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第四話 真っ赤な車


XX年、八月二日 午後。

晴れ、非常に暑い。



結局、食料品は賞味期限の迫っているパン類だけを、飲み物は大好きなコーラと水だけを持って帰ることにして、その他のレトルト品などは棚に戻した。


ちなみに、どの食品も製造日は三日前のものが最新で、それ以降のものは置いていなかった。おにぎりや弁当類は諦めざるを得ない。

カップ焼きそばも名残惜しかったが、お湯を沸かせるようになってから持って帰っても遅くはない。いまは我慢することにしよう。


それから、生活用品コーナーから汗拭き用のシートとウエットティッシュを、レジ裏からライターも忘れずに拝借しておく。たまたま見つけた日焼け止めもついでに体に塗っておいた。これで日焼けは少しはマシになるだろう。




さて、涼める場所を考えないと。自然公園にでも行って、木陰で休もうか。近くに沢なんかが流れていると、なお涼しげで良い。真昼の暑ささえしのげれば、なんとかなるかもしれない。しかし、近くにそんな公園があったろうか。


そんなことを考えながら、冷凍庫から新しい氷袋を取り出して頭に当て、なんとなく外の風景を眺めた。




駐車場には、車が三台止まっていた。




二台は入り口のすぐそば、雑誌コーナー後ろの窓際に。もう一台は、広い駐車場の隅っこに置いてある。バカみたいに赤い色をした、ツードアで四人乗りタイプの車だ。スポーツカーと言うのだろうか?車には詳しくないが、高そうな車に見える。


何気ない風景だが、なんとなく引っかかるものがあった。


なんであの車はあんなに遠くに停めてあるのだろう。コンビニを利用するのなら、入り口の近くに停めたほうが便利じゃないのか。あんな所にわざわざ停めるなんて、何か理由があるのか?


俺は思わずアッと声をあげそうになった。


車。盲点だった!


車ならクーラーがつけられるじゃないか。交差点にあった車は、エンジンが死んでいたり窓ガラスが割れたりしていて、冷房の効きは期待できない。コンビニの前に停めてある車は、壊れている心配はないが鍵のありかがわからない。


しかし、隅に停めてある車は?


俺はレジカウンターを乗り越えると、奥のドアから従業員室へと入った。コンビニで働いたことはないが、裏に何があるかはだいたい想像できる。


案の定、休憩スペースの奥に店員用の簡易ロッカーがあった。ロッカーの鍵は閉まっているが、そんなことは問題ではない。


ロッカーの扉を何度か蹴りつけると、扉が歪んで端に隙間があいた。こうなれば簡単だ。休憩スペースに置いてあった工具箱からレンチとドライバーを持ってきて隙間に差し込む。バールがあれば一発だったが贅沢は言えない。




数分ほど格闘を続けると、扉がひん曲がって僅かながら隙間ができた。

手を突っ込んで中身を引きずり出すと、小さなメッセンジャーバッグが出てきた。茶色い革製で、青色の布が縫い付けてありロゴが刻印されている。


バッグを開けて中身をテーブルに出していくと、財布や定期入れ、タバコ、スマホ、筆記用具、ポケットティッシュやイヤホンなどの雑多なものに紛れて、目的のものが見つかった。


キーケースだ。

開いてみると、いくつかの鍵に紛れて、有名な車のブランドが刻印された鍵が入っているのが確認できた。


これだ!俺が探していたのは、車の鍵だった。


コンビニを利用しようというのに、駐車場の片隅、それも店舗から離れた場所に停める人間なんてそうそういない。では、どういう人間があんな隅っこに停めるのだろうか?


答えは、店員だ。

駐車場の端に停めてあったのは店員の車だったのだ。


よし!俺は小さくガッツポーズを取ると、心の中で感謝の言葉を叫んだ。神様に言ったわけじゃない。このバッグの持ち主にだ。


ふと気になって、俺はもう一度財布を手に取った。俺みたいなひきこもりでも名前を知っている、高級ブランド製の財布だった。よくよく見てみると、キーケースやカバンも同じブランドのものらしい。


高級ブランド野郎か。いいご身分だな。

ため息を吐きながら財布を開き、免許証を取り出した。なんとなく、俺に恩恵をもたらした男がどんな人間だったのか気になったからだ。

まず写真が目に入った。まあまあイケメンだ。茶色の髪をつんつんと尖らせており、チャラチャラとした雰囲気。全体的に爽やかな感じではあるが、どこか粘着質な目付き。

正直、あまり好きなタイプの人間ではない。


次に名前。

知らない名前だ。

苗字はありふれているが、下がホストの源氏名みたいでアンバランスな感じ。

住所は、隣町のもの。ここから車で十五分くらいの場所だろうか?




そして、生年月日。




……見なければよかった。

俺と、同い年だった。


同い年だと気付いた瞬間、頭を殴られたような衝撃があった。血の気が引くような、血が湧き立つような、そんな感覚が交互に繰り返される。

そうだよなあ、と俺は思う。

俺は中学生で時間が止まってしまったけれど、他のヤツらは順調に人生を歩んでいたのだ。たぶんこいつは大学生だろう。


コンビニアルバイトの給料であの車が買えるとは思えないので、車は親の金で買ったものに違いない。この財布やキーケースは自分で買ったものだろうか?それとも誰かからのプレゼントだろうか。例えば、恋人からの……。


そこまで考えて、俺は頭を振った。




こいつは消えたんだ!




俺は消えていない。でも、こいつは消えた!

親の金で買った車も、高い金を出して買った財布も、もう二度とこいつは使えない。クソったれ!大好きな恋人にも会えないんだ。

ザマァみろ!


俺は歯ぎしりをし、唇を強く噛み、そしてため息をついた。

心の中の激しい想いとは裏腹に、俺は免許証をソッと財布に戻すと、キーケースだけ回収してカバンの中身を元どおりにしまった。


消えた人間は、どこへ行ったのだろう。


なんとなく、ここよりもずっとずっと良いところへ行ったのではないかという気がする。


そして、二度と戻ってこないという気も。


さっきまで、俺は人間が消えたということに対して半信半疑だったのに、今では消えたということは疑いようのない事実であるという確信めいたものを感じていた。




駐車場の車に向かって鍵についているボタンを押してみると、車のランプが光ってロックが解除される音がした。予想通り、鍵はこの車のものだったらしい。


真っ赤なドアを開けると、凄まじい熱気が中から漏れ出してきた。夏の車内の気温だ。

運転席に体を半分だけ乗り入れ、ハンドル横の鍵穴に鍵を差し込んでひねる。甲高い音を立てて車体が震え、エンジンがかかった。親が操作するところを見ておいてよかった。俺は車の種類には一切興味が無かったが、運転そのものには興味があったのだ。


クーラーがついたことを確認すると、外に出てドアを閉めた。この気温では暑すぎて、とてもじゃないが中に入っていられない。ある程度冷えるまで、少しだけ外で待つことにする。

こんなことになるのなら免許を取っておけば良かった、と俺は思った。

が、こんな世界で免許の有無など無意味だろうとすぐに思い直す。車なんて、前と後ろに進むことができて、止まりたい所で止まれればいい。

きっと簡単だ。あとで練習してみよう。


そんなことをぼんやり考えてから、再びドアを開けてみる。まだ涼しいとは言えないが、熱気はだいぶ大人しくなっていた。

運転席に乗り込み、今度はそのまま後ろの席に移る。燃料はどれくらいもつのだろう。今はいいが、またそのうち別の車を探さなければならないだろうな。




車内が冷えてくると、ドッと疲れが出てきた。六年間のひきこもり生活を凝縮しても、今日、朝から昼過ぎまで過ごしたほんの数時間のほうが、圧倒的に濃いのではないだろうか。

それにしても、たった数時間動き回っただけなのにこんなに疲れるとは。もう少し体を鍛えなくてはならない。もうひきこもってばかりなどいられないし、そもそも、もうひきこもり続ける理由はなくなったのだから。


そう、理由。


俺は、消えた人間たちのことを薄ぼんやりと考えた。


俺に悪意を向けてきた人間。

俺に善意を向けるフリをしておびき寄せ、くるりと手のひらを返して嘲笑っていた人間。


俺は人間が怖かった。

むき出しの悪意を向けてくるヤツも怖いが、それ以上に、そうは見えない人間のほうが怖かった。

善意の裏に潜んでいるものが透けて見える、あの瞬間が怖かった。


でも、みんな消えた。みーんな消えてしまった。

もう怖くはない。

この世界は俺のものだ。好きなことをしていいし、しなくてもいい。


もしもこれがゾンビが徘徊する世界の話だったのなら、俺は他の生存者を探すことに躍起になっていたことだろう。しかし、この世界にはゾンビはおらず、従って差し迫った脅威もなければ、何かから身を守る必要もない。


それに、俺は長年のひきこもり生活のおかげで他人との暖かな心の交流などは必要としてはいないし、むしろ他人がいないということに関してメリットしか感じられなかった。

人間が消えたこの世界は、俺にとっての楽園、天国だと言ってもいいだろう。


よし、日暮れまでここで休んで、涼しくなったら荷物を持って家に帰ろう。そして、次に何をするかをじっくり考えよう。




俺はタオルをまぶたの上にかぶせて太陽の光を遮り、目を閉じた。


焦げた車、ドーナツ、アスファルトの陽炎。

轟々と音を立てる炎、立ち上る煙、嘲笑う声……。


そんな荒唐無稽で雑多な光景が頭の中に浮かんでは消え、俺はそれらをぼんやり見つめた。

やがて、雪景色の中を走る黒猫が見えたあたりで、俺は知らず知らずのうちに意識を失い、深い眠りに落ちていった。

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