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第二話 NOBODY!

XX年、八月二日 正午。

晴れ、非常に暑い。



間に合わせの食料もとうに食べ終わり、二時間ほど経っただろうか。


クーラーの止まった部屋はぐんぐんと気温を上げ、ジッとしているだけでも汗が噴き出すほどの気温になっていた。

窓を開けて網戸にしてはいたのだが、風もなく、屋外は既に耐え難い気温になっており、なんの効果も無かった。


電気が止まった直後、停電の原因を突き止めようと一階へ降りてはみたのたが、なんの収穫も得られなかった。ブレーカーに異常はない。

わかったのは、どうやら家全体が停電しているということだけだ。


もしかしたらこの地域全体が停電しているのかもしれないと思い、リビングの窓を開けて隣家を見てみた。窓から見える範囲では、隣近所に電気がついている家はなさそうだった。停電しているという可能性もあるが、ただ単に出かけているだけなのかもしれず、それ以上はわかりようがない。

仕方なく部屋に戻ってきた俺は、なすすべもなく布団の上でジッとしていたのだった。




暑い。


クーラーのある生活に慣れていた俺は、ただ暑いというだけでこんなにも思考力を奪われるものだと知らなかった。冷蔵庫から出してきたお茶に氷を目一杯入れて飲んでいたのだが、それもなくなりかけていた。


俺は岐路に立たされていた。

このまま停電の回復を待つか、それとも、外に出るか。


冷蔵庫の中はまだ冷たさを保っていたが、このまま停電が続けば中身が腐ってしまうのも時間の問題だろう。


そもそも、この停電が我が家だけの問題なのかどうか確かめなければならない。地域的な停電ならば、役所かどこかから何らかのアナウンスがあるだろう。復旧予定もわかるかもしれない。

もし我が家だけの問題ならば……家族が帰ってくるのを待つのが最善か。電気の契約手続きなどしたことはないし、そもそも俺にできるはずもない。


そういえば、と俺は思い出した。インターネットもここ二、三日繋がらなくなっていた。家族の誰かがWi-Fiの設定を変えてしまったのだろうと思っていたのだが、特に気にせず、いや、指摘することもできず放置していたのだ。しかし今になって思えば、このインターネットの件も、家族の失踪や長時間の停電と関係があったのかもしれない。


なんとなく気味の悪さを感じながらも、俺は出かける準備をすることにした。このまま家にいたら、蒸し焼きになってしまう。死ぬのはさほど問題ではないが、俺だって死に方は選びたい。


とりあえず、近所の停電状況を調べてから、お金をかけずに涼めるようなところへ行こう。手っ取り早くコンビニがいいだろうか、いや、長時間過ごすなら図書館がいいか。

ともかく、少しでも涼しいところへ行きたかった。




よれよれのジャージ姿だった俺は、クローゼットの奥から中学生時代に着ていた服を引っ張り出した。六年前の服だ。これより新しい服は持っていなかった。少し恥ずかしいが、小汚いジャージよりマシだろう。


が、予想外のことが起きた。ジーンズが履けない。

いや、履くことはできる。

太ったわけではない、むしろ長年のひきこもり生活のおかげで、中学生の頃に比べてかなり痩せていたのだ。


問題は丈だ。

ひきこもっていたせいでわからなかったが、俺の身長は中学生以降もグングン伸び続けたらしく、中学生の頃にはぴったりの長さだったジーンズの丈はいまやスネまでの長さしかなく、微妙に末広がりな裾の形と相まって実にみっともない格好になってしまっていた。


ジーンズを履くことを諦めた俺は、辛うじて着ることができた赤いTシャツに、パジャマがわりに履いていたよれよれのジャージをそのまま履くことにした。

裾が破れていて恥ずかしかったので、数回折り返して隠す。脛が剥き出しになってしまったが、仕方がない。ラッパみたいなジーンズよりマシだ。デパートへ行くのには適さないが、近所のコンビニ程度なら特に不審がられることはないだろう。


クローゼットの内側に取り付けられた鏡に自分の全身を映し、俺は久しぶりに俺のことをまじまじと見つめた。

青い顔、こけた頬、淀んだ目、乱れて伸びた髪。骨の浮いた肩、薄い胸板、そして、ひょろりと伸びた背。


知らない間に成長しているものだな、と俺は妙に納得した。

俺は身長が伸びた。

しかし、俺以外のヤツらは身体以外の部分もそれ以上に成長したのだろう。俺の知らない間に。




赤いTシャツにでかでかと書かれた


「NOBODY!」


という謎の単語に苦笑しつつ、俺は小学生の時に作った貯金箱を割って中の小銭を財布に入れ(道で拾ったお金を、いつか自殺の決心がついた時にパーッと使おうと貯めておいたものだ…と言っても、千円ちょっとしか無いが)、スマホ(Wi-Fi専用機だったので、今となってはネットに繋がらないただの文鎮でしかないが、念のため)、自転車の鍵(俺の自転車がまだ残っていると良いのだが)、汗拭き用のハンドタオルをリュックに放り込み、一階へと降りた。


本日何回目かの階段の昇降に早くも気分が萎えたが、心臓はもう痛まなかった。




玄関へ向かう前にキッチンへ寄り、まだ辛うじて冷たさを保っている冷蔵庫から一本だけ残っていたミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。結露しないようにタオルで巻いて、リュックのボトルホルダーへ差し込んだ。


玄関の棚から家の鍵を探し出し、靴箱から適当なサンダル(たぶん父の)を取り出して履く。

玄関のノブに手をかけ、深呼吸。


俺が一番恐れているのは、外でかつての同級生と出くわすことだ。しかし、今日は平日。学生ならば夏休みかもしれないが、こんな昼間に近所をうろついているとは思えない。大丈夫。大丈夫。

俺はそっと玄関を押し開き、ムッとする熱気と容赦ない日光の下、外へ踏み出した。




ありがたいことに、中学生の時に商店街の福引きで当てた折りたたみ自転車は、物置の中にしまってあったおかげかまだ辛うじて動くようだった。


チェーンに油を注して、タイヤに空気を入れる。

かつて銀色だったフレームには錆が浮いていたが、折りたたみの結合部分はしっかりと噛み合っており問題はなさそうだった。長距離を走るには心許ないが、近所をちょっと走るだけなら大丈夫だろう。


とりあえず、一番近くにあるコンビニへ行こう。六年前に見たコンビニがまだそこにあるのかは疑問だが、とりあえず行ってみる他ない。




俺の住んでいる町は、都会とも田舎ともつかない中途半端な地方都市だ。


住宅街が密集しているかと思えば、急に開けて畑が広がる。

が、すぐそばには交通量の多い片側二車線の幹線道路が通り、道路に沿うようにして大型のスーパーやホームセンター、ドラッグストアなどが立ち並んでいる。


しかし、映画が見たいとなれば、三駅ほど先まで移動しなければならない。そのくせ、駅と駅の間隔が広いせいで最寄り駅まで徒歩三十分以上という家もざらにあり、車か自転車がないと不便でしょうがない。

ただただ暮らしていくだけなら便利な土地なのだが、娯楽には乏しく、都会に出るのも面倒。そんな、よくある感じのつまらない町だった。


俺の家は、そんな町の中でも比較的駅に近い場所にあり(それでも徒歩二十分以上はかかったが)、最寄りのコンビニまでは自転車で五分ほどの距離だった。


家の前の細い路地を自転車で進む。

足がガクガクしてしまうのは、ひきこもりのツケがきているのだろう。

走りながら近所の家々をチラリと覗き見たが、電気がついている家は無かった。しかし、時間が時間なのでただ出かけているだけなのかもしれない。


家からほど近い丁字路に差し掛かった時、一台の車が道路を横向きに塞いでいるのが見えた。


車は“丁”の字のちょうど垂直に交わる方角の道から走ってきたようで、そのまま進行方向にある家の門扉を派手にぶち壊し、玄関ポーチの支柱にボンネットをめり込ませて止まっていた。躊躇のない突っ込み方だ。よそ見でもしていたのだろうか。


車の中を覗くと、エアバッグの残骸と思われるしぼんだ白い袋が見えた。中に人はいない。

車が一台ギリギリで通れるような狭い路地だったので、俺は仕方なくその道をあきらめて別の道を通ることにした。


少し遠回りして住宅街の細い路地を抜け、街路樹がポツリポツリと植えられた幅広の二車線道路に出た。

相変わらず町は静まり返っている。


俺は、町並みにどことなく違和感を覚えた。

なんだろう、この違和感は。静かすぎるのか?いや、昼過ぎの住宅街など、こんなものだろう。街並みがいつもと違う?最後に見てから六年近く経ったのだ。六年あれば街並みなんていくらでも変わるだろう。


では、この違和感は何だ?


強い日差しに目を細めながらタオルで汗を拭い、再びペダルに足をかけ、漕ぎ出す。コンビニは、この道路をもう少し走って大きな交差点を超えたあたりにあるはず。


交差点、道路、車。

そこまで考えて、俺は違和感の原因に気づいた。



そうだ、車。車が一台も走っていない。



この道路は、幹線道路へと続く比較的使用人口の多い道路だ。普段から車の通りもそれなりに多く、夕方には軽く渋滞が起きるほどだったはずだ。


それなのに、なぜ。




一分と経たないうちに、俺の疑問に対する回答が目の前に現れた。

俺の目の前には、幹線道路と交わる大きな交差点があった。


そして、車も。


まず最初に目に飛び込んできたのは、交差点の手前に転がった黄色の軽自動車だ。

見事に横転した軽自動車が、鼻先を左手に向け、天井をこちらに晒していた。粉々になったガラスがあたりに飛び散っている。


何事かと思って自転車を降り、軽自動車へと駆け寄る。車の横まで来ると、初めて交差点の中の様子が見えた。交差点の中は、横転した軽自動車など序の口と言わんばかりの酷い有様だった。


交差点の四隅を囲うガードレールに、計三台の車が突っ込んでいた。うち二台は激しく炎上したようで、真っ黒焦げだ。信号機や街灯にも車がド派手に突っ込んだらしく、凹の字そのままに車体をへこませたワゴンやセダンが黒焦げになっていた。


また、ガードレールの内側には、何台かの自転車がひっくり返っているのが見える。ママチャリに、子供用の自転車だ。


交差点の真ん中には、弓なりに変形して横倒しになっている車があった。右折待ちをしていたところに、横っ腹から突っ込まれたのだろう。突っ込んだ側と思われる車は、交差点の隅の方で裏返しになっていた。奇妙なことに、それらの事故車を取り囲むように、交差点の左右から車が数台進入し、事故車に接触する形で止まっていた。


これは一体どういうことだ?

田舎にあるまじき大事故じゃないか。


炎上したであろう車の火が消えているということは、事故が起きてからある程度時間が経っているに違いない。しかし、その割には警察もいなければ事故処理車が来ているわけでもない。

怪我人もかなり出たはずだが、救急車はどうした?


俺は、交差点の手前で横転していた黄色の軽自動車の中を覗き込んだ。

中には粉々になったガラスの破片や、可愛らしいパステルカラーのぬいぐるみが何体か落ちているばかりで、怪我人はいない。

次に、ガードレールに突っ込んだ黒焦げの車に近づいてみたが、特に熱気を感じることもなく、鎮火して随分時間が経っているように思えた。車の中も覗いてみたが、黒焦げの死体がハンドルを握っているということもない。車の下敷きになっている自転車も見えたが、人間が一緒に下敷きになっているということもないようだ。




念のため、交差点付近のすべての車を調べてはみたが、結局人っ子ひとり見つけられなかった。


そして同時に、奇妙なことにも気づいた。

事故現場に必ずあるはずのものが、存在しないのだ。


俺は、横転した軽自動車の中をもう一度覗き込んだ。

車内にあるものといえば、ガラスの破片、ぬいぐるみ、そしてしぼんだエアバックの残骸、締まったままの運転席と助手席のシートベルト。


そして、血痕が……無い。


車は助手席を下にして横転している。車体の歪み方、ガラスの飛び散り方からして、かなりの衝撃だったろう。乗っていた人は酷い怪我をしたに違いない。だが、血が流れた跡が一切が無い。交差点にあるどの車も、人間が乗っていないだけでなく、血痕が全く見当たらなかったのだ。


これはどういうことだ?


俺は、両手が震えるのを感じた。

顔がこわばり、頭の後ろがサッと冷える。


怪我人も、血痕もない事故現場。

なぜ、こんな奇妙な事故が起きたのか?


俺は無意識のうちに、ほんの僅かの間に起こった不可思議な現象を次々と思い起こしていた。




家族の失踪。

食事が届けられなくなって、三日。

腐った朝食。

停電。

不通になったインターネット。

異常に静かな町。

とっくに燃え尽きた事故車。




……家を出る時から、薄々、なんとなく予感してはいた。だが、確信がなかった。しかしいま、少しずつわかり始めた。


なぜこんなおかしな事故が……いや、考え方を変えよう。

どんな状況なら、こんな奇妙な事故現場が出来上がる?




床に落ちたお玉。

並んだままの靴。

食べかけの食事。

門扉に突っ込んだ車。




もしも……もしも、車の運転手が突然消えたら?走ってる最中に持ち主を失った車はどうなるだろう。


失踪。消失。消滅。

運転手が消え、車はそのまま走り、そしてぶつかる。

当然ノーブレーキで。

大破する。



人間が、消えた?



そんなバカなことがあるだろうか。


しかし、この状況を他に説明できるだろうか?




静まり返った町に、セミの鳴き声が響き渡る。

呆然と立ち尽くしている俺の前に黒猫が現れ、俺の顔を不思議そうに見あげた。少しの間、俺はその黄色い目と見つめ合っていたが、黒猫は一言ニャアと言ったきり、道路を横切って生垣の中へ消えて行ってしまった。


どうやら、人間以外の生き物は健在らしい。


この町から、この世界から……


人間だけが消えてしまった。


そして、もしも人間だけが消えたという仮定が正しいならば、それはもう一つ重要なことを示していた。




どうやら俺は、人間としてもカウントされなかったらしい。

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