4.学園3
食事を済ませてから自室に戻ると、私は思い出した内容を再確認する。
人間には、フロー状態という非常に高い集中状態になれる機能が備わっている。古くには無我の境地とも呼ばれていて、他にはゾーンに入るという呼称もあったと思う。
仮想世界で高い集中が欲しいときには、システム的にフロー状態のオンオフを切り替えることができる。慣れればシステムに頼らず、意識だけで切り替えることもできるようになる。
そしてこのフロー状態のさらに先にあるものを、オーバーフロー状態と呼ぶ。
これは極限の集中によって自分の意識と仮想世界を動かしているシステムとの接続を感じ取り、システムそのものに干渉して有利な結果を齎すように働きかける機能を持つ。
ただしかなり難易度が高く、長時間維持することは難しいとされていて、多くの場合は一定時間、自分の思考加速速度をさらに引き上げることに使われる。
このオーバーフロー状態はゲームのトッププレイヤーなら必須技能で、第一線で活躍したいのなら使えなくては話にならない。私がトッププレイヤーを名乗れるかは少し自信がないけれど、オーバーフロー状態はかなり使いこなせていたと自負している。
うん、空腹ではなくなったし体調に問題はない。早速始めよう。
まずフロー状態に意識だけで切り替えることは容易い。私はフロー状態に移行し、意識が少し研ぎ澄まされた気分になる。だけどこれは現実世界でも仮想世界でもできるので、ここがそのどちらであるかの判断材料にはならない。
だから私はさらに、オーバーフロー状態へと移行する。……特に違和感はない。この状態になると思考加速速度が上がることで周囲の動きがゆっくりに見えるんだけど、私以外に動くものがないので分からない。
またこの思考加速は意識だけでなく身体の動きも同じように加速させるので、自分の身体の動作が遅く感じることもない。
机に近寄り、置かれていたペンを少し上から机へと落とす。ペンは少しゆっくり落ちたように感じた。
次はペンが目線の高さくらいまで上がるように、手首の力を利かせて軽く上へ投げてみた。ペンが最も高く上がったとき、まるでそれが静止しているかのような時間は明らかに長く感じられ、そのまま落ちてきたペンを投げた手で受け止めた。
この感覚には覚えがある。間違いなく、オーバーフロー状態によって思考加速上昇が発動している。
私はほぼ確信した。ここは仮想世界、それも私の知るものに近い仮想世界に違いない。
一歩前進した。ならば他にも試せるものがある。
だけど一旦オーバーフロー状態を解除して一息ついて落ち着こう。
オーバーフロー状態によるシステムへの干渉は、実はもっと奥深い。
仮想世界でのプレイヤーとシステム間の情報交換は、基本的にウインドウで行われる。でもこれはプレイヤーにとって利便性が良いからそうしているだけで、実際にはプレイヤーとシステムを繋ぐ見えない情報経路が存在する。
オーバーフロー状態はこの見えない情報経路を辿ることでシステムに干渉するわけだけど、膨大なデータ量を持つ複雑なシステムに、どのような操作をすればプレイヤーに有利な結果を齎せるのかは、普通は分からないので簡単にはいかない。
ところが思考加速上昇の操作だけは、実行しやすいようにシステム側で故意に設定されている。そのため一般的にオーバーフロー状態は、思考加速速度を通常によりもさらに増加させる機能と思われている。
だけど本当は、もっと複雑な事もできると一部の検証勢によって解き明かされようとしている。検証勢の間では、この見えない情報経路を使った操作をシステムへの干渉命令と呼んでいて、私も末席ながらその検証勢の一員なので、思考加速上昇以外の干渉命令をいくつか知っている。
その知っている中には、ログアウトの干渉命令がある。
ログアウトすれば仮想世界から脱出することになるので、問題は一足飛びに解決する。
私は再度オーバーフロー状態に移行して、ログアウトの干渉命令を実行した。ゲームによってシステムへの干渉命令は細部が微妙に異なる場合があるので、ログアウトの干渉命令を様々に変化させていくつも実行した。
しかし、ログアウトの干渉命令は全て失敗した。
駄目か……そう都合良くはいかないか……。
いや、まだ、もう一つ強力な干渉命令がある。
それはシステムコール。
これはそのゲームのゲームマスターや管理者を呼び出す機能で、何か問題が発生したことをシステム側に知らせるときに使う。ログアウト同様に普通はウインドウに標準搭載されている。
しかし、何度か細部を変えて試したシステムコールの干渉命令も、全て失敗した。
これも駄目か……はあ……。
ログアウトとシステムコールが失敗した以上、もう状況を劇的に改善できそうな干渉命令は私の知る中にない。
どちらかが成功すれば楽だったんだけどなあ……はあ……。
私は何度も溜息を漏らしてしまう。
……はあ……いや、いけないいけない、気を取り直さないと。
腕を上げて軽く伸びをし、身体の緊張をほぐす。
落胆の気持ちはどうしてもあるけれど、切り替えないとね。
私の知る干渉命令はまだ残っているんだから、できることは全てやってしまおう。
よし、次はシステム情報開示請求。
これはシステム、つまり仮想世界の設定情報を取り出すことができる。これが分かれば情報面でかなり優位に立てるので、この仮想世界の攻略が楽になる。
しかし、システム情報開示請求の干渉命令も全て失敗した。
うーん……まあこれは検証勢でも難しい干渉命令として有名だったからね。成功する可能性は低いと思ってたよ、うん……しょうがないね……くっ。
じゃあ次は私の知る最後の干渉命令である、プレイヤー情報開示請求。
これはシステムが隠してしまい、ウインドウ上では表示されてなかったり、伝わらないようにしているプレイヤー情報を開放させるように変更できる。
そして、プレイヤー情報開示請求の干渉命令には…………成功した。
【名前 :ソルナリア】
【ギフト:残り 7日】
【イメージスキル:無念無想】
【固定イメージスキル:なし】
ん? なんかウインドウの情報が少し変わった。