2.学園1
私ははっと、大きな違和感があることに気付いた。
さっきのオープニングプロローグで分かることだけではなく、他にもこの世界の知識を持っている。
この部屋にある見慣れないはずのものの使い方が分かるし、ソルナリアという名前は自然と思い浮かぶ。
私の元の世界は文明の進んだ世界だったけれど、人間の記憶へ直接知識を焼き付ける技術はまだなかったはずで、知識の習得にはちゃんと学習する必要があった。
だから知らないことを知っているという初めての感覚に、まず気持ち悪さを覚えた。そして元の世界でまだ実用化されていないはずの技術が使われていることに、私は事態の深刻さを再認識した。
私は気持ち悪さを抑え、この知らないはずの知識について検証する。
ぱっと何でも頭に思い浮かぶというほどじゃない。思い出そうとすると、何となく覚えていることがもやっと出てくる感じ。
また知識があるというには、あまりに頼りないことも分かった。この国やいくつかの主要都市の名前なら、思い出そうとすれば何とか脳裏に言葉が湧き上がってくる。
ここはカルカトラ王国。そしてこの都市は王都グラントーラス。
でもソルナリアが過去にどのように生きてきたのか、どのようなことを学んできたのかについてはほとんど思い出せない。
私は部屋にあった姿見の前に立つ。そこには一人の女性、ソルナリアの姿が映し出されている。そしてその姿をよく観察する。
正確な年齢は分からないけれど十五、六歳くらいだろうか、元の世界の私より少し若いように見える。身長は百五十センチメートル前後。長い黒髪で瞳は青みがかった暗色、手足や体格はほっそりとしている。
服装は白いシャツに、同じように白を基調とした上着を着ていて、橙色をしたスカートを履いている。また首元にも橙色をしたリボンがあしらわれている。オープニングプロローグで登場した女性が皆同じような服を着ていたことを思い出し、これは所謂学生服だろうと見当を付ける。
生地や縫製はしっかりしていると思う。この世界の服飾技術はそれなりに高い設定なのだろう。
この部屋にはベッドなどの他に、魔灯という道具が置いてある。手のひらで触れて、軽く魔力を流すと灯りが点く。魔灯という言葉を思い出すのには少し時間がかかったけれど、魔力を流すことは、なぜか自然とできた。また部屋の扉から出て、どのように移動すればこの建物を出られるのかも何となく分かる。
知識というよりは、この身体が覚えているような……つまり、私の意識とソルナリアの記憶が混在している? それって…………。
私はここでついに、異世界転生という言葉に思い当たった。
私がいた元の世界は、そこそこ文明の発展した世界だった。人間はベッドのような大きさのVR機器に横たわり、一日のほとんどの時間を仮想世界で過ごす。
現実世界とは栄養補給や排泄など肉体維持のためだけの世界であり、睡眠を含めたあらゆる精神活動は仮想世界で行う。
仮想世界で得られる五感情報は、現実世界のそれを超えている。あまり現実世界とかけ離れすぎないよう調整はされているけれど、よほど鈍くない限りは現実世界より仮想世界の方が瑞々しい体験を味わえる。
仮想世界の多くはゲームとしての機能を持っていて、人間の娯楽になっている。そのゲームの世界観は多岐に渡り、その一つに異世界ファンタジーというジャンルがある。
異世界ファンタジーの典型的な世界観は、王国や騎士、妖精や魔法、モンスターやダンジョンといった言葉で表現され、異世界からやって来たプレイヤーがそんな世界に巻き込まれる形で話が進む。
この異世界ファンタジーは創作作品としても長い歴史を持つジャンルで、多くの古典作品がある。
私も多少ならこのジャンルの作品を知っていて、主人公が異世界へ転生したり転移することで、異世界を舞台とした物語が繰り広げられる。
ただ古典作品の主人公は、異世界での冒険を楽しもうと前向きだったり能天気だったりすることが多かったように思う。そういうものと言ってしまえばそれまでだけど、なぜ主人公がそんな行動を取るのかは少し不思議だった。
でも現代の異世界ファンタジーは大昔とは異なり、主人公が閉じ込められた異世界から、どうやって脱出するのかという物語が基本になる。現代は生活のほとんどを仮想世界で過ごすので、自分の好きな仮想世界をいつでも自由に楽しむことができる。なのにたった一つの異世界でずっと閉じ込められるなんて苦痛でしかないから、当然のこととして主人公はまず脱出を考える。
ただ異世界転生の場合、主人公は元の世界で死んでしまう設定が多かった覚えがあるけれど、私も死んでしまったのだろうか。確か私は仮想世界のホームで眠ったはずだけど……睡眠中に突然死でもしてしまったのかな? いや、確か異世界転生には死ぬだけではなく、意識不明の状態になるという様式もあった気がするのでそれかもしれない。
あと気になることとして、ソルナリア本来の精神はどこへ行ってしまったのか。
思考や記憶、感情といったものは、精神と強く結びつく。記憶が少しでも読めることから、本来の精神は消えていないはず……いや、読める?
記憶が読めるということは、互いの精神が独立して保護されずに、接続してしまっているのか。なら今の私の思考には、ソルナリア本来の精神の傾向が混じっている?
でもそんな感じはしないので全く分からない。
どちらにせよ、今の私はあまり悠長にしていられる状態だと思えない。
ここがどんな世界かまだはっきりしていないけれど、状況は私の知る異世界転生そのものに見える。
ならば今後の私の行動も、創作作品によくある展開そのもの、つまりこの世界からの脱出になるのだろう。
間違いなく面倒な事になった。死んでいても元の世界に戻ることはできるのだろうか。せめて意識不明の方であってほしい。とにかく何かしなければ、きっと何も進まない。ならしょうがない、全力を尽くして元の世界に戻る方法を探そう。
こうして私は、この異世界からの脱出を目指すことになった。