第三話 コンビニエンス罪悪感
XX年、八月二日 午後。
晴れ、非常に暑い。
俺は、コンビニの軒先にしゃがみ込んで途方に暮れていた。
あれから俺は、自転車を漕いで交差点を通り過ぎ、コンビニへとやって来ていた。
六年前と全く同じ場所にコンビニはあった。車が二十台は置けそうな広い広い駐車場のど真ん中に店舗がある、都会じゃ滅多にお目にかかれないタイプのコンビニだ。
交差点の事故を見た時点である程度覚悟はしていたが、残念ながらコンビニにも人はおらず、また電気も来ていないようで店内は薄暗かった。
入口の自動ドアは当然ながら自動では開いてはくれなかったが、ちょうどいいことにドアとドアの間に指がかけられそうな溝があった。これ幸いと指を突っ込んで無理やりドアをこじ開け、中に入る。
すみませーん、と声をかける代わりに、カウンターをノックの要領でコンコンと叩いてみる。案の定、返事はない。薄暗い無人のコンビニはどことなく不気味で、無理に押し入ったことに少しだけ後ろめたさを感じた。
コンビニの中は涼しいものだとばかり思っていたのだが、その考えはすっかり裏切られてしまった。夏の日差しは容赦なく建物を照らし、冷房の止まった室内はすでに外気とほとんど変わらない温度になっていた。むしろ、空気の流れが無いぶん外よりも蒸し暑く感じられるほどだ。
ガッカリした俺は、コンビニの軒先、ちょうど日陰になっているところへしゃがみ込み、途方に暮れた。ほんの三十分ほど太陽に当たっただけなのに、皮膚が熱を持ったように痛む。元々色白で太陽の光には弱かったのだが、長年ひきこもっていたせいで皮膚がさらに弱くなったらしい。
太陽は休むことなく照りつけ、アスファルトには陽炎が立っている。気温はさらに上昇し、高い湿度も相まって呼吸するのも苦しいくらいだ。今は正午過ぎ、おそらくこれから日が暮れるまで気温は下がることはないだろう。空調も無いこんな状況では、軟弱な自分は夜までとても耐えられない。
俺は、家から持って来たミネラルウォーターを飲みながら、どこなら涼しいだろうかと考えた。
電気が止まってしまった以上、空調で涼むことは期待できない。当初は図書館に行こうと思っていたが、この分だと既に熱気のこもる地獄のような空間になっているだろう。プールや水風呂なんかがあると嬉しいが、電気が止まったと同時に水道も使えなくなっている可能性が高いので、期待は持てない。
そういえば、コンビニの冷凍庫の中身はどうなっているだろう?
室内はすでに暑くなってしまっているが、冷凍庫の中身はまだ完全に溶けてはいないかもしれない。それを頂戴すれば、あるいは夜まで耐えられるかもしれない。
しかし……コンビニの中のものを勝手に持ち出すのは、犯罪ではないのか?
バカバカしいことだが、こんな状況にも関わらず、俺は躊躇せずにはいられなかった。
万引きだ、窃盗だ!無人のコンビニを荒らすだなんて、そんなことをしたと知れたら、俺は今度こそ人間のクズとして扱われるだろう。
だいたい、人間が消えたという俺の考えがそもそも間違っていたとしたら?
一時的にどこかへ行っただけで、突然戻って来る可能性は?
実は、壮大なドッキリだとしたら?
もしそうだとしたら、俺は犯罪者として名を刻まれるのだろう。
人間が消えたから大丈夫だと思った、などと訳のわからない弁明をした頭のおかしな犯罪者として。
そんなことをウジウジ考えながら、二十分ほど軒先に転がっていた。
俺は辛いことや、自力で解決できそうもないことが起きると、嵐が過ぎるまでジッと押し黙って耐えようとする悪い癖があった。
罪悪感もダメだ。少しでも罪悪感に苛まれると、自分の欲求を押し殺して我慢してしまう癖もある。
しかしながら、暑さとは非常に厄介なもので、汗が一滴、また一滴としたたり落ちるのと同時に、俺の思考力もまた一滴一滴と奪われていった。頭が鈍ってくるにつれ、次第に罪悪感が影を潜め、身勝手な俺が顔を覗かせる。
少しくらい、大丈夫じゃないか?
電気が来てないんだから、監視カメラも動いていないだろうし。第一、緊急事態なのだ。生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
誰も見てはいない。
バレやしないさ。
ここまで考えると、俺はのっそりと起き上がった。無意識に体を起こしていた、といったほうがいいだろう。
なんのことはない、俺は善人として犯罪行為を躊躇していた訳ではなく、良心の呵責に苛まれていた訳でもない。
バレなきゃいい。
ただそれだけのことだったのだ。
つまり、俺は自分の悪事が他人に知れることだけを恐れていただけで、根っからの善い人間では無かったのだ。
罪悪感?バカバカしい。
この時点でこのことに気付けたことは、今後の俺にとってかなりプラスになったと言っていい。人生には、良心に従っているだけでは切り抜けられない場面がたくさんある。そして、今がその時だ。
これに気付けなければ、俺はここでくたばっていただろう。俺は、初めて良心に背いた。そしてそれは、間違ったことではなかったのだ。
平積みのアイスはほとんど溶けてしまっていたが、扉付きの冷凍庫の中身はまだ冷たさを保っていた。
冷凍庫の扉をほんの少しだけ開け、中から氷の詰まったビニール袋を取り出す。手前に積んであるのものは、氷がほぼ溶けてただの水袋と化していたが、奥に積まれているものにはまだ溶けきっていない氷が半分ほど残っていた。
氷袋を首筋に当てる。冷やされた血液がじんわりと全身に広がっていくのを感じ、思わず吐息が漏れた。
暑さから解放されたことで、たちまち元気が出てきた。
よし、どうせなら使えそうなものを拝借していくか。食べ物や、飲み物なんかも欲しい。もうこうなったら、役立たずの神様が見ていようがなんだろうがお構いなしだ。
俺は買い物カゴを手に取ると、手当たり次第に商品を漁り始めた。
ペットボトル飲料は保存が効くからできるだけもらっておこう。レトルトカレーもいいな。レトルトごはんもついでにもらおう。電子レンジは使えないが、お湯くらいなら火を起こして沸かせるだろう。
そうだ!
お湯が作れるならカップ麺も作れる。素晴らしい。大好物のカップ焼きそばを、あるだけ全部カゴに突っ込む。
弁当も欲しいところだが、この暑さだ。
腐っていると怖いので、却下。
パンなら常温でも平気だろうと、菓子パンや惣菜パンを片っ端からカゴへ投げ込む。大好きなクリームパンも忘れずに入れておいた。
食べ物の事ばかり考えたせいか無性に腹が減ったので、レジ横のドーナツケースを開け、チョコレートがかかったドーナツを頬張る。揚げてから時間が経っているせいかちょっと油っこいが、溶けたチョコレートが染み込んで絶妙に美味かった。
紙パックのコーヒー牛乳も開け、ぐびぐびと飲む。
ついでに、揚げ物が入っているケースから、フランクフルトを取り出してかぶりつく。腐っているんじゃないかと警戒したが、まだ大丈夫そうだった。コロッケや唐揚げも食べたいところだったが、今朝の朝食を思い出してやめておいた。
食べかけのフランクフルトを片手に持ちながら、冷蔵コーナーから持ってきたぬるいコーラを一気飲みして、やっと俺は落ち着きを取り戻した。
腹が満たされると、次第に思考力が戻ってきた。
人間の動力源は食べ物だということをやっと思い出す。なんだかバカみたいだが、本当のことなんだから仕方がない。
レジのカウンターに腰掛けて二個目のドーナツを頬張りながら(レモン味だった)、しばし思案を巡らせた。
よくよく考えてみると、一度にたくさんの物資を持って帰る必要はないかもしれない。ここは家から近いのだし、必要になったらすぐに取りに来られる。
第一、パンはともかくペットボトルは重い。持って帰るのは、その日に必要な最低限の分だけに抑えるべきだ。好き勝手できるという状況に興奮してしまったが、これからはもっと良く考えないといけないな。
それに、暑さ対策。
この問題が全く解決していなかった。今はひとまず氷で暑さをしのげたが、それも数時間と保たないだろう。暑さをしのげる場所を探すべきだ。
日用雑貨コーナーから拝借したウエットティッシュで手を拭きながら、俺は冷房問題をどう解決すべきか考えることにした。