私と僕、貴方と貴女
月が綺麗な夜。白い花が幻想的に咲き誇るこの場所で、私は目を覚ました。
ここがどこなのか私は知っている。しかし、何故ここに来たのか思い出せない。
とりあえず一旦帰ろうと思ったが、上手く足に力が入らないので立ち上がることができない。今気が付いたのだが、身体が酷く疲れていた。
どうしようかと考えているうちに、右手の違和感に気付いた。ずっと、何かを握りしめているような形になっていたのだ。まるで、何かを必死に掴もうとして握りしめたような、愛しくてたまらない温かさを求めているような。
でも、私の人生に、温かさなど無かった。親を早くに亡くし、何一つ構ってくれない祖父母の家で育った私に、温かさなど無かった。
でもそれなら、私は何を求めていたのだろうか。
何かを思い出そうと、必死に記憶を辿る。しかし、何もはっきりとしたことを思い出せない。ただ、黒い人影だけが脳裏に浮かぶ。
「あなたは、誰?」
震えた私の声が辺りに響く。そうして私は、自分が泣いていることに気が付いた。
思い出すような事があったのかも分からない。だけど私は漠然と"忘れてしまった"と感じていた。
その後私は家に帰ることができた。しかし今日の日のことは1日が過ぎ、1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、とうとうもう少しで1年が過ぎるというのに、思い出すことはできずにいた。しかし、私の中ではあまり重要なことではなくなっていた。本当に大事なことだったら、いつか思い出すだろうと思うようになったからだ。
ただそれでも、あの日からちょうど1年が経つ今日、私があの白い花の咲く場所へと行ったのは、心のどこかでは早く思い出したいと思っているからだろう。坂道を登り、その場所へと辿り着いた。
去年と同じ景色。優しい月明かり。何一つ変わっていない。
去年と同じように、私の右手は何かを求めていた。
無意識のうちに、そっと手を伸ばして、掴む。しかし、掴んだのは虚空。温かさはおろか、何もない。
私は、一体何を求めているのだろう。
何を"失ったのだろう"。
脳裏に、あの黒い人影が浮かび上がる。
無性に寂しさが込み上げてきた。
私は最初からずっと1人だったはずなのに、隣にいたはずの誰かを想って、涙を流した。
「あなたは、誰なの。ねぇ。誰か答えてよ!!」
無駄な事は知っている。ここには私1人しかいない。だけど、私は叫び続けた。
心はぐちゃぐちゃになっていく。"失った"という事実が、そしてそれを忘れている事実が、恐怖で私を支配する。
ただひたすらに、走った。
走って、走って、そうして。
私は、落ちていった。
私は、ここが高台だったということを忘れていた。
そして闇の中へと消えていく中、私は1つの事を思い出したのだった。
一瞬の間に、私は色々な光景を見た。
今日と同じ、残酷に綺麗な月。
漆黒の夜空の下に咲く、純白の花。
それらを、手を繋いで眺めている二人組。
複雑そうな表情を浮かべている男性の隣で、逆に1人の女性が穏やかな表情を浮かべている。
そして彼女は、「今日から、ここは貴方だけの場所。」と、そんなことを言っていた。
男性は、「また一緒に行こうよ」とは言い出せないようだった。でも、それに変わる何かをずっと考えているようだった。
男性は、ひたすらに彼女の手を握っていた。だけど彼女は、その手を離し、一言
「貴方は、幸せになるのよ。」と、そう呟いて、
闇の中に消えた。
そうして、男性は彼女の名前を叫んだ。私の姿で、私の声で、私の手を伸ばして、彼女の名前を叫んだ。
そこにいたのは、私、いや、"僕"だったのだ。
全てを思い出した。しかしそれも一瞬。重い打撃が僕に炸裂した。
そうして僕の意識は、けたたましい自身の叫び声の中に再び消えた。
俺は、病室で目を覚ました。
どうしてこんなところにいるのか全く分からないが、医者は、崖の下で落ちていたと言ってた。確かに、頭が痛い。
そんなことを考えながら、ニュースを見ていた。ニュースは、2年前に起きた自殺事件について語っていた。ちょうど俺が発見された崖で起きたらしい。
そういえば、俺はそこで、何か大事なことをしていた気がする。それをもう少し成し遂げるところだったか、成し遂げた直後なのか、そんな事までは覚えていないが。
「俺にそんな大事なことがあるとは思えないがな。」
1人しかいないのを良いことに、俺は独り言を言った。
「...日記でも書いとくか。」
何かを思い出せない時は日記を書けば良いと、昔誰かから聞いた。その誰が、誰だったかは忘れてしまったが。まぁ、誰でも良いのだ。
いつか必ず、それを思い出せば良い。
「何度...忘れたって。」
不思議と、自然とそんな言葉が出てきた。そして、その言葉は続く。
「必ず、お前を思い出す。」と。
読んでいただきありがとうございました。
好評であれば、僕がとても喜びます。
今作は単発のつもりですが、もし続きの要望が多ければ、続きを書くかもしれません。仮にこの作品が続いた時は、よろしくお願いします。
最後になりましたが、こんな作品を読んでくださった皆さま、そしてこの小説を思いついた時、メモをするための紙をくれた親友、本当にありがとうございました。
次回作も、どうぞお楽しみ下さい!
この作品はフィクションです。しかし、現実世界で起きる絶望は、そして幸せは、もっとフィクションじみているかもしれませんね。