117.閉幕5
私は三度、観察者のいる空間にやって来た。
もうこの水色も見慣れてきたように思う。賢者ちゃんと司祭ちゃんが近くにいなかったので、まずそれを訊ねてみた。
『個別に異なる空間で僕が対応しているのですー』
うん、分けられることは予想していた。またこの触手観察者は二人にも、じれったい言葉遣いで話しかけているのかもしれない。でもそれも含めて二人へは予め伝えてあるので、混乱はしていないと思う。
『ツカサさん。現在、我が主の世界と接続中です。帰還するにはもうしばらくかかると思うので、お待ち下さいねー』
「分かりました。賢者ちゃんと司祭ちゃんへイメージスキルについて話しましたが、問題ありましたか?」
『いえ。お二人には不必要に広めないようには伝えますが、大したことではないのです』
「問題ないなら、よかったです。あと二人とも私の世界に来たいそうなので、協力をお願いします」
『知っています。当然ですが僕の権限を遥かに超えますし、そもそもできるかどうかも全く分かりません。でも僕にできる範囲なら協力しましょー、面白そうですし!』
「ありがとうございます」
『他にも何か訊きたいことはありますかー?』
「私の中にいる、ソルナリア本来の精神はどうなりますか?」
『ソルナリアの精神は眠りについていて、ツカサさんの精神に守られるように閉じこもっているのです。おそらくツカサさんの夢でも見ているのではないでしょうか。独立性は保っていますが、もはや分離することは不可能です。ツカサさんが元の世界へ帰ると、一緒についていくことになるでしょー』
「ソルナリアが眠りから覚めることはあるのですか? その場合は身体の主導権はどうなりますか?」
『いずれ目覚めるかもしれませんが、ツカサさんの影響を受けて以前のソルナリアとは性質、つまり人格のようなものが異なっているはずです。精神力はツカサさんに比べると小さいので、主導権を取られることはまずないと思いますよー』
まあこの世界に来てからはずっとソルナリア本来の精神と一緒にいたんだし、それで困るようなこともなかった。分離しなくても大丈夫そうかなあ。
それよりも賢者ちゃんと司祭ちゃんへの協力を、観察者に取りつけることができたのは収穫か。この観察者は基本的に何もしないだけで、力だけはちゃんと持っていることが分かっているし、嘘を吐くこともまずないだろう。
約束を違えるとすれば、この観察者の主という存在がそれを許可しなかった場合くらいかな……観察者の主、か……接触したいという要望はもう伝えてあるけれど、実際に叶えられるかは分からない。
『ツカサさん、これは僕の興味としての質問なのですが、この世界について何か感想とかあったりしますかー?』
「いえ、特にありません」
『そうですかー……』
「あ……別にこの世界を軽視しているわけではありません。本当に何とも思っていないだけです」
『はい。僕もツカサさんの答えに落胆しているわけではありません。この場所に辿り着く個体はそう多くないのですが、その中には「勇者」もいました。別の世界からの漂流者である「勇者」はこの世界を自身の世界と比較できるので、この質問をするようにしているのです』
「そういう観点ですか……正直私にとっては、大樹とその葉を比較するようなものなので答えにくいです」
『そうなんですねー。同じように言葉にすることが難しいと答えた「勇者」もいましたよ。なお「勇者」の多くは、ゲームと比較するようなことをしばしば言っていました。ゲームみたいなのに、違うんだという趣旨の言葉です』
「ゲームなのに、違う?」
『「勇者」たちが考えるゲームとこの世界では、何かずれがあったようです。この世界はゲームではない。自分はプレイヤーではなかったし、ここに住む人々はNPCではなかったと、悲しそうに呟いた「勇者」がいたことを記録しています』
「よく分かりませんが、その『勇者』はNPCとプレイヤーの分類に何か思い入れでもあったのかもしれません」
私にとって世界のほとんどはゲーム。そもそも世界がゲームであるかどうかを区別することにあまり意味があると思えない。
NPCとはプレイヤーではないキャラクターを指す言葉で、歴史的にはプレイヤーを人間が演じ、NPCをAIが演じることが多かった。でももう、AIと人間を識別することは難しくなってきていて、その概念は変化している。
今ではプレイヤーとNPCという区分は、主役と脇役という区分に近い意味として使われる。そのため脇役であるNPCは意識的、無意識的にかかわらず、主役を引き立てるため行動に制約を課している。だからNPCを演じるのがAIであっても人間であっても構わないし、あるキャラクターがプレイヤーであるかNPCであるかは、状況によっても変化する。
『ツカサさんは、自分自身やこの世界の個体をどう考えていましたかー?』
「まずこの世界の住民ですが、おおよそ同じ見た目をしているだけでは私と同じ種族であると判断できないので、その性質の調査を特に最初の頃していました。実際に私とは精神構造が違っていたようです」
『はい。僕にも精神はあまり詳しく見ることができないのですが、ツカサさんの精神構造はこの世界の個体よりも強固なようです』
この世界の住民は、種族、立場、機能、性能が私とは異なるため、その差を知ることは大切だった。でもそれらが違うことそのものは重要ではない。重要になるとしたら、私や私の目的に対して敵対的かどうか、不利益となるかどうかだけ。そうであるなら、ただ排除した。
「また私は私にとっての主役なので、どうしてもプレイヤー的な意識を捨てられませんが、この世界ではNPC寄りであろうとはしていました。そのため、行動に制限を付けていたつもりでした……まあ、あまり上手く行きませんでしたが」
『その制限とは何ですかー?』
「この世界では殺害と排除の差がよく分からなかったですが、削除だけはしないように心掛けていました。通常、削除できる権限なんて絶対に与えられないはずですが、この世界はその辺りの安全性が怪しかったので」
『ツカサさんの考え方は理解できる範疇です。結果としてツカサさんによって削除された個体は、ワーム以外にはいません』
殺害されたなら蘇生なり再生なりすればいい。排除されたなら復帰すればいい。でも削除されればもう戻すことはできない。
だからこの世界へ一時的に来訪していただけの私は、その影響力から削除だけはしないように慎重さを持つ必要があった。
「あまりこの世界へ大きすぎる干渉はしたくなかったので、それならよかったです」
『んんー……? いえ。ツカサさんの行動はそこそこ世界に影響していますよ? 削除ではなくても、大量に殺害や排除されれば影響は小さくありません』
「そこは、私がNPCに徹しきれなかったことに原因があります……しかし最低限、この世界の文明や文化には、致命傷を与えないようにと考えていました。なのでカルカトラ王国という規模から、都市や街を二つ三つ滅ぼすぐらいを限界と想定しました。あと思ったより文明レベルが高かったので、生産系のスキルを持っているであろう平民への被害も抑えるよう考慮していました。為政者である貴族がいなくなるよりも、生産者である平民がいなくなる方が影響が大きいと思ったからです。ただ……ワームもいましたし、スキルの効果が思っていたものと違うような失敗もあったので、ちょっと被害が大きくなっているかもしれません……」
『ツカサさんの行動方針は理解しましたー。貴族がかなり減ったので一部の知識が継承されない可能性はあるのですが、他の貴族が持つ知識で補うことはできると思うのです。僕の予測では、文明や文化が後退するような影響はないでしょー』
「そうですか、では私の基準では、大きな干渉にはなっていません」
私は自分の意志でこの世界へ来たわけじゃない。この世界に対して何の義理も責任もなく、礼儀すら払う必要がない。そのため、この世界が壊れたとしても気が咎めることはない。
でもそんな乱暴なやり方を私は望まない。この姿勢は、どんなものに対しても変わらない。
基本的に自分自身以外の何かと、利害が一致することはない。それでも結びついて取り込んだり、協力したり競い合うことで互いの利益が増えることはある。そういった何かは、味方や友人、好きなものになる。
でもそうではなく、その何かとの利害が相反していて、一方しか利益を得られないことの方が大抵は多い。状況によってはその何かと妥協を交わすこともあるけれど、そうならなければそれは敵や嫌なものになり、競い合うことで解決せざるを得なくなる。だけど互いの利害が違いすぎて競うこと自体がそれぞれの目標達成に必要ではないため、それは手段を選ばない争いへと転じる。
私はそんな甚大な損害を被りそうな戦いをするよりも、遮断する方が効率的だと思う。
そのためかは知らないけれど、私の元の世界には遮断機能があった。遮断した相手、遮断された相手とは同時に同じ仮想世界へログインすることができない。直接メッセージなどを送受信することもできない。現実世界は互いに意図しない限り、誰とも決して出会わないように徹底的な管理がされているので、これで直接関わることは一切なくなる。
極端な場合、管理者のようなシステム側の相手を除いた全ての対象を遮断したり、遮断されたりすることもできる。そうなるとホームとシングルプレイヤー用ゲームのような仮想世界しか利用できなくなるけれど、それだけでも一生かけても遊び尽くせないほど数多くあるので困ることはない。
それが他の何かであっても同じこと。
好みでないゲームであっても、それを理由に貶めたり毀損する必要はない。好みでない世界であっても、それを理由に貶めたり毀損する必要はない。気に入らない設定なら変更すればいいし、不要なものでもすぐに破壊や消去はせず、仕舞って無視すればいい。
それが明確に敵対的な影響を齎さない限りは、嫌なら関わらなければいい、静かに立ち去ればいい。
しかしこの世界には、そんな遮断機能はなかったし、ログアウトや設定の変更もできなかった。そのため止むなくこの世界へ関わることになった。
私はこの世界の仕組みをそこそこ把握し、ギフトによって魔力というリソースを手にした時点で、気に入らないものや不要なものを排除できる力を得た。でもだからといって好き放題していいとは思わないし、どんな世界でもそれなりに尊重したいと考えている。
私はできるだけ世界に対して気を使って、排除する相手も規範を用意して選んでいた。とはいえ私は完璧な存在でもないから、しくじることもあった。
そうしたことを総じてこの結果で終われたというなら、私の脱出劇は十分な成功と誇ってもいいのではないかな。