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 揃って渋面で戻ってきたクレアとラズウェルに、リリアンがケーキを頬張りながら首を傾げた。ベサニーはやっぱり笑っている。


「おふたりとも、どうされたんですか」

「あなたのお兄さまが自分の体重をわかっていないからよ」


 魔導士という職に似合わず、ラズウェルは体格がいい。厚みのある上半身を見ればひと目でわかる。


 そのつま先にはとんでもない重量が乗っていた。


 彼が本当に動揺していて、慌てて本気で謝ってきたところも含めて気に入らない。クレアのお礼の一言は、そんなにおかしなものだったのか。


 ラズウェルはラズウェルで、自分が醜態をさらしたことに機嫌を損ねている。

 その醜態には、もちろんクレアへの謝罪も含まれるのだろう。


「もう痛まないでしょうに」

「そういうの、隠蔽工作というのよ」


 たしかにクレアが踏まれたのを自覚して涙を浮かべたときには、すでに痛みは引き始めていた。治すまでの手際が良すぎたのも含めて気に入らない。


「まあまあ、そんなの気にならないくらい綺麗だったぜ、クレアサマ」


 ベサニーが、預かっていたケーキの皿を差しだす。クレアはひと口しか食べていなかったはずだが、半分にまで減っていた。


「食べたわね」

「美味かった」


 クレアは奪うように皿を受けとった。


「リリアン、ひと口くれませんか」


 ラズウェルが身を屈める。このシスコン、とクレアは心のなかで悪態をついた。


「あら、だめですよお兄さま。お兄さまはクレアお姉さまからいただかないと」

「わたくしを巻きこまないでちょうだい。絶対にごめんよ」


 そしてリリアンに向かっても悪態をついた。もちろん心のなかで、ふざけんな、と。


「私もいやです。それなら自分で取ってきます」

「そうしてちょうだい」

「貴女に言われずとも」


 ラズウェルが、本当に自分でケーキを取りにいった。リリアンが残念そうに口を尖らせる。


「さっきまではとっても仲良しだったのに……」

「本気でそう思うんなら、あなたの目は腐ってるわ」

「クレアお姉さまをお守りして颯爽と連れ出すお兄さま、素敵でしたねぇ」

「わたくしの話、聞いてる? あとそれ絶対にラズウェルさまに言うんじゃないわよ」


 クレアの忠告もむなしく、リリアンは皿を片手に戻ってきたラズウェルに同じことを告げた。


 頬を引きつらせた婚約者を見て、クレアはひそかに決意する。


(帰りの馬車は別にしてもらおうかしら)


 ◇ ◇ ■


 クレアが行きに乗っていた馬車のなかは、地獄の方がまだマシだと思われる空気が流れていた。


 ラズウェルの座っている場所は変わらない。しかしその向かい側、クレアがいるはずの場所に腰を落ち着けているのはベサニーだった。


「ロジャースの親子かラズウェルとふたりきりって選択肢で、まさかクレアサマが向こうを選ぶとは……」


 これにはベサニーの自業自得の面もあった。ラズウェルとふたりきりで帰るのはいやだとぼやいたクレアに、「俺と交代してもいいぜ。代わりにリリアンとか、魔導士の親と一緒に帰ることになるが」と言ってしまったのが運の尽きだ。


「黙ってると怖いんでなんか話してくれねぇ?」

「貴女の組織の本拠地はどこですか」

「俺らはいろんな国を転々としてっから、ここって場所はねぇよ」

「ではメリベラル王国での拠点は?」


 ベサニーは黙った。

 いくら抜けた組織とはいえ、さすがにためらう内容である。


 結局そのまま沈黙が落ちた。


 仕方がないので、ベサニーの方から話題を振る。


「あんた、クレアサマのことが嫌いなんだよな?」

「……なにが言いたいんです」

「いんや、意外だっただけだよ。手の甲にキス」


 まるでカインを牽制するようだった。それもかなり念入りに。あれではまるきり、ひとりの男として婚約者を取られまいとする者の挙動だ。


 ラズウェルが変な顔をした。うんざりしたように窓の外に顔を向ける。


「殿下が妙な執着を見せていましたからね。王家の力を使われてしまえばこちらとしてもどうしようもありません」


 王家の信頼を地に落とす悪手でしかないが、カインはクレアとラズウェルを力ずくで引き剥がすだけの権力を持っている。だから中途半端なことをせずに、本人の心を叩き折っておく方がいいのだと。


「連れ出して仲良くダンス踊るだけじゃだめだったのかよ」


 ベサニーから見れば、それで十分だった。なによりクレアもラズウェルも、容姿はピカイチだ。本来であれば並んでいるだけで羨望の的になる。

 クレアの醜聞のせいで、今回の舞踏会ではそれは薄かったが。


 ベサニーは追及の手を緩めないと悟ったのか、ラズウェルは諦めたように、馬車の座席に背を預けた。


「最近のマーフィー嬢は、以前とはどこか違います。突然リリアンになにもしなくなったのもそうですが……なんだか憑き物が落ちたというか、まともになったような。認めたくはないですが」


 だから、とラズウェルは声のトーンを落とした。不満なのが丸見えだ。


「……多少は、婚約者らしい扱いをしてもよいかと思ったんです。もともと、私の勝手な――」


 ラズウェルがはっと身を起こした。目を細めて窓の外をうかがう。

 ベサニーも気づいた。


 同胞――魔族の気配である。


「尾けられてんな」


 外を見れば、ぽつりぽつりと設置された街灯の向こうに、ときおりちらりと影が見える。建物の屋根の上を駆けているようだった。


 ラズウェルが立ちあがる。


「追い払います」


 言うなり、馬車の扉を蹴り開けた。


 鍵が壊れる派手な音と、わずかに散る木くず。外の音が一気になだれこんできて、馬車のなかは騒がしくなった。


 風と車輪が石畳を擦る音に混じって、樹木がめきめきと鳴るのが聞こえる。街路樹が枝葉を急速に成長させ、車輪を絡めとろうとしていた。


「魔導士!」

「わかっています」


 壁に捕まりながら、ラズウェルが身を乗りだした。いつの間に現れたのか、空いた手には杖が握られている。


 杖の石づきが、地面にのたうつ枝を突いた。火花が散って、伸びた街路樹が炭化する。

 車輪に踏みつぶされて崩れていく塊に、ベサニーはわずかな焦りを感じた。ずいぶんあっけない。こんなもので終わるとは思えない。


 先に気づいたのは、ラズウェルだった。

 落ちるかと思うほどからだを乗りだして、前方を睨みつける。くそ、と珍しく汚い悪態をついた。


「狙いは前の馬車か!」


 ガラスが砕ける音がした。

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