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 クレアが全身筋肉痛に苦しむことになったのは、次の日からだった。


 手からこぼれおちたペンを目で追って、クレアはうめいた。屈んで取る……どころか、椅子から立ちあがることも至難の業である。


「なにをしても痛い……なんなのよこれ」

「お貴族サマにはキツかったもんなぁ」

「うるさいわね、はやく拾ってちょうだい」


 けらけら笑いながらペンを拾ったベサニーは、侍女ではなくなっていた。男の、つまり侍従の服を身につけている。侍女服が似合わなかったのもそうだが、村での一件から、戦うならパンツスタイルの方が都合がいいだろうとなったのである。


「それにしても……うちの親は薄情ね」

「手紙か?」


 頷いたクレアは、机の端に追いやっていた便せんをつまんでベサニーに渡した。


「ははあ、クレアサマが魔導士のもとにきてから事件ばかり起こるから、余計なことしてねぇだろうなって釘を刺してんのか」

「そうよ。心配する言葉のひとつくらい、お世辞でも書いてほしいものだわ」

「ほんとだ、頼むからこれ以上マーフィー家の名を落とさないでくれって懇願はしてるけど、クレアサマの安否を確認する素振りもねぇな」


 ベサニーがまたけらけら笑った。クレアは鼻を鳴らしてその手から手紙を取り上げる。乱暴に封筒へと戻して、机の引き出しに放りこんだ。


 クレアに対する両親の情は、ほとんどないと言っていいほどに薄い。


 なにしろ、政略結婚で互いに好きでもない相手と一緒になったふたりだ。義務でつくった子供は娘で、それきり母は子供が産めないからだになってしまった。


 結果、子に無頓着な親と、好き勝手に成長したクレアができあがったわけである。


「それで、こっちに来てから一度も手紙を寄越さなかったのか?」

「興味がないのよ。カイン殿下のときもそうだったわ」


 カインとの婚約がなくなったときは、ほんの少しだけ王家に苦言を呈したくらいで、すぐに引き下がってしまった。

 ふつう、王家との婚約ならなにがなんでも維持したいと思うものだが……クレアにはなにも言わなかったから、両親がなにを考えていたのかわからない。婿養子をとるのに都合がいいと思ったのかもしれない。


 その後、クレアがリリアンに絡むようになっても、父も母もクレアを諫めようともしなかった。

 気づいていなかったわけではない。暗殺組織を探したのだって、家の力を使ってのことだ。やめろと叱る機会などいくらでもあっただろうに、結局なにもしなかったのである。


 ラズウェルとの婚約もそうだ。娘を生贄よろしくロジャース家に差しだすのに、躊躇いもしなかった。二つ返事で了承して、あとは知らんぷり。魔物に襲わて死にかけたときだって、マーフィー家に連絡はいっていたはずなのに、手紙ひとつすら寄越さなかった。


「とにかく、変な邪推だけは正しておかないといけないわ。少なくとも今回は、わたくしが好きで起こしたことじゃないもの。暗殺組織のことはともかく」


 そういうわけで、こうして痛むからだに鞭を打って、ペンを握っているわけである。


「そういえば、クレアサマ。言い忘れてたんだが」


 ごくごく短い手紙を書き殴って封筒に詰めこんだクレアは、ベサニーを振り返った。


「なによ、改まって」

「俺たちの組織は別に暗殺を生業としているわけじゃないぜ」

「は?」


 初耳である。


「どういうことよ」

「よく考えてみろよ。魔族がはるばる海を渡って人間の国に来た理由が、人間の暗殺の依頼を請け負うためなんてわけがあるか?」


 たしかに、とクレアは納得してしまった。どうしていままで気づかなかったのだろう。そこまで考えが至っていなかった。


「目的は別にあるっていうの?」

「ああ。人探しだよ」


 ベサニーの話は、十七年前にまでさかのぼった。


 メリベラル王国とは海を隔てた魔族の国、ティザシオン皇国では、男女ともに皇位継承権を持つ。魔族のその気性ゆえか、継承権争いも苛烈だった。


「で、王妃サマが皇子を産んだのとほぼ同時期に、側妃が皇女を産んだんだ」


 当然、皇位継承権は王妃の産んだ子の方が高い。内部分裂の可能性を恐れた王妃は、皇女を抹消しようとした。


「側妃は皇女を国外に逃がしたのが十七年前。そっから皇子も成長して、自ら『皇女は絶対に殺さない』と公言した。だからもう連れ戻しても大丈夫だって話になったんだけど」

「行方がわからなくなってしまったのかしら」

「その通りだよ。で、皇女を探すためにつくられたのが、俺らの組織だ。そっからはいろんな国を梯子して、皇女の行方を捜した」


 暗殺の依頼を請け負うのは情報収集の一環だったという。誰かが意図的に皇女を隠している可能性を考えたそうだ。人間が魔族をかくまうだなんて常識的にはあり得ないのだが、そんな馬鹿げた考えに及んでしまうほどに、皇女の消息を知ることができなかったのである。


 そして人ひとりを完全に隠すことができるのは、おおむね、地位のある者だ。


「ニンゲンの貴族は後ろ暗い事情を山ほど抱えてっからな。暗殺ってのは、俺らにとってもやりやすい仕事だった」


 そうしてベサニーたちがたどり着いたのが、メリベラル王国だった。


「それで、どうして急にそんな話をし出したわけ?」

「いくら俺らが追われてるからって、こんな短期間に何度も人を寄越して狙ってくるのは異常だ。それだけ同じ場所に魔族が集まってるってことだろ?」

「言われてみれば、そうね」


 イドの森では何人もいたし、あの魔族の女が村を襲ったのも、間もなくのことだ。たしかに、狙われるにしても頻度が高すぎる気がする。


「このあたりで、皇女の手がかりを見つけたのかもしれない」


 それなら、魔族がこの周辺に集まっている理由もつく、というわけだった。


「……それは、使えるかもしれないわね」

「クレアサマは察しがいいな」


 つまり、こうだ。


「わたくしたちが先にその皇女さまを見つければ、取引材料にできるわ」


 皇女を渡すから自分たちのことは見逃せ、と言えばいい。

 クレアは戦えないし、いまのところ、魔族が相手の戦いはすべてラズウェルに頼りきりだ。


「ベティも弱いし」

「うるせぇ、弱いって言うな」


 襲ってくる魔族を返り討ちにし続けるというのは、いささか現実味に欠ける生存方法である。クレアは口の端を持ちあげた。


「いいことを教えてくれたわ。ベティ、やるわね」

「だろ?」


 ベサニーが自慢げに胸を張った。


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