18
ロジャース家の別邸を出て緩やかな坂を下っていくと、レンガ造りの建物が特徴的なロゼの町に出る。王都に向かう街道に沿うように左右に形成された、小さな町だ。
ならしただけで土がむき出しになっている街道もロゼの町を通る間は赤い石畳の道になる。
領主であるロジャース家の屋敷が近いから自然と人が集まってきて町になった、そんな印象を受けた。
そして、人と人の距離がとても近い。
「あんたもしかして、クレアさまかい?」
「ほう、ラズウェルさまの婚約者だっていう」
「リリアンちゃんから聞いてるよ」
「王子様に捨てられたんだって?」
「ちょっとやさぐれてたけど、最近立ち直ってくれたって喜んでたよ、リリアン」
目が合うたびに声をかけられて、クレアはめまいがする思いだった。
一度も来たことがない町なのに、なぜか名前が知られている。会ってもいない人にひと目で名指しされるほど、なぜか顔が知られている。そしてクレアの事情まで、なぜか知られている。
クレアの情報をばらまいた犯人は明白だった。
「やってくれるわね、リリアン……」
「人気者じゃねぇか、あの嬢ちゃん。クレアサマも」
「冗談じゃないわ!」
町の人々の好意的な視線が痛すぎる。本来であればクレアはリリアンをいじめていた性悪女として嫌われて然るべき存在だ。いったいどんな伝え方をすればこんな扱いをされるのか。
「で、クレアサマはなんで急に外に出たがったんだよ」
朝から開いていた適当な小料理屋に逃げこんだふたりは、ようやくひと息つくことができた。
しかし、人が少なすぎるし、ちらほらといる客はクレアたちにめちゃくちゃ意識を向けている。目が合うと手を振られる。相手をする気にもなれないので、クレアはさっと目を逸らして、目の前のベサニーに集中した。
これでは、ラズウェルがクレアを殺そうとしているだとか、そんな物騒な話はできない。
だから、本来の目的とは違う話をする。
クレアのなかの、些細な懸念を払しょくするためだ。
「ベティは、わたくしの味方よね」
「なんだ急に」
「あなたの怪我を治したのはラズウェルさまだわ。だから、ラズウェルさまに恩義を感じているんじゃないかって思ったのよ。髪色を変えて正体を隠してくれたのも彼でしょう。あの人があなたの命を握ってることになるし」
「髪はもう自分でやってるよ。魔導士が魔法をかけてたのは、俺が動けなかった最初の日だけだ」
「あら、そうなの?」
それならクレアの不安はひとつなくなる。
「心配しなくたって、俺が味方するのはあんただけだよ。そりゃ、なんか問題を起こしたら即座に殺すってあの魔導士からは言われてるが」
「それなら余計に」
「勘違いすんなよ。俺を生かそうとしてくれたのはあんただけだ」
ベサニーはクレアの言葉をさえぎって、一気にまくし立てた。
「魔導士の奴は俺を殺さなかったが、それはあんたが言ったからだ。怪我を治したのも同じ」
「あの魔導士があんたに言われて俺を殺さなかった以上、あんたに捨てられたら、俺は十中八九殺される」
「ただ、わからねぇのがよ、なんであいつはあんたの要求を呑んだんだ? あんたとあの魔導士、仲悪いんだろ?」
「それは同意ね。わたくしもわからなくて困ってるのよ」
「だろ? ますますあいつは信用ならねぇ。あっちに媚びを売ったって、俺に情が湧くとも思えないしな」
「それも同意ね。敵だと思ったら徹底的に叩く人よ、わたくしも含めて」
「……婚約者のあんたに言われちゃおしまいだな」
実際、クレアがいくら媚びを売ったところでラズウェルは動じないだろう。どころか、蔑んだ目で見られる可能性が高い。その上、余計に警戒されて死期を早めるおそれがある。
「……クレアサマと一緒にいても俺の身の危険度変わらなかったりする?」
ベサニーは真理に気づいてしまったようだった。しかし、ここは是が非でも心を固めてもらわないと困る。クレアは立ち上がって、向かいに座るベサニーに顔を寄せた。
「いますぐに死ぬか、わたくしが死ぬのを待って道連れにされるかの違いよ」
「はぁ?」
クレアは声のボリュームを落とした。
怪しさしかないが、この際、周りに声が届かなければなんでもいい。
「理由がわからないのだけれど、ラズウェルさまはわたくしを殺すために婚約したみたいなの」
「はぁ!? おまっ……それは」
「そうならないように鋭意努力中よ。あなたも協力しなさい。わたくしを殺す理由がなくなれば、わたくしが重宝するあなたも殺されなくなる。これは断言できるわ」
嘘だ。断言はできない。
クレアを殺そうとする理由は、リリアンに対する嫌がらせとは別にある。それはわかったが、その逆はわからないのだ。
(殺す理由はともかく、わたくしのことを毛嫌いする理由は、やっぱりリリアンのことが原因な気がするのよね……)
クレアは着席した。ベサニーが頭を抱えて突っ伏する。
「とんでもねぇ奴に助けられちまった……」
「いまさら後悔しても遅いわ」
「クレアサマ、あんたこの選択肢さ、俺に『はい』か『喜んで』以外の返事が許されないのわかってる?」
「わかってて言ったわ」
「ド畜生かよ。あんた、実は婚約者と相性いいんじゃねぇのか」
「ひっぱたくわよ」
うんうんうめいたって、ベサニーに選ぶ余地はないだろう。
(最初はベティの情に訴えようかとも思ってたけれど……こっちの方が損得がはっきりしてて信用できるわ)
ほとんどただの脅しだったが。
かくして、クレアは強力な味方を、今度こそしっかり捕まえたのである。




