第三話『第二の作戦』
レオナはアタシがポケットから取り出したミカンを見て驚いているようだ。
呆然とミカンを見つめる視線を横目に、アタシはアスファルトにあぐらをかいて語り始めた。
「実家がミカン農家やっててさ。ほら、今って12月でミカンの収穫時期だろ。うちの農園で沢山作ってんだけど、毎年出荷しきれないほど大量にできてさ。家族じゃ食べきれないから、今日の集会でブラッドエンジェルズの仲間たちと食おうと持ってきたんだけど、ファミレスの店員に聞いたら、食品の持ち込みはお断りしています、だってさ」
「は、はあ…」
「仕方ないから店内で渡して後で食えって言ったんだけど、あいつらときたら、やれ『ミカンは手が黄色くなるから触りたくない』だの『お前のミカンは食い飽きた、今度はリンゴにしろ』だの、好き勝手言いやがって。アタシの実家はリンゴ農家じゃないっつうの」
「…何が言いたいの?簡潔に言ってちょうだい」
レオナは笛をビィィーーッと長く、そして強く吹いた。長話にイライラしているようだ。
「要するにだ、アタシはお前の部下とちょっとやり合った後で、そのうえ逆立ちまでさせられたんだから、疲れてんだよ。んで、疲労回復のためにミカンを食いたかった。そういうことだ」
「そう。どうでもいいわね。待ってあげるから、さっさと食べなさい」
ピッと笛を吹いた。
「いいや、お前も食え。うちのミカンは甘いぞぉ。これ食ったら他所のミカンが食えなくなっちまうぜ」
「私、甘い物は嫌いなの」
「まあ、そう言わずにさ、食え」
アタシはポケットからもう一つミカンを取り出し、レオナ目掛けてゆっくりと投げた。レオナはミカンをキャッチし、まじまじと見つめた。
「まさか、こんなもので私を懐柔して、見逃して貰おうなんて作戦じゃないでしょうね。時間がかかるっていうのは、私が食べるのを我慢できなくなるまでこれ見よがしに私の目の前でミカンを美味しそうに食べ続けるから、ってことかしら」
「お前すごいな。一体いつアタシがまだミカンを隠し持ってることに気づいたんだ」
実は右ポケットにはまだミカンが5つ残っている。特攻服に隠れて見えづらいが、スカートのポケットはパンパンに膨らんでいる。
「…私冗談で言ったつもりなんだけど、本当に懐柔する気?」
「んなわけねぇだろ。ただ、勝負はフェアじゃないとな。
アタシだけミカン食って勝負に勝ったんじゃ、後でお前に泣き言いわれないとも限らないしな」
「そんなことで悔しがるほど器が小さい女じゃないわ。それに負けそうなのはアナタの方でしょ。もういい加減、時間稼ぎはいいかしら」
レオナは受け取ったミカンを地面に放り出した。そしてまた笛を強く吹いた。
「あっ、てめぇ、何しやがる!食いもんを粗末にするな!」
「敵の差し入れに毒が入っていないか疑うのは当然でしょ」
「アタシは魔法なんて怪しいものを使うてめぇと違って毒を盛るなんて卑怯な真似はしない!」
「魔法を怪しいだの卑怯呼ばわりしないで。これはリーダーが私を認めてくれた証に授けてくれた力なの。私がチームのために努力して手にした成果よ」
ピーッと笛を吹いた。
「てめぇの事情なんて知るか!
とにかくこっちはな、人生で今までに無いくらいイライラしてんだ。お気に入りの自転車が壊され、魔法なんて訳の分かんねぇ力でアタシの力が封じられ、そして何より、うちのミカンを侮辱された!
もう我慢の限界だ。どんな手を使ってでもてめぇをぶっ飛ばしてやらぁ!」
「やれるものならやってみなさい。ま、私が魔法を解かない以上、アナタに勝ち目は無いけれど」
ピーーッとまた笛を吹いた。
「その笛!聞くたびに鼓膜がビリビリ震えて苛立つんだよ!
もう魔法とか関係無しに近所迷惑だから吹くのやめろ!」
「嫌よ。そんなこと言って魔法を使って欲しくないだけでしょ」
ビィーーッとわざとらしく笛を吹いた。
「あーーっ、うるせぇ!」
それから両者睨みを利かせ合い、時折レオナが威嚇のため笛を吹いてみせた。
間合いを取ってしばらく静止していたが、先に動いたのはセイラだった。
セイラは自分の両手で自分の両耳を塞ぎ、レオナ向かって一直線に突き進んだ。
「はあ…奇策と聞いて何をするかと思えば、ただ耳を塞いだだけとは。そんなことでこの笛の強力な音は防げないし、両手が塞がってる状態でまともに戦えるわけないでしょ」
うんざりした表情でセイラを見つめ、赤い笛を構えた。
「さあ、これでお終いよ。その場で停止しなさい」
ビィィーーッと笛の音が鳴り響いた。しかしセイラが足を止める様子は無い。
「おかしいわね。距離が離れているからかしら。まあいいわ、もう一度試せばいいだけだから」
レオナが再び笛を吹いた。しかしやはりセイラの足は止まらない。
その代わりに何かの音がセイラの耳に届いた。
「何の音かしら」
疑問に思ったレオナは少し後ずさりし、セイラから距離をとった。
その時、遠くでパトカーのサイレンの音が聞こえた。
「なるほど、パトカーだったのね。関係ない音に気をとられてしまったわ。
それより、もう一度笛の音を聞かせないと」
またまた笛を吹いた。
今度もやはりセイラは止まらなかった。
何かおかしいと思ったレオナは、今度は笛を吹く真似だけをして音を鳴らさなかった。
すると今度はさっきの異音がはっきりと耳に届いた。
「ああああああああああああああああ!」
パトカーのサイレン音だと思っていた音は、セイラの叫び声だったのだ。
レオナにとって最も大きく聞こえる音は自分の吹く赤い笛の音であり、叫び声は笛の音にかき消されてよく聞こえなかった。
しかしセイラにとっては逆であった。
耳を塞いだことで笛の音は小さく聞こえ、そこに自分の叫び声を重ねることで笛の音が完全にシャットアウトされていたのだった。
「まさか、そんな野蛮な方法で笛の音をかき消そうだなんて。アナタどうかしてるわ」
「あ、なんだって!?聞こえない!」
「そんな大きな声出さなくたって、こっちは聞こえてるわよ。
…でも、アナタがやったことは音を聞こえなくしただけ。私の魔法が解除されない限り、そっちは私に傷一つ付けられないわよ。それに――」
レオナは笛を左手に持ち替え、右手に警棒を構えた。
「アナタは私の笛に警戒するあまり、自慢の腕力が発揮できない。それに引き換え私は武器が使える。
アナタは勘違いしているようだけど、私は別に腕力に劣っているわけじゃない。昔から人並みの戦闘力はあった。だから武器があれば負けるわけがない」
「なんだってー?」
「まったく…醜態を晒すのはここまでにしてあげるわ。警棒で左右どっちかの腕をどかせてから、その口を勝手に開けないよう命令してあげるから」
警棒を構えたレオナにセイラが突進した、かと思いきや、着ていた特攻服を素早く脱ぎ、レオナに頭から被せ、そのままレオナの横を素通りして走り去った。
「くっ、小癪な…」
レオナが特攻服を振りほどいた時にはセイラの姿がずっと遠くに見えた。相変わらず両耳を手で塞いでいた。
「まさか、大見得を切っておいて逃げる気?でも、このままではまずいわね。
笛の音を防がれているせいで魔法の効果もそろそろ切れそうだし、逃げ切られると手出しができなくなる。
それにこのまま逃走されると、私の組織での立場が危うくなりかねないわ」
レオナはセイラを走って追いかけた。距離があると思われたが、両手を耳にあてたままでは全力疾走できないからか、すぐに距離が縮まった。
「はあ、はあ…観念しなさい。これだけの距離を走ったのだからアナタも息が荒くなってきたでしょ。もうさっきまでの大声は出せないはずよ」
ピィーっと笛を吹いた。
「くっ、追い付いてきやがった!やっぱり…はぁ、寄る年波には…はあ、敵わない…か」
八百メートルほど走ったところでセイラは走るのをやめ、その場に膝を伸ばして座り込み、ぜえぜえと呼吸をした。
レオナのほうも息が上がっていた。しかしセイラが両耳から手を離すのを見逃さなかった。
「そうね、お年寄りは無理をしちゃだめよ。それに年寄りの話は聞いてて退屈だから、少し静かにしてもらえるかしら」
すかさずレオナが左手に持っていた赤い笛を吹くと、深呼吸をしているセイラの口がぴたっと閉じた。
「んんーっ、んーっ」
「あら、呼吸の邪魔して苦しかったかしら。ごめんなさい。でもまた変なことされると嫌だから、鼻で呼吸しなさい。
とにかく、これで二つ目の作戦とやらも封じたことだし、アナタの負けね」
勝ちを確信したレオナは勝利の余韻に浸り、今来た方角を振り返った。
「それにしても、バイクを止めた場所から随分離れてしまったじゃない。これじゃヒメに余計に歩かせちゃうわね。後でヒメに謝っときなさいよ。って、その口じゃごめんなさいは言えなさそうね」
レオナがセイラのほうを振り向くと、息苦しそうにはしているものの、どこか落ち着いた目をしていた。
「さすがはかつて最強と謳われただけのことはあるのね、勝負に負けても心までは屈しないってところかしら。でも心がどうであれ体は簡単に屈せられるのよ。そうね、バイクのところに行く前に裸でどじょうすくいでもさせようかしら」
レオナがセイラの鼻に割り箸の差し込んだ姿を想像したとき、突然、セイラにとっての希望の光が差し込んだ。
その光は太陽のごとく白色光ではなく、人工の光、赤色灯だった。
赤色灯の主はパトカーだった。レオナが先程聞いた音は、全てセイラの叫び声だったわけではなく、その中にはパトカーのサイレン音が確かに混じっていたのだ。