112.閉幕1
朝起きた。
枕元には司祭ちゃんから借りている、「勇者」などを題材にした物語の描かれた書物がある。
「勇者」が活躍するだけでなく、暴走した「勇者」を別の英雄が討ち倒す話もある。内容が多彩で、思ったよりも楽しむことができた。
この世界の書物は高価ではあっても、種類によっては平民にも手が届くくらいに価格が抑えられている。
この世界には印刷技術がない。過去に「勇者」が印刷技術を紹介したことがあったらしいけれど、定着しなかったみたい。この世界はギフトがあるため、作業を単純労働に変えてしまう効率化へ向かいにくい。ギフトが成長しない単純労働を教会は認めないし、奴隷ですら従事することを嫌がる。
印刷技術がない代わりに、「写本師」やそれに類するギフトを持つものが書物を複製する。スキルを使うことで、熟練していれば分厚い一冊の書物を半日で写すことができるとか。
また通信手段である魔鏡に映った情報を素早く書き写したり、その情報を複製することも必要なので、こういった文字や絵を写し取るギフトの需要は高いように見える。
お婆ちゃん先生の娘が「写本師」であるという話から、なぜか司祭ちゃんから書物を借りることになったものの、いい暇つぶしにはなった。
さて、新月の日までもう特にすることはないけれど、昨日賢者ちゃんにこんなことを言われたので、今日は賢者ちゃんと司祭ちゃんと一緒に出かけることになっている。
「ソルナリアよ、新月の日になる前に、リジーナも連れて世界樹の辺りへ行っておきたいんじゃが、連れて行ってもらえんかの?」
「それは構いませんが、何か用事でもあるのですか?」
「お主は新月の日には帰るんじゃろう? そのとき儂らもついて行くと、帰りは転移魔法を使わずに世界樹から戻ることになるかもしれんからの。そうなったときのために、色々と準備しておこうと思っての」
そうして私は賢者ちゃんと司祭ちゃんを連れて、辺境伯領都アルコーナスと世界樹の間を、賢者ちゃんの指示に従って転移を繰り返しながら移動した。
「ちょっと魔物が多いように思うの。魔群狂乱の影響じゃろうな」
「まだ辺境伯領都アルコーナスは、危険な感じなのですか?」
「いや、魔群狂乱のことなら心配はいらん。戦争が終わった今となっては、魔物にいくらでも注力できるからの」
「はい、それにあの、『剣神』ガラディツィオ様もいますからね」
「そうじゃの、正直あれは過剰戦力な気もするがの」
「ならいいのですが」
魔物が多いといっても、私はそれらの存在をほぼ完全に把握しているし、大体ずっと二人と手を繋いだままでいるので危険はない。もはや賢者ちゃんと司祭ちゃんを持ち物にするのは一瞬で可能。「梵我一如」スキルは認識にも影響されないので、何かあっても観察者が言うところの高次へと二人を待避させることができる。
それに戦力である私と賢者ちゃんにとって、倒せない魔物というのはまずいないため、半ば行楽のような感じになっている。以前二人と一緒に遊んだ、無重力状態と「世界空」スキルを使った肉体感覚の喪失なんかも交えながら転移していた。
なお「梵我一如」スキルの場合は遊びにならない。私が身体を消して、ほぼ同じ場所へ再配置させるまでの時間差を全く感じないらしい。おそらく私の装備品や持ち物の時間が停止しているのだと思う。
「梵我一如」スキルを得たことで、私の身体の性質も変化している。
あの、触れたものから魔力を全て奪う「王」の神器。あれは今、辺境伯の部屋にあることが分かっている。
私はもう一度だけあの「王」の神器に触れようとしたことで、それをより認識した。今の私は身体を配置しているだけなので、部分的に消したり引っ込めたりもできる。物理的な障害物で阻むことはできないため、この前こっそり触ってみた。
私が再びあの剣の柄の底に触れると、身体が消失してしまった。もちろんダメージのようなものを受けることはなく、どうやら身体の配置を許可している魔力が失われただけで、別の場所へすぐ身体を出現させることができた。
今ならあの「王」の神器の柄の底に使われていた金属のことを、もう少し詳しく推測できる。今の私はあの金属に触れることができない。お互いの事象を連続させることができない。あれはこの世界に存在しているように見えているだけで、外れている。だからあの物質だけが「梵我一如」スキルによって私と同一化されない。あれは安定しすぎているだけで、この世界に存在してはいけない物質なんだと思う。あの無限に魔力を吸収する性質から、特異点と考えてもいい。
なぜあんなものがあるのか、観察者に今度会ったとき訊いてみよう。覚えていたらだけど。
「ついでじゃ。リジーナも世界樹を見ておくかの?」
「はい、見たいです!」
「うむ、まあないとは思うが、ソルナリアのように調子が悪くなるかもしれんしの。先に慣れておいた方がよかろうて」
魔物や移動経路の確認が終わったようで、次は三人で世界樹を見に行くことになった。直接世界樹の圏界へは転移せず、今度は三人で作り物のような森を歩いて世界樹を目指した。
唐突に現れた世界樹を見た司祭ちゃんは、放心しているようだった。
「世界樹の大きさも凄いとしか言えないのですが……樹々の葉が光を透かしていて、煌めくような宝石が揺れて装飾しているかのようです。それに大きな枝のところどころや、空中ですら光が瞬いているようにも見えます」
「あの枝には、川や滝があったりします」
「はーーー……」
「うむ……そういえば、世界樹を初めて見たときの反応とは、普通こんなじゃったな」
「私も、巨大で綺麗な樹木だとは思いましたよ」
「うむ、やはりソルナリアじゃの」
そうしていると、また若い少女のようなスピリットエルフ族が現れた。
「あれ、フフルミースがいる。今日って新月だったっけ?」
「新月はまだじゃが、今日は下見に来たんじゃよ」
「そっかー、そういえば初めて見る女の子がいるね」
「初めまして、リジーナと申します」
「丁寧にありがとう。私はルフィナーヤだよ。もっと気楽にしてねー」
「はい、ありがとうございます……あ、ルフィナーヤ様は『剣聖』なのですね!」
「うん、そうだよー」
「『剣聖』!?」
私は思わず声を上げてしまった。
「あれ、どうしたのー? 君の悪意がちょっとだけ揺らいだよー?」
「……『剣聖』という言葉に反応しました。警戒している単語でしたので」
「そうなんだー。私はいつもこの辺にいるから、この世界樹の門番みたいなこともしてるけど、フフルミースの仲間を傷つけるなんて、絶対にしないよ?」
「うむ、こんなじゃが、ルフィナーヤはポラーニャ同様に信用できるぞ」
「はい……賢者ちゃんが言うなら、信用はするのですが……」
また、「剣聖」か……この少女は賢者ちゃんと同じくスピリットという特殊な種族。油断しすぎてはいけなかった。
綺羅エルフちゃんもそう。最近、屋敷に出てくる食事がとても美味しいんだけど、「それはソルナリアちゃんを懐柔するためなんだよ!」と直接私へ言ってきた。一緒にいた司祭ちゃんが嘘だと否定しなかったので間違いない。何という策士。
とはいえ私はもう目的を達成しているのだし、危うきに近づかなければそれでいいか。
「君って『剣聖』に嫌な思い出でもあるの?」
「嫌というものではないのですが、強い相手を知っているので大袈裟になってしまいました」
「『剣神』ガラディツィオ様のことですか?」
「『剣神』だって!?」
若い少女のようなスピリットエルフ族の顔つきが、ほんの僅かに凛々しくなった。
「そう、『剣神』がまた現れたのか……それは、ぜひとも会って、その腕前を見てみないとね」
「え、お主、世界樹から出る気なのかの?」
「うん、そうなるね」
「それは珍しいことじゃのう」
なんだろう……あれかな? この若い少女のようなスピリットエルフ族は、強い奴に会いに行くみたいな、戦闘狂の類いだろうか。
でもそうだとすると……。
「貴女は、『剣神』を仕留めに行くのですか?」
「そんな物騒なことしないよー。ちょっとその技を見てみたいなあって思ってね」
「そうですか……いえ、『剣神』は私の先生を守っているので、倒されては困るのでした」
「うんうん、倒さないよー。前の『剣神』がいた頃は、私もまだまだ若かったからねー。でも今なら、その技を盗むくらいはできる気がするんだー」
「しかしの、お主はスピリットエルフじゃ。『剣聖』であっても、人族の『剣神』より既に強いかもしれんぞ」
「んー、強さはどうでもいいんだよね。『剣神』なら何か面白いスキルを持ってるかもしれないでしょ。それを見たいだけだよ」
「なるほどの。そういうことなら、儂もよく分かるの。しかしお主が世界樹から出たことなぞ、ほとんどなかったんじゃなかったかの?」
「そうだねー」
「ではソルナリアに辺境伯領都アルコーナスまで連れて行ってもらうかの?」
「え!?」
「ん、ソルナリアよ、どうしたんじゃ?」
「いえ、『剣聖』を転移で連れて行くのはその……信用できると言われても抵抗が……ごめんなさい。貴女に何か含むところがあるわけではありません」
「ふむ……」
「あはは、気にしないでいいよ。それに今すぐなんて行かないしねー」
「ではいつ行くんじゃ?」
「んー、とりあえず来年くらいかなー」
「……お主は、そんな感じじゃったの。しかし人族はすぐいなくなったりするぞ……あれはそう簡単に死なんじゃろうが」
「そっかー、そうだったね。じゃあ急いで来月には行こうかなあ」
こんな感じで、次の新月までの他愛もない一日が過ぎていった。