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(こうして馬車のなかで向かい合ってると……いやでも目に入るわね、あのブローチ)
クレアは親の仇のように、ラズウェルの胸元で燦然と輝く水色のブローチを睨んだ。
(なにもかもリリアンの希望通りね)
今回の舞踏会で、機嫌がいいのは彼女ひとりだろう。
ラズウェルもまた、お世辞にもご機嫌とはいえない。髪を結った黒いリボンを触る手つきがせわしなかった。イライラしているのが見てとれる。
がたん、と馬車が揺れた。速度が落ちる。
そろそろ着くかもしれない。クレアが窓の外を覗いたときだった。
「マーフィー嬢」
「なにかしら」
「今日の舞踏会ですが」
あとに続く言葉は、「貴女と踊るつもりはありません」か「人目につかないようにおとなしくしていなさい」か。
「協力しなさい」
どちらでもなかった。
「リリアンとカイン殿下がなるべく接触しないようにします」
「……どうしてよ」
「人が多すぎる。公の場で殿下が親しげに近づけば、リリアンとの仲を誤解されます」
クレアとの婚約がなくなったことで、カインはいま完全にフリーだ。想い人がいるという噂も、本人が流したのか勝手に漏れたのかわからないが、あちこちでささやかれている。
そこにカインが親しく接するリリアンが現れれば……あとは想像に容易い。
「少なくとも、ダンスに誘われることだけはないようにしないといけません」
もしや、ラズウェルの不機嫌の理由はそっちだろうか。
そういえば彼は、クレアのドレス姿を馬鹿にはしたが、自分の瞳と同じ色のブローチにはまったく言及をしなかった。
(気にしているわたくしが馬鹿みたいじゃないの……)
クレアはひっそりと肩を落とした。
「……いいわ。わたくしだって、殿下とリリアンが並んでいるのは見ていて面白いものではないもの」
ラズウェルが鼻で笑った。
「まだ好きだからですか?」
クレアは黙った。
(どうなのかしら)
リリアンから聞いた話と、一度ロジャース家でカインと言葉を交わしたとき。
クレアは自分の気持ちがずいぶん冷えこんでいることに気づいた。
しかしいま、カインとリリアンが並んでいるところを想像すると、たしかに胸に刺さるものがある。悔しいという気持ちは、まだそこに存在した。
それがカインへの恋慕ゆえか、ただのプライドか、それがわからない。
馬車が止まった。間もなく、御者が外から扉を開く。
「どうぞ」
先に降りたラズウェルが、手を差しだしてきた。
「エスコートする気はあるのね」
「そんな動きにくそうな格好で無様に転ばれでもしたら、私まで恥をかきますから」
「そんなこと言っていいのかしら。これ、リリアン一押しのドレスなのだけれど」
「……いくらドレスが素晴らしくても、中身が貴女ではね」
クレアは迷いなく、ラズウェルの手を叩き落とした。
■ ◇ ◇
クレアの複雑な心は、隣国の姫君をエスコートして出てきたカインを見て、さらに悪化した。
舞踏会の先陣を切るのも、もちろん彼らである。軽い挨拶を聞いたあと、クレアは想い人とほかの女がぴったりと寄り添ってダンスを踊る様子を見せられることになった。
「ふーん、あれがクレアサマの元婚約者ねぇ。魔導士の方が数倍頭よさそうなツラしてんじゃないですか」
「クレアお姉さま、大丈夫ですよ。お姉さまにはもう、お兄さまがいますから」
社交の場だからとギリギリ猫を被ったベサニーと、ぐっと拳を握ったリリアンが斜め上方向の励ましを送ってくる。クレアは黙ってふたりを睨んでおいた。
カインと隣国の姫君の最初のダンスが終わると、始まるのは賑やかなパーティーである。
「お姉さま、お食事も出ているみたいですよ!」
メインは舞踏会なのでごく軽く、ほとんどがケーキなどのデザート類だが、会場の端の方にテーブルが設置されている。各々で好きな食べものを取る立食形式だった。きらきらと輝くスイーツに吸い寄せられていくリリアンに、クレアはため息をつく。ベサニーがからからと笑った。
「色気より食い気って感じですね」
「あまり勝手に動き回らないでちょうだい」
文句を言いながらもついていくのは、リリアンの傍を離れないことがラズウェルの命だからだ。
カインが話しかけてきても、その場にクレアがいればリリアンとの仲を誤解されることは減る。運がよければ、クレアを避けてカインが寄りつかない可能性も、とかなんとか言っていた。
(わたくしは虫よけかなにかかしら)
「まあ利にかなってるようにはみえるけどよ……当の魔導士はどこいったんです?」
「そうなのよね」
どのケーキを食べようかと迷うリリアンの横で、目だけであたりを探すと――いた。第二王子と、それはそれは楽しそうに談笑しているラズウェルが見える。
(わたくしと踊る気はなさそうね)
舞踏会のパートナーという立場が薄れるようで、クレアにとっては喜ばしいことだ。
しかし、ほんの少しだけ浮いたその気持ちも、すぐに打ち砕かれた。
「リリアン、ここにいたのか」
カインが現れたのである。




