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「ラズウェルお兄さま」


 リリアンの両手が、きつく拳を握っていた。


「わたしは魔族なんですか?」


 ラズウェルは答えなかった。


「わたしは、魔族の……ティザシオン皇国の、皇女なんですか?」


 ラズウェルが、リリアンに向けた手を下ろす。代わりに、杖を握る指に力がこもった。


「お兄さまはぜんぶ知っていたんですか? お兄さまと……お兄さまと、わたしは」

「兄妹です」


 彼ははっきりと言い切った。そこに迷いはない。


「血は……繋がっていないかもしれませんが。私は、あなたの、リリアンの兄です。家族です。それは絶対に」

「嘘よ!」


 リリアンが絶叫した。


 ラズウェルも、クレアも、ベサニーまでもがびくりと肩を震わせる。


「どうして黙ってたんですか!? ロジャース家の娘どころか、人間ですらなかったのに! 嘘つき!」

「嘘じゃない!」


 ラズウェルがリリアンの肩を掴んだ。

 ばしん、と派手な音がして、その手が叩き落とされる。


 リリアンの目には、涙が浮かんでいた。ワインレッドの瞳に映るものは、悲しみとも、怒りともつかない。混乱しているようだった。


「触らないで。あなたなんか、兄でもなんでもないわ!」


 ラズウェルは、はっきりと傷ついた顔をした。


 見ていられない、とはこのことだ。流麗な眉を歪めたその表情は、いまにも泣きだしそうだった。


 彼のこんな顔なんて、見たくなかった。


 クレアはたまらず、ベサニーをつつく。

 顎でリリアンを示すと、それだけで通じたようだ。


「おら、とりあえず落ち着け。リリアン……それとも、シャロンか? どっちがいい?」


 ベサニーがリリアンの腕を取った。つられてリリアンは、素直に立ちあがる。


 リリアンが一番信頼していたのはラズウェルだ。手ひどい裏切りに遭った気分だろう。クレアはどうかわからない。

 しかしクレアは、ラズウェルと同じ人間だ。


(ここはベティに任せた方がいい)


 同じように正体を隠して人間の傍に侍っていたベサニーは、この場で唯一、いまのリリアンが心を開く可能性がある相手だ。


 ベサニーと目が合ったクレアは、こくりと頷き返した。


「おい、魔導士。家に連れて帰るぞ。いいな?」


 この場合の家というのは、王都の本邸ではない。普段生活をしている別邸の方だ。

 ラズウェルが黙って首を縦に振った。


 それを合図に、ベサニーが姿を消す。リリアンと一緒にだ。


 その場に残された生きものは、クレアとラズウェル……それから、おそらく横転した馬車のなかで息をひそめているであろうロジャース公爵夫妻だけだった。


 通りの向こうで明かりがちらちらとうごめいていた。大勢の足音も聞こえる。

 騒ぎを聞きつけた騎士団が駆けつけてきているのだろう。


(このままじゃ駄目だわ……ああもう、しゃべれないのがもどかしい)


 クレアは芋虫のようにもぞもぞと動いた。殴られたときに下敷きになった右腕が動かない。痛みもない。ただ、痺れたような感覚があった。

 仕方がないので口元を押さえていた手を離すと、ぼたぼたと血が落ちる。


 動かせる片腕だけを使って、クレアはどうにか身を起こした。そして血まみれの手のひらで、目を伏せたまま動かないラズウェルを叩く。


 緩慢な動きで顔を上げたラズウェルに、クレアは頬が腫れ、片目が潰れ、歯が抜け、血にまみれてぐっちゃぐちゃの顔を見せつけた。屈辱である。

 口元を指さすと、ラズウェルはようやく理解したらしい。


「動かないで」


 そっと頬に手のひらが添えられた。手袋がないので体温がそのまま伝わる。


 ラズウェルの手は、ひどく冷えていた。


「……とんだ恥をかいたわ。いまのわたくしの顔、二度と思いださないでちょうだい」


 痛みも腫れも綺麗に引いた。クレアは悪態をつく。ラズウェルの反応がない。手も頬に添えられたままだ。


「口を開けてください」


 今度は顎を掴まれた。ラズウェルが杖を置いて、血だまりに浮いたクレアの歯を拾う。

 クレアの顔は、ヘロデに殴りつけられる前の状態に戻った。


「ほかには?」

「腕が動かないわ」


 ラズウェルは、クレアの右手を取った。撫でるように、手のひらを肩の上まで滑らせる。

 じんとした痺れがなくなった。試しに手を閉じたり開いたりしてみる。問題ない。


「大丈夫そうですね」


 ええ、とクレアが答える前に、口元にハンカチが当てられた。


 ラズウェルが黙ってクレアの血を拭う。


 呆けたクレアは、しばらくされるがままになってしまった。


 ラズウェルがクレアに優しい。いままでにないほど甲斐甲斐しく世話を焼いている。


(いえ、魔物にやられたときもつきっきりで看病をしてくれ……じゃないわ、調子が狂うわね!)


 こんなのラズウェルじゃない。


 クレアは治ったばかりの右手で、ラズウェルの手首を思いきり掴んだ。


「それくらい自分でやるわよ!」

「そうですか?」

「そうですか、じゃないわ! 本当に……!」


 言葉が出ない。クレアは彼の手からハンカチを奪ってやった。


 ばたばたと走る足音がすぐ傍にきたのはそのときだ。


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