116.閉幕4
世界樹の天辺に、賢者ちゃんと司祭ちゃんと私がいる。
泉に月光の入り口が開くにはまだ時間がある。「探知」系スキルでは変化が分からないため、直接見れるよう早めにここへ来ていた。
司祭ちゃんはずっと私の側にいる。私が元の世界へ帰ることを寂しく思っているのかもしれない。それでも帰るなと引き留めるようなことは一度も言わなかった。
賢者ちゃんはいつも通りの様子に見える。
「そういえば二人は、観察者に何か訊きたいことや願いでもあるのですか?」
私は何気なくそう話を向けると、賢者ちゃんが珍しく躊躇いを見せたので、まず司祭ちゃんがそれに答え始めた。
「私は天空教の教えを信じておりますが、つい先日、私の本当の願いはそれと少し異なっていることに気付きました。確かに多くの方々がより高みへ上ることを望んではいますが、それは私がまだ知らないものを見たいという欲求から生じているのです。そしてギフトの成長とは、人々が未知を知り、未知へ近づくことではないのかと考えました。この本当の願いを見いだしたとき、私の☆が一つ増えたのです! これはこの考えが、教義に反してはいないと神が教えてくれたのでしょう……」
新しい気付きを自覚することで☆が増えたのか。大体思っていた通りの方向性を持つ仕様みたい。
「私は未知とは何かをさらに考えました。未知とは即ち、神のことです。神を知り、神へ近づく。それは即ち、ソルナリア様を知り、ソルナリア様へ近づくことと同義であるとも思うのです!」
おや、また司祭ちゃんが不思議なことを言い始めたようだぞ。
「私はここしばらく、ずっとソルナリア様のお側におりましたが、よく知ることはできませんでした。それはまだ私には何かが足りないのです、何かが分かっていないのです。それは当然のことです。フフルミース様でさえ、まだ知らないことがあるというのですから、私が知らないことなんていくらでもあるのでしょう。でも私にはフフルミース様ほどの時間はありません。だからまず何を知るべきなのか考えました。そして『勇者』様たちやソルナリア様がやって来たという、別の世界について知るべきなのではと考えました。……いえ、正直に言ってしまうと、私がそれを知りたいと思ったのです。私は別の世界を見てみたい。できることならば行ってみたいのです」
新しい視点は古い視点よりも輝きが強く、目が眩むことがある。でも司祭ちゃんは思ったより冷静に考えてそうか。私があまり肯定も否定もすべきじゃないだろう。
司祭ちゃんの話が終わると、意を決したのか賢者ちゃんも語り始めた。
「スピリットドワーフはの、もう儂一人しかおらんのじゃよ。新しいスピリットドワーフが誕生すれば分かるようになっておる。儂の故郷である世界晶の圏界には今誰も住んでおらん。一人というのは、寂しいのじゃ。もし儂が死んだら、交代するように次のスピリットドワーフが生まれて、儂と同じように寂しい思いをするのじゃろう。スピリットはの、前のスピリットの知識や記憶を、不明瞭ながらもおおよそ受け継いで生まれる。そのようなスピリットの役割とは何なのじゃろうか? 儂はそれを探すため、世界中を旅して多くの知識を蓄えた。今では知識を集めることは楽しみになっておるが、当初の理由はもう一人しかおらんスピリットドワーフには役目がないと思ったからじゃ――スピリットエルフにはまだ何かあるのかもしれんがの。じゃから、次のスピリットドワーフは必要ない。観察者には、儂でスピリットドワーフを終わりにするよう願うつもりじゃ。……のう、ソルナリアよ、お主はこの世界に転生してきて、ただ一人じゃったはず……寂しかったりしたかの?」
「そうですね、最初は寂しいというよりも不安でした。でも先生に出逢い、賢者ちゃんに出逢い、司祭ちゃんに出逢いました。なので寂しいと思ったことはありません」
「そうか……そうじゃな。儂もここしばらくは楽しかったの」
賢者ちゃんも話し終わり、二人の願いは分かった。司祭ちゃんは別の世界を見てみたい。賢者ちゃんは一人だから寂しい。
なるほど……。
私はこの二人の仲間に対しても、やや線を引いていたところがあった。二人は私とは違い、この世界の住民。だからその生き方や精神へは、干渉しすぎないようにしていた。だけど私は少し、この世界に遠慮しすぎていたんじゃないかな。どうせ我がままになるのなら、とことんまでなってもいいんじゃないかな。
だから私は、私のためにこの言葉を告げた。
「なら二人とも、私の元の世界へ来ますか?」
「はい、ぜひ!」
「……仮にお主の世界へ行けたとて、お主と生きる時が合うとは限らんじゃろ」
「世界を移動するなら、時間を多少ずらすくらいできると思います。あの観察者のいた空間でさえ、時間の流れがおかしかったですし。それに私の世界の人間は、体感時間であればこの世界のエルフ族よりも長く生きられますよ」
「…………ソルナリアよ、そもそも別の世界とは、そんな簡単に行けるものなのかの? 前に少し訊いたが、お主の世界はキヨヒコたちのような『勇者』のいた世界とも違うはずじゃ」
「簡単ではないとは思います。でも私だって転生したのですから、絶対に無理ということはないはずです。二人だって転生するかもしれません」
「んむう……それではいくら何でも、漠然とした可能性じゃのう」
「では二人には、スキルについて詳しいことを教えておきます。この世界の本来のスキルは、生活魔法と呼ばれているものに近いです。そして本当のスキルは、想像を駆使しなければ使えません」
私は今まで二人にも伝えていなかった、イメージスキルについて説明した。ゲーム的なシステムにまで踏み込むと煩雑になるので、その辺りは少し抽象的にぼかしもしたけれど、それでもできるだけ正確に伝わるよう丁寧に説明した。
「まとめると、最も重要になるのはやはり想像力です。より広く、より細かく想像を積み重ねて具現化させます」
「ふむ、それは新しいスキルを獲得するときの方法として、似たものが知られておる。しかし今は重要視されておらんやり方でな、ここ長年主流なのは、学習と訓練じゃな」
「学習と訓練……もちろん知識と試行錯誤は大切ですが……やはり想像力が足りていないように思います。まず二人には、転移できるスキルの習得を勧めます」
「……転移とは『勇者』のみが使えるといわれる伝説的魔法なんじゃがの」
「それが間違いです。『勇者』も使えるだけであって、使えるスキルはギフトに縛られないはずです。それに私が使えているのですから、回復魔法のような特定のギフトに固有であるという制約もないと思います。向き不向きはあると思うので誰にでも使えるとまでは言いませんが、賢者ちゃんと司祭ちゃんなら大丈夫です。私の転移は、「隠蔽」スキルと「遠隔探知」スキルを組み合わせたような能力です。身体を消して、遠くの場所に肉体と精神の全てがあると想像できれば、転移が完成します。そして二人は私と「世界空」スキルで遊んでいたので、もう肉体を失った状態を想像できるはずです」
「ほう、そうじゃったのか。前に説明は聞いておったが、転移魔法は過去の『勇者』からの知識があったせいか、そこまで踏み込んでおらんかったの。あとで試してみようかのう」
「ソルナリア様、ギフトに縛られないとしても私は『司祭』です。本当に転移できるのでしょうか……それもソルナリア様の世界までとなると……」
「ギフトは多少の助けにはなります。ですが転移に身体能力は関係ないですし、魔力が足りなければ魔石などで補えると聞きました。あとは想像力だけ。『司祭』ちゃんなら、できます。あとは『遠隔探知』か何かで、私の元の世界を発見するだけですが、その辺りは観察者の助けを借りれば何か方法が見つかるかもしれません」
「分かりました。転移魔法を習得して、必ずソルナリア様の世界へ行ってみせます!」
「……これが二人にとって相応しい道とは限りません。それでも私は、来てほしいと思っています。司祭ちゃん、待ってますね」
「!! ……必ず……必ずや辿り着いてお見せします!」
「まあ、そうじゃな。何となくできそうな気もしてきたの。しかし時間が足りるかのう……儂はもう八百歳くらいじゃ、残りはせいぜい二百年といったところかのう」
「そ、そんな、私は獣人族なので、寿命が百年もないのですが……」
「二百年や百年どころか数年も必要ないと思いますが……ちなみに二百年経つと、賢者ちゃんはどうなるのですか?」
「おそらく強制的に故郷へ帰り、眠りにつくことになるかのう」
「強制的に眠るのは問題です。何とか起きていないと……」
「いや、眠りにつくというのは比喩的な表現での、身体が世界晶と同一化して失われるんじゃよ」
「それは肉体がなくなるだけですか? だったらそれほどの支障にならないのでは?」
「……何を言っとるんじゃ?」
「二人は既に、私の『世界空』スキルで肉体がない状態を経験しているので、精神だけで存在できることを知っているはずです」
「じゃがあれはスキルの能力によるものじゃろう。本当に肉体を失うこととは違う気がするがのう」
「んー、それでは廃港に、霊体の魔物がいましたよね?」
「魔霊のことじゃな」
「この世界では、肉体が死しても精神がそれを無理やりに動かすことができる。魔物には、物質的な肉体がないものもいる。そうであるなら、二人も肉体の有無は関係なく存在できるはずです」
「……言われてみればそうじゃが、お主が言ったように死した肉体を精神が動かすのは無理やりとなる。それに魔物と同じに考えるのも乱暴ではないかの?」
「今までの経緯から、精神体だけで存在することは不安定と予想できますが、手はあるはずです。例えば別の肉体に憑依する……というのは不都合が起きやすそうなので、肉体の模造品を用意してそこへ憑依する方がいいかな。肉体を失えば不利にはなると思ったので守りは固くしていましたが、私はこの世界で状況把握した時点から、もし肉体を失ったとしてもどうにかなると思っていました」
「ふむ、お主がここまで無事で何よりじゃの。しかし意思持たぬ人形を仮初めの肉体にするのは面白い。それならあるいは……」
「司祭ちゃんもそうです。精神の寿命については諸説あって、私も詳しく知りません。でも賢者ちゃんが千年を生きるなら、司祭ちゃんや私だってそのくらい生きてもおかしくありません」
「はい、何とかやってみます!」
「……儂もおよそ八百年生きて知識を蓄え続けたのじゃが、まだまだ未知がいくらでもあったわけじゃな。肉体はともかく、精神であればもう八百年くらい平気じゃろ。魔霊も人形も面白そうじゃ」
「魔霊……あれはその、ちょっと見た目が……」
「霊体の見た目なんてどうとでもなります。司祭ちゃんはあんな襤褸切れではなく、いくらでも美しい衣装を纏うことができます」
「美しい……そんなソルナリア様、えへへ」
「リジーナよ、儂がいつでも手伝うから心配せんでもよいぞ。一緒にやっていこうかの」
「フフルミース様……ありがとうございます!」
「うむ、ソルナリアのスキルについても最近色々と訊いたことで、基本的仕組みまでなら理解できておるしの。儂はそれなりに物知りじゃからな」
「それにしてもこれって……とんでもない知識なのではないでしょうか……」
「この知識をどうするかは二人に任せますが、一応このあと観察者にも訊いてみてください。ただ無闇には広めない方がいいとは思います」
「そうじゃな……知識が危険を招き、知ることが不幸を引き寄せることもあるしの」
そうやってイメージスキルについて話をしているうちに、泉が輝き始めた。
時間が来たようだった。
「あ、最後にソルナリア様、向こうの世界でのお名前を教えて下さい! ソルナリア様を探すときの手掛かりが必要です!」
「そうじゃの、でもお主、自分の名前を覚えておるのか?」
「覚えています。思い出すのに時間が必要ですが……」
「思い出す必要はあるんじゃな」
「……そうそう、私の名前は、久世界津迦沙。知人はツカサと呼ぶことが多いです」
「ツカサ様……」
「ではソルナリア、いやツカサよ、世話になったの。良い旅じゃったぞ。またそのうち、お主に会いに行こう」
「ツカサ様、しばしのお別れです……今までありがとうございました」
「はい、賢者ちゃん、司祭ちゃん、再会を楽しみにしています」
私たち三人は、泉に浮かび上がる光の中へ進んだ。