1.プロローグ
――ここは王都にある貴族学園です。
貴族学園は男女に分かれていて、学園内には寮が完備されています。より高貴な方々は通われたりもなさいますが、多くの御令嬢は寮に住み、この敷地内だけで生活しています。
ソルナリアはハーレイスタック子爵家の令嬢です。
他の多くの御令嬢たちと同じように十二歳の頃から寮に住み、この学園で学んでいます。
最初の頃の学園生活は順調だったように思います。講義の内容は楽しくとても理解できましたし、周りの御令嬢の皆様とも上手く交際できていました。
でもきっと、どこかでボタンを掛け違えたのでしょうね。気付いたときには周りの皆様との折り合いが悪くなっていました。それがいつ頃からなのかは思い出せないのですが、そのまま改善することはありませんでした。
それでもソルナリアはハーレイスタック子爵家の令嬢として相応しいギフトを得るために、学びの手を止めるわけには参りません。苦しくとも努力を怠ろうとはしませんでした。
ですがその努力が実ることはありませんでした。より優秀な先生方による講義はほとんど埋まっており、受講することができません。分からないところを教えていただこうにも、もうまともに会話ができる方はおらず、先生方にもあまり相手にしていただけませんでした。
段々と講義の内容が理解できなくなっていき、魔法も他の皆様のようには上手く扱えなくなっていました。
もうギフトを授かる日まであまり時間がありません。一体どうすれば良いのでしょうか。
その日の朝は、畏れ多くもイストーラス公爵閣下の御令嬢であられるマドリーヌ様が登園されていました。マドリーヌ様の黄金色に輝く御髪が靡く様は、誰もが見とれてしまうほどです。
ハーレイスタック子爵家は公爵家と多少の繋がりがあり、その昔マドリーヌ様にご挨拶を差し上げる機会を頂いたことがありました。そのとき、マドリーヌ様は美しく微笑まれて、話しかけて下さったことを覚えています。
あの頃と同じように、いえ、あの頃以上にとても美しくなられたマドリーヌ様は、周りを取り囲んでいる御令嬢へ丁寧にご挨拶されています。
ソルナリアはマドリーヌ様を取り囲んでいる御令嬢の端っこにそっと立ちます。果たしてマドリーヌ様はあの頃のように話しかけて下さるでしょうか、微笑んで下さるでしょうか。
マドリーヌ様は、ソルナリアのすぐ隣にいる御令嬢とのご挨拶を終えられたようです。そしてマドリーヌ様の視線はソルナリアの上をとても自然に素通りし、その向こうにいた二人の御令嬢のうちの一人へと目を向けられました。
「あら、フレデリカ」
「これはマドリーヌ様、お越しになっていたとは知らず、ご挨拶が遅れたことをお詫びいたします」
「今日は何となく気が向いただけだから気にしないで。それにしてもフレデリカがまだ学園に残っていたとは思わなかったわ」
「ふふ、マドリーヌ様こそこうして来園されているではないですか」
「ふふふ、それもそうね…………ええと、あなたはエレミリー様でしたか」
「まさかマドリーヌ様に覚えていただけているとは思いませんでした。どうか敬称など付けずに私のことはエレミリーとお呼びくださいませ」
「ではエレミリー、あなたも良いギフトを授かったと聞いておりますよ」
「マドリーヌ様のお耳にまで入れていただけていたとは、この上なく光栄でございます」
マドリーヌ様が話しかけられたのは、アバーカスター伯爵の御令嬢であるフレデリカ様、もう一方はブリスカイン男爵の御令嬢であるエレミリー様でした。
フレデリカ様の御髪は栗色で、自信に満ちた表情をされている魅力的な御令嬢です。エレミリー様の御髪は若草色で、小柄なお身体と相まってとても可愛らしい御令嬢です。
御三方は一通りの話を終えられたのか、マドリーヌ様はそろそろお帰りになるご様子をお見せになりました。
「私はそろそろ戻ります。まだ挨拶を済ませていない方はいらしたかしら」
「いえ、そのような御令嬢はもうこの場には見当たらないと存じます」
「そう……そのようね」
マドリーヌ様が周囲を見渡されたとき、一瞬だけ私をご覧になりましたが、目を止められることはなく、そのままお帰りになりました。
マドリーヌ様をお見送りした後、フレデリカ様とエレミリー様もその場を後になさろうとしましたが、ソルナリアに最も近づいたときにエレミリー様がこう呟かれたのが聞こえました。
「あなた、場違いではなくて?」
フレデリカ様は何もおっしゃいませんでしたが、ただ口元を隠しておいででした。
ソルナリアは寮の自室へと戻りました。
学園は学びの場であると同時に社交の場でもあります。ですが有意義な交誼を誰とも結ぶことはできませんでした。
こんな有様では、良いギフトを授かることもできないに違いありません。
今までずっと、掴もうとしたものの尽くが指の隙間から零れ落ちました。
このまま誰に期待されることもなく、時は終わりを迎えるのでしょう。
もはやどうする手立ても思い浮かばず、ソルナリアの心は深い深い絶望の淵へと沈んでいきました。
……………………。
――。
……………………。
……なんだこれ。えーと、あれ、どういう状況なの?
周囲を見渡すと、そこはベッドや机と椅子のある落ち着いた感じの部屋だった。
私は混乱を鎮めるため、直近の記憶を思い出そうとする。確かホームにある寝室で睡眠を取ろうとしていたはずだけど……いや、待って、何か変な体験をさせられたような、まるでシングルプレイヤー用ゲームのオープニングプロローグに似ていたかな……。
私はそのオープニングプロローグを思い返してみる。それはゲームの出だしとしてはあまり愉快な内容ではなかったけれど、一応の納得をする。
つまり私は、ソルナリアというキャラクターになっているわけね。でも私は寝ているはずで、こんなゲームをプレイした覚えはない、バグか何かだろうか。
私はとにかく、いつも通りの方法でウインドウを呼び出した。目の焦点を空中に合わせ、心の中だけで「ウインドウ」と呟く。
そうすると、あまりにも簡素な情報しか載っていないウインドウが目の前に現れた。
【名前 :ソルナリア】
【ギフト:残り 7日】
【スキル:なし】
ログアウトのようなゲーム終了できそうなメニューは見当たらない。心の中で「ログアウト」の言葉を思い浮かべても何も起こらない。念の為に「ログアウト」と実際に声に出して言ってみても、やっぱり何も起きない。
夢かな? いや、夢を能動的に操作したり覚醒することは容易い。さっきから試しているけど夢という感じじゃない。
うーん、これはどうも面倒なことになったのかもしれない。
このまま時間が経って、バグが解消したというシステム通知が来るのならそれでいい。でもそんな呑気なものではなく、本気で対処しないと不味い状況の可能性もある。
私は部屋にあった椅子に座り、落ち着いて情報を整理し始める。
今、現時点で推測できることは、ここが何かの仮想世界であり、私は何らかの事故によってログアウトすることができない状態であるということ。
私は目の前に浮かぶ、名前とギフト、スキルの三つの情報しか載っていない半透明のウインドウを見ながら、まずそう判断した。