105.別視点
――魔女、グロリア・アバタール。
――彼女は王都の奥深くにある宮殿にいた。
王都に攻め入ってきた軍勢は追い払われた。魔道具も破壊したので当面はこれでよい。
しかし始まろうとしていた戦争や東の公領都イストーラスの様子がおかしかったため、調べてみたところ大きな破壊痕が残されていた。
何より問題なのは、妾があの国王に与えた指輪も消えていること。
あの指輪はオリハルコンというこの世界でも強固な物質を、女神が擬態能力によって似せて作った品物。本物ではないとはいえ、極級魔法でも破壊されないはず。
これらは妾と同等の力がなければできない。まさか神級魔法の使い手なのか……それなら指輪が破壊されることもあるかもしれない。でも神級魔法を使えるのは妾だけ。そもそもこの世界には、「神級」という言葉そのものがほとんど知られてはいないのだから。
妾に匹敵する力を持った存在が、突然に現れた。これを説明できるとするならば…………観察者か。
女神と敵対しているという観察者。女神が妾をこの世界へ遣わせたのと同じく、観察者も何か力を持たせた駒を送り込んできたとすれば納得できる。あれが動いたのなら、オリハルコンの偽物を破壊するくらいは容易くできてもおかしくはない。
でも女神教を作ったときは特に何もしてこようとしなかったのに、なぜ今頃になって動いたのか……?
それに観察者の駒は、この王都グラントーラスを襲うことはしなかった。あれほどの力を持つなら、王都も破壊できたはず。妾と対峙することを恐れたのか……?
あれほどの力であれば、妾を傷つけることはできる。それでも死へ至らしめるには足りないでしょう。
相手もそのように考えたのか……きっとそうです。その駒は慎重な性格をしているのかもしれません。だから女神や妾の力を、間接的に削ぐことが目的だったのでしょう。
妾は女神の眷属のような存在とはいえ、女神と同一というわけではない。女神は妾を通してこの世界を見ているとしても、妾が女神を知ることはない。
でもこの世界で肉体のあることに比べれば、女神のことなど一顧だにする必要も感じない。
妾は肉体があるため、人と同じような食事をすることも可能ではあるけれど、女神と同じものを食すこともできる。
女神は、信仰心を糧にする。
観察者もきっとそう思っているでしょうが、それは間違いではなくとも正しくもない。
周囲には、少年や少女たちが佇んでいる。
身の回りの世話をさせているこの侍従たちは従順で役には立つが、魅了が効きすぎていて味気ない。聖職者たちの信仰心は、何だか少し淡白に思う。王族や貴族たちの、崇拝しながらも腹に一物ある醜悪な感じは楽しいが、そればかりでは食傷気味になってしまう。
女神は向けられた感情であれば、嫌悪であろうと、憎悪であろうと、恐怖であろうとも糧にする。だから信仰心だけに拘ることはない。
女神の現身と魔女。どちらで呼ばれようとも構わない。女神ではなく、魔王や魔神の類いと見なされても困りはしない。
そして個人的には、魔女として畏怖の念を向けられる味が一番美味しいと感じる。
果たして妾を創り出した女神は、この味を感じることができているのでしょうか。それとも妾だけが独占しているのでしょうか。もしそうだとしたら、なんて愉快なこと。
女神教の信仰はこのカルカトラ王国だけでなく、海の向こうへも浸透している。この世界の人の数は十分に多く、多少減ったところで何ともない。
観察者が動いたというなら、それもいいでしょう。王族やたまに現れる「勇者」で遊ぶだけでは、正直退屈でしたから。
まずこちらは、次の「王」を用意しましょう。観察者とその駒は、それにどんな手を応じてくるのでしょう。「王」を狙うのでしょうか? 召喚される「勇者」を狙うのでしょうか? その出方次第では、これからは妾も先頭に立つとしましょう。
少し、面白くなるかもしれません。
――メテンザナク・グラン・カルカトラ。国王の叔父にあたる。
――彼は王都グラントーラスでほくそ笑んでいた。
二年と少し前か、あのウィンダリンクの小僧は、当時の老「大将軍」を後ろ盾につけ、「王」となることに成功した。
全く、上手いことやったものだ。
「王」となるには、戴冠式で女神の祝福を受ける必要がある。「王」が二人以上いたという例は過去の歴史でもあったが、どうやって二人目が「王」になることができたのか、その具体的な方法ははっきりしていない。
戴冠式で正式に誰かが「王」となってしまったなら、「領主」である私では太刀打ちできない。「王」が何か不手際でも起こして、失脚しない限りは。
その「王」が行方不明らしい。
直接会戦したのは昨日であり、どうなったのか詳しくはまだ不明だが、戦争で双方に大きな被害が出たようで、連絡の取れない状態にあることは間違いなさそうだ。
今まであの若造がここまで醜態を見せることはなかった。本当に行方不明か、命が危ぶまれているのか、もしかすると既に死んでいるのかもしれない。
今やこの私は、現身様へ進言して意見を通すことに成功した身である。あの若造がいなくなれば、次の「王」はこの私が最も近いだろう。
死んでいるなら早く知りたいものだが……この際、生死なんぞ関係ないか。一時的に「王」が二人いてもおかしくない。どうあれ、あの若造は戦争で失態を演じた。だから私が次の「王」となり、もしまだ生き恥を晒しているようなら処分すればよい。
暗殺のような手段で「王」を簒奪しても、周りの同意を得にくい。だがこの状況であれば何とでもなる。
現身様に申し出てみよう。
もしこれが上手く行ったなら、私は現身様へ二度の進言を通したことになる。もう私に楯突こうとするような、身のほどを知らないものが出てくることはない。
私の、いや、余の治世は安泰となろう。
そう、女神は余に微笑んでいる。
――西のウェストーラス大公、ニクトラウス・ウェス・カルカトラ。
――彼はまだ諦めてはいなかった。
軍勢が壊滅した日から二日経ち、おおよその状況は掴めた。
エラムダールは、おそらく死んだのだろう。
あまりにも大きな痛手ではある……だが、まだイブレヒトがおる。
光の柱という不気味な情報。それがなんであれ、魔女の仕業とは思えん。ならば、それほどの力を持ったものが魔女以外にいるということ。
そして同時期に現れた神の御遣いの噂と、以前に報告のあった「忍者」のギフトを持つという娘の影。
昔、ノストーラス公爵が言っておった。魔女が女神から遣わされたのであれば、天空教の神も何かを遣わすのではないかと。そのような空言、その場では笑い飛ばしたが、異なる世界から来たという「勇者」がいるのだ。そんなことが絶対に起こらないとまでは考えておらん。
この娘が何者かはまだ不明だが、魔女に近い力を持っていることはあり得る。それに情報の集まりがやや悪く、行動の目的がはっきりしないが、「司祭」と共にいることから話は通じる相手のはず。
「大将軍」であったエラムダールは、軍としての最高峰の武力であった。しかしそれとは違い、この娘は個としての武力が突出しているのだろう。
この手の強者を、脅迫して従わせるのは下策中の下策。誠意を見せることこそが、最善手であるとみた。護衛も最小限でよい、いや、むしろいない方がよいか……これほどの力を持つ相手には、どうせ役には立たんだろうからな。
もしそれを手中に収めたならば、エラムダールに代わる武力となるだろう。
イブレヒトはエラムダールを害した相手を良くは思うまいが、自らの感情を優先させるほど愚かではない。望んでいた形ではないが、イブレヒトがその武力の手綱を握ることができれば……。
エラムダールだけでなく、あの国王ウィンダリンクもまず死んでいる。次の王はメテンザナクのようだが、誰であろうと王国側にはもう碌なのが残っておるまい。「大将軍」がおらずとも、もはやどうとでもなるであろう。
北のノストーラス公爵も死んだ。どうせ彼奴は目論見が失敗し、己が死んだあとのことすらも考えて行動していたのだろうよ。だがそれでも、その立て直しには時間を要することになる。
しかしウェストーラス大公家は違う。たとえエラムダールがいなくとも戦える。
そう、まだ戦える……戦えるぞ。