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 リリアン暗殺騒ぎから五日が経って、クレアはようやく元通りの生活に戻ることができた。というのも、最初の三日間を寝て過ごしたせいで、足腰が弱って足元がおぼつかなかったためである。


 そしてクレアのちょっとしたリハビリに、積極的に協力したのはリリアンだった。


「クレアお姉さま、おはようございます! お散歩しましょう!」


「お姉さま、足元に気をつけてくださいね!」


「日差しが気持ちいいですね、お姉さま!」


「お姉さま、ほら! 小さいですけどちょっとした庭園もあって、うちの自慢なんですよ!」


 毎日この調子で「お姉さま」の連呼である。


「だからお姉さまは……もういいわ」


 さすがのクレアも諦めた。


 あのラズウェルでさえ、ものすごくなにかを言いたそうに歯を食いしばりながら許容してたのである。クレアがいくら言ったって聞かないのも、身に染みてわかった。


 プチリハビリだった散歩は、リリアンに流されるかたちですっかり習慣になってしまった。

 そこに変化があったのは、ある日の朝のことだ。


「お客さまですかね……王家の馬車だわ!」


 リリアンに引きずられるように、正門へ向かう。

 馬車から降りてきた見覚えのある顔に、クレアは顔をしかめた。


 このメリベラル王国の王太子、カイン・メリベラである。


 以前はそのブロンドの髪が視界に入るだけで胸をときめかせたものだが、いまのクレアはただひたすら、萎えるだけだった。


 しかし、カインの姿を見て萎えたのはクレアだけではないようだった。


「あら、お兄さまもいらしたわ」

「なにか御用でしょうか。こんな朝早くから、連絡もなしにいらっしゃるなんて、よほど重要なことでも?」


 屋敷から出てきて、クレアたちよりも先にカインに声をかけたラズウェルである。台詞の端々からもわかるとおり、彼は迷惑そうな様子を微塵も隠さなかった。


「おまえに用があったわけじゃないさ。リリアンに会いにきたんだ」

「わたしにですか?」


 そこでリリアンが顔を出した。


 クレアはさりげなく、ラズウェルを壁にして隠れる。おかげで「相手が誰であろうと、迷惑であることに変わりはないんですがね」という呟きがよく聞こえた。

 カインには聞こえなかったのか、あるいは無視をしたのか、わからなかったが、とにかく気にした様子もなく、リリアンに満面の笑みを向けていた。


 手に持っていた封筒を、彼女に向けて差しだす。


「これを渡しにきたんだ。今度、隣国の姫君が我が国にやってくる。そこで開催される舞踏会に、ぜひ君を招待したくて」

「ありがとうございます、カイン殿下」

「カインと呼び捨てでいいと、いつも言っているだろう」

「しがない公爵家の令嬢の身で、殿下を呼び捨てにするわけにはまいりませんから」


 リリアンはにっこりと笑顔を返して、しかしきっぱりと断った。手慣れたものである。

 カインは「つれないところも可愛いよ」と鼻の下を伸ばしていた。これではまた同じことを言って、同じように断られるに違いない。まったく学習していない。


 正直言って、だいぶアホっぽかった。


(ずっとクールな方だと思っていたけれど……好きな女の前だとこうなるのね。婚約の話がなくなってよかったかもしれないわ)


 どうしてカインのことが格好良く見えていたのかがよくわかった。クレアのことをなんとも思っていないがゆえに冷たくあしらっていたことが、クールで理知的に見えていたというオチである。


「ところで、こちらの舞踏会はわたしだけしか参加できないのでしょうか。お兄さまとクレアお姉さまも一緒に行ってはだめですか?」

「クレア……お姉さま?」


 カインが一瞬、本気でわからない顔をした。視線をさまよわせて、そして運が悪いことに、ラズウェルの背でこそこそしていたクレアと目が合った。


「まさか、そこの女のことか?」

「殿下、そのような言い方をなさらないでください。お姉さまに失礼ですよ」

「ああ、すまない……それにしても」


 なにもしていないのに、心底不快そうにじろじろと見てくる。仕方がないので、クレアはスカートをつまんで、軽いお辞儀をした。


「お久しぶりです、カイン殿下」


 さっさと部屋に引っこんでいればよかった、と心のなかで呟きながら。


「リリアンにお姉さまなんて呼ばせて、おまえはなにがしたいんだ?」

「彼女が勝手に呼んでいるだけですわ。強要した覚えはありません」

「白々しい。そんなに自分を誇示したいのか」

「いえ、本当にわたしからお願いしたんですよ!」


 リリアンが割りこんだ。ぱぁっと音が聞こえそうな華やかな表情である。


「リリアン、無理をしなくてもいい。嫌だと思ったときははっきりと」

「いいえ! わたしからお願いしたんです。ねぇ、お姉さま!」


 くるりと身を翻して、クレアの片腕に飛びついた。カインの顔が引きつっている。


「クレア、おまえ……彼女になにをした」

「殿下、失礼ですよ! わたしはなにも」

「いいわ、リリアン。言わせておきなさい。面倒くさい」


 肯定したってカインは納得しないだろう。否定するのも説明するのもまとめて面倒だった。だいたい、いまさら彼にどう思われたって困らない。


「面倒だと?」


 眉間にシワを寄せたカインが、クレアを睨む。


(全然響かないわ。ラズウェルさまの無表情の方がずっと怖いもの)


「私は戻ってもいいですかね」


 ピリついた空気を破ったのは、ラズウェルのため息だった。最初の一言以降黙って立っているだけだったので、完全に壁と化していた。


「失礼しますね」


 カインとクレアの間を遮るものがなくなってしまった。吹きさらしのなか、リリアンにくっつかれたクレアとカインが向かい合う。


(やっぱり先に帰るべきだったわ)


 クレアは、リリアンの手から腕を引き抜いた。


「顔を見るなり一方的に突っかかってくるのですもの。面倒以外のなにものでもないですわ」


 カインになにか言い返される前に、クレアは声を張り上げた。


「それと! わたくしと殿下はもうなんの関係もないのですから、名前を呼び捨てになさるのはやめていただけるかしら」


 カインの顔に、かっと熱がのぼったのがわかった。口を開いたカインの声は、怒りか羞恥か、震えていた。


「それは失礼した。マーフィー嬢」

「ええ。それでは、わたくしも失礼しますわ」


 ふっと口角を上げたクレアは、ラズウェルのあとを追って、さっさと玄関に引き返した。


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