度殺されている。だからそこに固執するのだ。
「リリアンが魔族だったことについては?」
「って言われても……ベティだって魔族だし、引きいれたのはわたくしだし」
魔族らしさというのはベサニーだって持ち合わせている。村での一件で見せた冷酷さがそれだ。
「でも、ベティは味方だし。リリアンなら、余計にじゃないかしら」
リリアンが身内ではないからという理由で、困っている人を見捨てるとは思えない。想像もつかない。
魔物が人を食らうのだって、彼女は良しとしないだろう。
「……そうですね」
ラズウェルが微笑んだ。
いままで見たことがないような……そう、たとえば彼がいつもリリアンに向けるような、やわらかい笑みだった。
「両親はいつも『あの娘にリリアンの幻影を重ねるな』と言ってきます。事情を知っている人間で、あの子を妹だと認めてくれたのは貴女が初めてです」
絶句するクレアを置き去りに、ラズウェルは腰を上げる。
「そんな貴重な人間、殺すわけがないでしょう」
そして、クレアの頭を乱暴に撫で――。
「とでも言うと思いましたか」
「いったぁい!」
額をばちんと弾かれた。
「着替えますから出ていってください。少しくらい休んでおかないと」
ラズウェルが杖で扉を示した。
気持ち悪い浮遊感。クレアの足が床から離れて、勝手に部屋の外まで運ばれる。
「ちょっと、人をモノのように扱わないでちょうだい!」
ぽいっと放りだされて尻もちをついたクレアの前で、扉が閉まった。
あ~……ブローチ……。
ひとまず休息です。このあたりほんと~に書いてても辛かった……。
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