修羅の巷の夢
注意書き通り少しバイオレンスな表現があります。
背の低い草が青々と茂る緩やかな丘があった。
空は突き抜けるように青く清々しい。雲も午睡に微睡む牛のようにゆっくりと流れて行く。眼下の人間の世界の惨状など知らぬと言わんばかりに。
丘の上には野戦陣地が存在していた。大きな天幕の本陣に弾薬集積所、武器庫に糧食庫と戦に必要な物が規則的に並んでいた。
だがそれは数刻前の事であり、今は違う。 本陣は既にここから失せ、糧食庫は紅蓮の炎に舐めあげられ、火をかけられた弾薬集積所は跡形もなく吹き飛んでいる。
今や丘の陣は崩壊し人馬の呻きが響く地獄と化していた。
槍で突き殺された兵士、豪雨の如く降り注いだ矢に射殺された兵士、砲弾の直撃を受けて挽肉のようになった兵士。様々な死因の死体が地面を埋め尽くし、草の悉くを朱に染め上げんばかりに広がっている。
その中でもまだ戦う姿が幾ばくかあった。 濃緑の戦服を着た兵士の一団と重装の紅い騎士達だ。
濃緑の兵士達は圧倒的に少なく、同じく紅い装備の歩兵を引きつれた騎士は丘を埋め尽くす勢いである。どちらが守手側かは明白であり、その儚い命運は今決そうとしている。 男は半ばから折れて短くなった長槍を間断なく突きだして死にあらがうかのように戦っていた。
青年ではないが少年とも言い切れない微妙な年頃の男は男妾でも通りそうな整った造形の顔をしているが、その職業は傭兵であった。
身に纏う革鎧は既に数多もの刀傷でぼろぼろで、濃緑の戦服はかろうじで体にまとわりついている状態だ。鎧の下に着込んだ鎖帷子はその身を犠牲にして刃を防いだせいで一部が断ち切れている有様。男自身も膝や右腕に深い傷を負い、細かな傷を数え上げればキリが無い。
己も武具も限界まで酷使し、今にも砕けそうになりつつも男はまだ戦っていた。
傭兵は雇われている身であるが、本来このような全滅するまで戦う物ではない。命より金の方が重い世界だが、意味もなく金の為に死ぬような馬鹿な連中ではない、それこそ負けそうになったら戦いもそこそこに逃げ出す事が普通なのだ。
それでも彼等は一歩も退くことなく戦い続けている。団長及び主要なメンバーは死に果て、十数人しか残っていない状況でもだ。
彼等は西の大国、ティアルマ王国に雇われた傭兵団であり、王国軍の騎士団と共に関係の悪い隣国、フィーリゼシア公国との緩衝地帯の守りについていた。
二国間は膠着状態にあり、しばらく開戦は無い、そう見られていた。
なんてこと無い見回りだけして終わる一日が始まる、傭兵達も、王国軍の騎士達もそう考えていた。
だが待っていた現実は全く違う物だった。
夜間にひっそりと丘全体を包囲した数万の軍勢、明かりをつけず大した音も立てずに良くここまで完璧な陣が敷けたものだ。
対する王国軍の人数は千に満たない寡兵に過ぎない。野砲も僅か十問しか備えておらず、頼みの綱の矢も敵の数の方がずっと多い、絶望的な状況だ。
公国軍が攻勢にでると陣地はあまりにも呆気なく蹂躙された。敵の包囲網を破る突撃部隊を編成している途中の事であったので防御陣が薄くなっており、本当に一瞬の事であった。
そして公国は敵の投降を認めない。武器を捨てた兵でさえ悉く皆殺された。奴らは殺した敵兵の首を槍の穂先に刺して進軍するような伝統を持っている連中だ。当然といえば当然だった。
男は自分を殺そうと白兵戦の為に槍を捨て剣を抜いて襲い掛かってきた敵兵の喉頸に鋭い踏み込みと共に槍の穂先を正面から突き込んだ。
首筋はどうしても分厚い装甲が纏えない、刃は簡単に通った。
冷たい穂先がささやかな抵抗をする皮膚を突き破り、頸動脈もろとも気管と食道をまとめて穿つ。
それでもまだまだ穂先は止まらない。
穂先は更に柔らかな肉を裂きながら突き進み、勢いに任せて頸椎を打ち砕き首の反対側から顔を出す。
だが男はそれでも容赦しない、手首を返して刃を回し槍を真上に跳ね上げる。回転する刃に肉が巻き込まれ、首との繋がりを断たれた頸椎と首の肉が千切れ、血の軌跡を描いて宙を舞った。
兜の下から一瞬伺えた素顔は、見たところ十五~六の幼い少年の物であり、恐怖に懲り固めれれていた。
年端もいかぬ少年を突き殺したといえ、男には罪悪感の欠片もない。奴らは仲間を何百人と殺している、そんな敵がどんな奴らであろうと知った事ではない。
振り上げた槍をそのまま背後に突き込んでまた一人殺した。今度は顔は見えなかった。
槍を振り回し寄ってたかる蟻のような雑兵を次々と斬り殺す。男は相当の場数を踏んでおり、徴兵軍が主の数日前までは農民であったような人間で構成されている公国軍に易々と殺される程弱くはなかった。
それでも数はあるだけで強みになる。突き出される無数の槍や剣戟の内の一つが彼の右肩を強く打ち据え、肩の骨に罅を入れた。
即座に一撃を入れた相手に左手だけでの軽い刺突のお返しを送り手首を切り落としたが、その一撃は最早致命傷と言っても良かった。
今まで彼の命を繋いで来たのは両の腕から繰り出される鋭い斬撃と刺突。それが失われれば後に待つのは…
どこか遠くで聞き慣れた声の悲鳴が上がった。どうやら今まで粘っていた戦友がまた一人逝ったらしい。
戦友を失った悲しみを敵にぶつけたいが、もう体が動かなくなってきていた。
いくつかの深い傷からの出血による失血と、泣きたくなるような右肩に走る激痛。目の前は失血と激痛によるショックで白くフラッシュし数メートル先でさえ見えるか怪しい。
それでも必死で槍を振るい続けてきた。死を遠ざけるかのように。
だが、死は避けられなかった。
横から迫る大きな馬蹄の響き。
そちらに視線を向けた時にはもう遅かった。
深紅の甲冑を纏い、騎兵槍を構えた堂々たる体格の重装騎士と、その騎士に見劣りしない立派な体格の馬。
その二つから繰り出される長大な騎兵槍の突撃は、動き易さを念頭に置いた革鎧とボロボロの鎖帷子では到底防げるものでは無い。
鎧が突き破られ腹に冷たい感触が潜り込む。騎兵槍の穂先に内臓がかき回され口から大量の血が溢れた。
槍が刺さっても騎士は止まらない、周囲の兵が道を空けるかのように退いており騎士が駆け抜けるスペースは十二分にあったからだ。
槍は男の体を突き抜け臓物を引きつれて背中に抜ける。くの字に折れた男の体にもう力は無かった。
五十メートル程駆けてやっと騎士は馬を止めた。
急に止まった事から貫いていた槍から男が抜け、一メートル程先の地面に落下する。肉と鉄がこすれる重い音がした。
確実に殺した、手応えはあった、それでも男は未だ息絶えていなかった。
腹から内臓を溢れさせ、落下の衝撃で右腕は何処かおかしな場所を向き、駆けている最中地面に転がる槍に左足を引っかけて膝から先を失っても、まだ男は生きていた。
胸はまだ呼吸の為に上下し、口からは咳と共に血が吐き出されている。
騎士は内心感服しつつ、男に近寄る。既に攻撃する手法さえ無い敵だがそれでも油断する事無く騎兵槍を構えて。
眼下に横たわる異国の兵士、その兜の槍の穂先を引っかけて半ば強引に引きはがす。ちょっとした好奇心で騎士は男の顔が見たくなったのだ。
兜の下から現れたのは、戦働きからは想像できない美貌。荒武者に相応しい顔ではない。
騎士を睨む視線にはこのような体になりつつも、力強い光が宿っている。殺意が籠もったそれは死に行く者が宿す物とは到底思えない。
ずっとその光を見つめていたい、そんな事を騎士は一瞬思ったが、数十秒もすると男は遂に息絶え、その瞳は静かに閉じられてしまった………
騎士は頭全体を覆う兜を外し、中天に達した日の光に照らされた戦場後をざっと見回す。
りっぱな顎髭を蓄えた巌のような顔は如何にもな英雄譚や戦記物の小説に登場する歴戦の勇士そのものである。
動く物といえば自軍兵士やボロボロの亡骸のように風にはためく旗のみといった物となった戦場を眺めているとどこか寂寥感を感じる。
完全に決まり切った勝ち戦とはいえ、戦いの高揚と命のやりとりの緊迫感は本物だ。それが失せて冷めた心にはどこか薄ら寒い北風が吹いているように感じる。
特に足下で死んでいる美貌の青年、彼が息絶えた事が寂寥感を一層に増していた。
多くの味方を切り倒すその勇姿に釣られて駆けだしたが、こうして仕留めてしまうと実に呆気ない物だ。
確かに雑兵の手にかかるよりは自分の手で殺したほうが充足感はあるが、やはり喪失感も一際大きかった。
何よりもこの戦いの意味が情けなかった。
公国がこの丘を攻撃したのは別に開戦したからではない。宣戦布告は未だなされていないのだ。
数万の兵で完全に取り囲み、早馬さえ出させず敵を殲滅し、我々はそっと帰る。
軍旗や味方の死体を一切残さずに。そのために糧秣隊は空の馬車を山ほど引いて来ているし、糧秣を食べて開いた馬車だってある。戦死者はそこそこ出たが十分積み込める量だ。
何故そんな事をするかというと、大義名分の為だ。
ある日急に緩衝地帯の守備隊が何の連絡も寄越さず全滅する。守備隊以外の死体はその場に無く、ただ彼等がそこで死んでいる。
死体が無くても誰がやったかは明白だ。それこそ調査すれば死体がなくても取り残した公国製の防具をつけた四肢や武具が見つかるはずだ、そうすれば奴らは我々を糾弾するだろう。確実に。
だが、我々は白を切る。夜盗にでも襲われたのではないか? と。
そうしていれば奴らは必ず宣戦布告し此方に進軍してくる。それが狙いなのだ。
薄氷に過ぎないが、一応の平和を破ったのは王国である。そういえば周辺諸国は我々に協力的になるはずだ、ここいらには戦争嫌いの国が多いのだ。
宣戦してきたような連中がこちらの陰謀だ、等と抜かしてもそれに信憑性は無く逆に疑いを深めるばかり。
そう、我が国の上層部は今後の戦争を有利に進めるが為にこのような茶番劇を仕組んだのだ。
こんなくだらない理由の非正規戦闘で死んだのでは敵も味方も報われない。騎士は男の死体を見てまた寂しく、そして情けなくなった。
修羅の巷を彷徨うは、悪鬼羅刹と鬼ばかり。互いに喰らい会う両者は、互いに謀って貶め合い、やがては殺し合いを始めるだろう。どちらか一方が滅ぶまで。
今日のこの戦いは、そんな修羅の巷の乱痴気騒ぎの前夜祭に過ぎなかったのである………
世に争いの種は尽きまじ。
何となく書いた作品。深い意味はありません。
感想ください。