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 少ししてクレアの部屋を訪れたラズウェルは、普段のラフなシャツとパンツ姿ではなく、彼の魔導士の仕事の際に着るような外行きの外套をまとっていた。その手には、当たり前のように杖が抱えられている。


「それで、なんの用かしら」

「これから外出します」


 壊滅的に言葉が足りない説明だった。


 クレアの脳裏に、以前ラズウェルに誘われたときのことが蘇る。

「少し遠出でもしませんか」……ラズウェルがクレアを殺した日のことである。


 つ、と背中に冷や汗が伝った。まさか自分の死期が早まったのであるまいか。


「ふたりきりで?」

「ええ」

「お断りするわ」


 ほとんど条件反射だった。

 しかしラズウェルには、クレアの言葉が届かなかったようである。


「すぐに支度をしてください」

「ちょっと、わたくしはいやだと言ったのよ」

「先日の魔族と魔物を探しにいきます」


 なおもまくし立てようとしたクレアは、その一言で止まった。


「……暗殺組織の?」


 たしか、逃げられたとか聞いた気がする。


「どこまで行くつもりなの。もう五日も経っているのに」

「すぐそこの森までですよ。無傷で逃がしたわけではありませんから、そうそう遠くまでは行けないはずです」


 ラズウェルが言っているのは、このロジャース家別邸の左手に広がっているマドの森のことだ。木々が密集していて、足場が悪い。入るとちょっとした冒険気分になるとリリアンが話していた。外から見るだけでも陰気で近づきたくない場所である。


 クレアのなかで、行きたくない気持ちが肥大した。


「そんな深手を負わせたのなら、もう生きていない可能性の方が高いのではなくって?」

「さあ、そこは魔族ですからね。彼らの生命力は、人よりもはるかに高いですし。その可能性はほとんどないでしょうね」


 ラズウェルは、その細い顎でクレアの腕を示した。


「あの魔族が寄越した魔物……死んでいれば、貴女のその傷もよくなっているはずですから」

「そういうこと、ね」


 魔物にやられたクレアの腕の傷は、まだ治りきっていない。問題なく使うことはできるが、包帯の下は酷いものである。


 傷周りの肌は瘴気で変色したままだし、そのせいで、傷そのものもぱっくりと開いていた。血が垂れ流しになっていないのも、痛みを感じないのも、ひとえにラズウェルの魔法のおかげである。


「とりあえず魔物だけでも仕留めることができれば、瘴気だけでも薄まります。完治するまで魔法をかけ続けるのは面倒ですからね」

「さては、そっちが本音ね。あなたくらいの魔導士なら、別に負担でもなんでもないでしょうに」

「では言い直しましょうか。貴女に魔法をかけ続けるのがいやなんですよ」


 いい笑顔だった。


「さっきリリアンに言われたこと、忘れたのかしら」

「リリアンの前では気をつけますが、貴女と二人きりのときまで気を遣う道理はありませんね」

「……もういいわ、わかったから」

「ではさっさと支度をお願いしますね。私は外で待っています」


「わかったって、そっちじゃないわよ!」と叫んだクレアを完全に無視して、ラズウェルは部屋を出ていってしまった。


「ひとりで行けばいいじゃないの。わたくしが同行しなきゃいけない理由がわからないわ」


 しかし、無視するわけにもいかない。ラズウェルもさすがに、朝食の席でのあのやり取りのあとでクレアを殺したりしないだろう。

 自分に言い聞かせて、クレアはなるべく動きやすい服に着替え始めた。


 ◆ ◇ ◇


 クレアが必要な理由は、すぐに判明した。


「ねえ、すごく痛いのだけれど。血管が破裂しそう」


 道しるべで、センサー役だ。

 件の魔物が近ければ近いほど、クレアの傷の瘴気は強まる。そしてそれは、痛みとなって発現する。


 左腕の包帯には、うっすらと血がにじんでいた。こめかみがずきずきと痛む。ただでさえ足場が悪いのに、痛みで視界がぼやけるし、足元もおぼつかない。


「あっ……」


 クレアのつま先が、木の根に引っかかった。慌てて前を行くラズウェルの外套を掴む。

 転びそうになったのも、もう何度目かわからない。


 ラズウェルもそこまで悪魔ではないのか、自分を支えにされても、振り払ったりはしなかった。クレアはそのまま、ラズウェルを掴んで進むことにする。


(本当は歩きたくないのだけれど)


 横抱きにされる想像だけでもぞっとする。おんぶは接触面が多いからなお悪い。荷物のように担がれるとか、小脇に抱えられるのは、レディとして許せない。

 だいいち、「辛くて歩けないから運んでほしい」なんて、口が裂けても頼みたくない。


 クレアの額に、さらなる脂汗が浮かぶ。


(ちょっと、本当に無理かも)


 苦渋の決断をするときがきてしまったか、と考えたところで、ラズウェルの足が止まった。


「どうしたのよ。見つけた?」

「静かに」


 辺りをうかがって、すぐ傍の木陰に身を隠す。ラズウェルはうねった木の根を踏み越えて、その間に屈みこんだ。クレアも引きずられるようにあとに続く。

 理由はすぐにわかった。


 獣の咆哮と足音。

 それから人らしき怒鳴り声が、クレアの耳に届いたからである。


 見つかりやしないかとドキドキした。こちらからはなにも見えない。それなら、向こうからもこちらは見えないのだろうか。

 ラズウェルは落ち着いて様子を伺っていた。


「なにか……争っているようですね」


 ふたりが隠れている木のすぐ向こうで、獣が悲鳴を上げた。次いで、なにかがどさりと落ちる。


「俺に責任はない! 今回は相手が悪すぎたんだよ!」


(この声……)


 男にしては高く、女にしては低い。そして口が悪い。

 忘れようもない。


「それはてめぇらもわかってるだろうが!」


 五日前、ロジャース家に侵入した魔族だった。


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